日付から難しいテーマに挑戦「本能寺の変」

本能寺の変 障子窓

 
本能寺の変
 
今日 6月 2日は1582年(天正10年)に
「本能寺の変」が起きました。

途轍もなく大きな転換点となった
運命の日「本能寺の変」。

日本の歴史が大きく変わった日だと思います。

講義や講習会ができるレベルで
詳しい方もおいででしょうから

私は自分が得意の妄想レベルで
かましてみたいと思います。

ですので 最初にはっきり宣言しておきます 
何の役にも立ちません。

それでもよろしければ
お付き合いくださいませ。

戦国大好き人間の方は 結構多いと思うのです。

この乱世は生きていた一般庶民にとっては 
どえらく迷惑な時代だったと思われますが 

後世の私たちから見ると どこを切っても
ドラマチックで 本当にこんな時代が
あったんだろうかと少し疑いたくなるほどです。
 

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「天下分け目の合戦」より 大事かも

 
そんな風にドラマチックが止まらないので 
みんなが戦国時代に 強く
惹きつけられるのかなあと。

人の不幸は蜜の味の典型と
言えますが まあ歴史ですので。

そしてドラマチックな展開には 
そこに人の欲望から発する権謀術数や

そのとばっちりの人間ドラマが渦巻いていて 
物事を複雑にしているんですね。

そういうのを物陰から覗き見するような 
わくわく感があるのです。

当然ですが 発生した物事に対する
個々人の本当の考えや思惑はわかりません。

もう時間が経ちすぎていますから。

ですが少し視点を上にずらしてみると 
その人物の置かれた状況や環境から

「そうせざるを得なかった」のか
「自ら望んだこと」なのか 後世の人間でも 
だいたいの想像はつくのですね。

人間の行動には必ず理由がありますし 
時代が違えど同じ人間ですから。

ところがこの「本能寺の変」に関しては 
起こした張本人の行動の理由が こういう
ざっくりした見当の域を出ないのですね。

日本の歴史を大きく転換させた
大事件であったのにも関わらず です。

そこが歴史大好き人間の琴線に
触れるというか爪とぎされているのでしょう。

「わからない」というのは 
興味を掻き立てられますから。

人間というのは100人いれば100通りの
感覚があるのと同じですから 同じことを
見聞しても見解が変わってくるのですね。

なので多くの人が多様な視点で史実やら
一級の史料やらを検証することで

たくさんの見解の中から もしかすると
真実に近いものも出てくるかも。

残念ながら 正しいかどうかの検証は
不可能ですが みんなで意見を
出し合って喧々諤々議論をするのは 
学校のクラブ活動みたいで楽しそう。

それはそれで歴史を研究する
一つの面白さ 醍醐味といえます。

どういう結論であれ その過程が
活気にあふれるというのは 

その分野の研究がとても盛んで 
みんなから愛されている証拠ですよ。

できることなら 本人の口から
どうしてあの時京都へ引き返したのか

どうして信長を討ったのか 
聞いてみたいですよね。

ま、これは私や一般の人だけじゃなくて 
研究者のみなさん全員が心の底から

そう思っておいでのことと
お察ししております。

で、ありますので 妄想を
加速してお送りいたします。
 
 

不明な動機は 人を惹きつけて止まない

 
戦国時代大好き人間の方たちに 
こよなく愛される織田信長公ですが

私はああいう人はちょっと怖いので 
庭石の陰からでも そおおおっと
見ていたいタイプのお殿様です。

間違いなく何か粗相をやらかして 
お手打ちにあうと思うので。

短気で気分にムラのある人ほど
厄介なものはありません。

光秀さんが謀反に及んだ理由として
一番もっともらしく語られているのが

感情の起伏が激しい信長さんの
パワーハラスメントですよね。

お殿様の場合 短気や気まぐれを
いさめたりする人がいないだけに

天井知らずのわがままをかまして 
配下の者や使用人たちが迷惑するんです。

本人が気づかないうちに 周りの中に
行き場のない恨みや憎しみが

募ってしまうという最悪の
人間関係にしかなり得ませんからね。

いわゆる状況証拠から 
さもありなんという理由づけです。

ただ光秀さんは 信長さんとこに
採用してもらって とても感謝している
という内容のお手紙とか残っているんですって。

信長さんの仲間に入ってから めきめきと
頭角を現し 光秀さんの才覚を信長さんも
認めていて とても重用していたみたいです。

初めの頃はとてもいい関係だったのに 
いつかすれ違いが起こって大爆発?

戦国時代は 味方以外は全部敵だったので 
寄らば大樹の影だし 仲間にならなければ 
いつか攻め滅ぼされるのは目に見えていました。

いじこじされても一族と領民のため
我慢しなくてはならなかったという
事情もあるかと思いますので 
我慢に我慢を重ねていた…。

心情は理解しますが それだけでは
動機としてはまだ少し弱いような…。

ずっと一緒にいて様々な命令をこなすうちに
出てきた 野望とも言える天下統一。

このお題目のためにまい進する方法や 
その後の国のあり方とか施策・方針に

何か相容れないもの あるいは
一抹の不安を感じ始めたのでは…?

「こいつに日の本を任せて 大丈夫か」みたいな。

歴史の好きなみなさんは 
どのように思われるでしょうか…。

えーと 明日に引っ張ります。
 
お読みいただきまして ありがとうございました。
 

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