今日は元老院が「アウグストゥス」を認めた日

帝政ローマの始まり ガラス窓

 
帝政ローマの始まり
 
何のこっちゃ?的タイトルですね。(笑)

紀元前27年の今日 1月16日
古代ローマの議員たちである元老院は

オクタヴィアヌスに対して
「アウグストゥス」を認め承認しました。

この場合の「アウグストゥス」とは
人の名前ではなく

全てを掌握する権力者を
意味する称号の方です。

そしてこの日から事実上
「ローマ帝国」になりました。

つまり「選挙」で選ばれた議員が
政務を執り行うのではなく

「皇帝」という一つ上の立場の者が 
全権を握ることになるのに 
元老院は気づかないまま
認めてしまったのです。

オクタヴィアヌスはこの時から
「インペラトル・カエサル・アウグストゥス」と
名乗るようになり ここに
初代ローマ皇帝が誕生したのです。
 

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言葉巧みに支配者へと変貌

 
ややこしいので同じような名前を 
あれこれ名乗らんで
もらいたいのですがっ!

現代の私たちは よく
忘れているのですけれど 

「ローマ帝国」は長い間
議院内閣制のような 民主主義に近い
政治形態を取ってきました。

名前こそ「帝国」ですが 
これは本国の領土の他に
支配地域を持つ国という意味で

「国王」「帝王」「皇帝」といった
いわゆる「支配者」や「独裁的に全権を
持つ者」がいたわけではないのです。

政務を司るのは元老院であり 
その中で権謀術数や暗殺があるなど 
やり方としてはけっこう乱暴ですが 

一応 発議 討議 議論 話し合いで
政務が行われていました。

そして当然のことながら
「支配者」の存在を許さず 
認めることはなかったのです。

一人に権力を集中させることはせず
「三頭政治」と言われる形を取っていました。

オクタヴィアヌスは虚弱な体質で 
軍才もあまり持ち合わせていませんでした。

生まれも騎士階級でしたし 
5歳で父親とは死別しているそうです。

そして母の再婚に伴い 姉と一緒に
新しい父親の元で養育されたのです。

生前のカエサル(シーザー)は
どのような意図で 彼を後継に指名したのか
(一応 オクタヴィアヌスからみて 
カエサルは大叔父にあたるそうですけれど)

たった18歳の無名の青年が 
指名を受けていたことに 他の誰でもなく
当のオクタヴィアヌス本人が
驚いたくらいでした。

しかしここから徐々に力をつけていき 
クレオパトラのエジプトに勝利した時は34歳。

元老院から「プリンケプス」の称号を受けました。

これは元老院の第一人者
という意味だそうで 元老院の院長とか
そんな感じかしら?

とにかく出世したことは間違いないようです。

さて その凱旋から2年後の
紀元前27年 1月13日 
オクタヴィアヌスは元老院で 
驚くべきことを言い出しました。

これはこれまで彼が手にしてきた 
様々な称号を返上するので「共和制」に
戻ろうではないか!と ぶちかましたのです。 

突然の提案に元老院は びっくりしたけど
大喜びで拍手喝采の嵐。

さらに軍の指揮権を二つに分け 
楽な方は元老院が 実際に

出動もあるかもしれない方は
オクタヴィアヌスが
引き受けるとたたみかけました。

もちろん実戦などしたくない元老院は 
ええ~そんな…いいの~?的に大喜び。

実はこの演説 すごい策略が隠されてて 
オクタヴィアヌスが放棄した称号は 
ほとんど戦時下で有効なものだけで 

平和になった帝国では
意味のないものばかりでした。

そして直後にぶちかました
軍の指揮権の方は やりようによっては
全軍の掌握に繋がり 事実上カエサルと同じ
「イペラトル」を手に入れたのです。
 
 

誰も気づかなかった帝政への道

 
そして 1月16日 カエサルの
かつての副官ルキウスから 

オクタヴィアヌスに
「アウグストゥス」の称号を
贈ろうではないかと提案され 
元老院は満場一致で快諾。

しかしオクタヴィアヌスはこれを
(わざと)何回も辞退した上で
やっと承諾しました。

全権を元老院へ返上した上で 
承認され譲渡されるという形をとることで 

誰にも気づかれずに 帝政へと
移行することに成功したのでした。

ちなみにこの初期の
帝政ローマ帝国の政治体制は 

後の「専制君主制」と区別する意味で
「元首政」と呼ぶのだそうです。

この後40年ほどオクタヴィアヌスは
帝位に居ますが その間にずっと後世まで
引き継がれる いくつものしきたりも作りました。

―彼はプリンケプス(元老院の第一人者)であり、
元老院の議長として、討議の議長を
務めたり提案を行うなどした。

 彼はインペラトルであり、
ローマ軍団の最高司令官であった。

 彼は執政官あるいは執政官命令権保持者であり、
首都ローマを含むイタリアの行政長官として、
本国に対する支配権(インペリウム)を持った。

 すなわち、本国内のあらゆる
政務官に対し指揮・監督する権限を持った。

 彼はプロコンスル命令権保持者であり、
属州に対する支配権(インペリウム・マイウス)を持った。

すなわち、全ての属州総督に指令する権限を持った。

 彼は護民官職権により
身体不可侵権を持ち、ローマ内の

あらゆる行政的な決定や提案に対する
拒否権を持ち、立法権がある平民会の長であった。

 彼は最高神祇官であり、ローマの全神官の長であった。―

               ―ウィキペディアより―

紀元前14年の 8月19日に
胃腸を患って76歳の生涯を閉じるまで 

内政につとめ 平和で安定した
ローマを治めました。

もしかするとオクタヴィアヌスが
皇帝になったことで ローマの繁栄が
もたらされたのかもしれないなあと 
思ったりしました。
 
お読みいただきまして ありがとうございました。
 

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