今日は「針供養」 道具に感謝をする文化

針供養

 

今日は「針供養」の日です。

12月の8日にも また今日と
両日 行う場所もあるようです。

今の私たちは ほとんど使う機会が
なくなってしまいましたけれども

ほんの60年ほど前までは
女性はもちろん 男性だって上手に
針仕事をする人が大勢いました。

どうしてか 考えたことありますか?

そう 昔は自分の着るものは布を
織るところから きものに仕立てるまで
すべて自前でやっていたのです。

布にする材料が 高価な素材かそうでないかの
違いなだけで工程は同じでした。

そして針仕事は 女性のたしなみ…つまり
できて当然のことでもあったのです。

非常に身近にあった小さな道具 針。

折れたり錆びたりして使えなくなった針に
感謝をもって供養をしました。
 

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針は人類の優れた発明品

身近でしかも必要不可欠だった針。

数万年前から 人類が発明し使ってきました。
ただ古いものは糸を通す穴はないそうですが。
動物の骨などを削って作ったようですね。

人類が衣類を必要としたのは 気候変動が
理由だろうと想像できます。

地球規模で寒冷化したため 着るものが
必要になったのでしょうねえ。

今年の冬は寒い…程度ではなく氷河期ですから。

単に動物の皮を巻き付けた程度では
何かと都合が悪かったんでしょう。

尖らせた骨で穴をあけ ひもで結ぶのを
繰り返せば ほら簡易コートの出来上がり。

飢えと寒さを耐え忍び 生き抜いたご先祖様です。

服飾の歴史は ここから始まったとも言えますよね。

そうそう針を使うのは服飾ばかりではありません。
古い時代の釣り針も発見されていますね。

お魚がパクっと食いつく今のような形ではなく
かなり大きいので お魚をひっかけて
捕まえるような道具だったみたいです。

その後の針は急速に進化を遂げていきます。

防寒だけでなく服飾の要請が高まったのでしょう。
材質も これまた人類の発明品である鉄製に。

より丈夫により細くたくさん作れるようになり
戦争や交易などによって世界中に広まりました。

針ひとつで 人類史が妄想できますな。けけけ…

 

全てのものに心が宿る

さて「針供養」に話を戻しましょう。

日本では着るものは自前で作りました。
長くそういう時代が続いたんですね。

室町時代には今のような縫い針があったそうです。

貨幣経済が国内にきっちり行き渡っていたとは
言い難いですし 物々交換や譲り合いなども
多かったと思われますので 何とか
なっていたのでしょう。

昔のことですから 本当にむき出しの
鉄の針だったと思いますし 必需品なので
大切に扱ったとイメージします。
すぐに錆びるし 折れるし曲がりますので。

普段着から晴れ着まで 自分で着るものは
自前で調達しましたから 針も大忙しだったし
その意味ではひょっとすると消耗品だったかも。

そんな消耗品でも いつも世話になっている
身近なものには心が宿ると考えたのが
日本人なのです。

江戸の頃の信仰も手伝って 庶民にも広がり
「針供養」が行われるようになりました。

今でも服飾関係や きものを仕立てるお仕事を
されている方々が針に感謝と労(ねぎら)いの
気持ちをこめて「針供養」をしています。

お豆腐やこんにゃくなど柔らかいものに刺して
日ごろの苦労をねぎらうんですね。

ずっと続いてきたということは そういう
気持ちや行為が共感を呼んで 理解され
支持されてきたということです。

私は すてきなことだと思います。

 

身近なものにこそ 感謝を

手芸のコーナーなどに たくさんある針。

これらはそれぞれのサイズにぎゅーっと
伸ばした鉄の細い棒を 揃えて切ったあと
先端を削って 尖らせるんですって。

反対側の糸を通す穴は 別に作って
あの形に回りを削って成形するですと。

さらに今ですから 防錆を兼ねてだと思いますが
塗装もしているそうですよ!

ただ医療器具の針はもっと大変で 一つ一つ
職人技を駆使しているそうです。
こっちはとんでもなく すごい。

普段 気にも留めないものだって 店頭に並んだり
ネットで買えるようになるまでには労力が
かかっているんだなあと あらためて感心。

目の前にあるものを 当たり前だと思っては
いけないんですね。

昔 家庭科で自分の浴衣を仕上げろという
夏休みの宿題が出ました。

きものを縫う時の針の動かし方を
「運針(うんしん)」と言いますが
慣れないと結構つらいです。

半分ほど 母に縫ってもらいましたが
先生にはバレていたと思います。

 
お読みいただきまして ありがとうございました。

 

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