「節分」とは大晦日?! 豆を撒いて邪気を祓う!

節分

 

ついこの間 年があらたまったと思ったら
あ~っという間にひと月過ぎて
今日はもう「節分」となりました。

遠い昔 日本に伝わった
「追儺(ついな)」という
中国の風習が元々とされています。

「節分」も漢字も古えの中国産漢字の印象からは
良くないことや困ったことを追い出す
追い払ってしまうみたいなことでしょうか。

漢字も中国で生まれたものですが
その使われ方や本来の意味は
時間とお金をかけて輸入した
日本の漢字とはずいぶん違うそうです。

当然ですよね 本来は外国語ですもの。

ですが手に入れた以上 当たり前のように
カスタマイズするのは 昔からだったのね。
 

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ついでなので 漢字のおさらい

日本にはもともと古くから使われてきた
日本語(やまとことば)がありました。

書き文字として便利だった漢字の音だけを使って
書き記していましたが いつしか
面倒になったんでしょうね。(笑)

なぜなら音だけで漢字を使うと
同じ音なのに文章を書いた人によって
別の漢字があてられる可能性があったから…

というか実際にあって後から別の人が読む時
すらすらと判読できず
悩ましいことになるからです。

それくらいなら初めから音を現わす字を
決めてしまえばいいのですね。

輸入した漢字をばらして 略したり
崩したりして 新たな文字を創造しました。

日本語に合うように改良を重ね 今に至っています。

このように文字に手を加えた痕跡から見ても
先に固有の言葉があって 後から
書き文字を当てたということが
はっきりわかります。

1音1文字にしたことで覚える字数は
英語などの倍ほどになりましたが
綴りの問題を解消しましたし

定型詩の漢詩をさらに音だけで構成し
ついにはたった17文字や
31文字の定型詩を完成させました。

ただ漢字は元々の読み方に近い音と
日本語の読み方や 後からつけた意味などが
ほぼ全部残る形になりましたので
かなり複雑なことになりました。

これこそが「言霊の幸(さきわ)う国」の
神髄であり その複雑さをも楽しむ
余裕すらあると思うのです。

なぜ一つの漢字に何通りもの読み方や意味が
あるのかと 問われたらこう答えて下さい。

途切れることなく連綿と使い続けてきているので
まるごと残って来たのだと。
あれれ?漢字の話じゃなかったですよね。

 

元の中国では年末に当たるので…

「節分」とは「立」の前日を指す
読んで字の如く二十四節気の春夏秋冬に
「立」がつく日の前日 つまり節目の日のことです。

そして特に「立春」は一年の始まりと
重なりましたので その前日の「節分」は
特に重要視されていました。

冒頭で書いた「追儺」とは その年に起きた
良くないことを邪気として追い払い
気分よく新しい年を迎えたいという
ことだったのかもしれません。

ともあれ いつの時代 どこの人であっても
悪いことや困ったことは起こらずに
済めばいいと思うに決まっています。

鬼として豆を投げつけて 追い払うという形に
なったのは面白いですね。

鬼はともかく どうして豆だったんでしょうか?

子供のころ読んだお話では 鬼との約束を
成就させないようにわざと豆を炒って
芽が出ないようにした…みたいな
記述がありましたっけ。

これを見ると鬼と人間とどっちが悪賢いのか
微妙に思うのは私だけですかねえ。

鬼を禍に見立てて悪いことの代表として
外へ出て行ってもらうという
気持ちはもちろんわからなくはありませんし
そうあってほしいとも思います。

日本人は特に邪を善しとしませんからね。

外国から伝わった風習があまり形を変えずに
千年以上もの間続けられ しまいには
一般庶民にまで伝播するに至ったというのは

人々の願うことにほとんど変わりがないと
いうことに他なりません。

 

「節分」が来れば 思い出す…

ちなみに私の住む地域では豆まきをした後
全部拾い集めるのがたいへんなため
殻つきの落花生をそのまま撒いたりします。

豆だと影の方へ転がり込んでしまうことも
考えられますからね。

まあ落花生だってちゃんと熱が通してあるので
間違っても芽が出るようなことはないですし
見つけ易いので 拾い忘れもなくなりますので。

拾い集めた後 自分の年齢プラス1個の
数え年の分を食べて 残りの豆は袋などに
取って置き その年初めて雷が鳴った時に
雷除けとしていただきますよ。

なぜなら「節分」の豆は神棚に上げて清められ
神聖な力を宿しているので
鬼の仕業とされている雷も
避けられるといわれてきましたので。

その大切な「節分」の豆を 一昨年はどこかへ
しまい忘れて大騒ぎをしました。

家族全員がどこへ置いたか
すっかり忘れてしまいまして。

思えばその年は 雷が鳴らなかったような…
そうでした 確かまともな夕立が
なかったよう気がします。

今年はどのような天候になることか
今の状態では全く想像もつきません。

だってこの辺りで雷が鳴るころは
半年も先の梅雨明けごろのことですから…。

「節分」を迎えたばかりの今は
出入口を厳重に締め切り
ストーブが大活躍中です。

たぶん芽吹きの準備をしているであろう
木々たちも 冷たい風に耐えています。

大寒が開けたとはいえ 真冬の寒さが
続いていますので そんな先のことは…。

…ははん こういうことだからどこへ
しまったか わからなくなるんですね。

失くさないようにしっかり覚えをして
しまっておきたいと思います。(笑)

 
お読みいただきまして ありがとうございました。

 

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