今日はシュヴァイツァー博士の誕生日

シュヴァイツア 生誕 ガラス窓

 
シュヴァイツア 生誕
 
1875年 現在の仏国・アルザス地方が 
まだドイツ帝国の領内で 

カイザースベルク(皇帝の山)と
呼ばれていたころの今日 1月14日に
アルベルト・シュヴァイツァーは生まれました。

生まれて間もなく もっとドイツ寄りへ
移り住んだので教育はドイツで受けています。

お父さんは牧師をしていたそうで 
比較的裕福な方だったそうです。

そんな中で彼の将来を決定づける
小さな事件が起こります。

ある時 クラスメイトと
取っ組み合いのけんかになり 
相手を組み伏せました。

すると組み伏せられた少年が
こう言ったそうです。
 

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幼い頃の苦悩が後の偉業につながる

 
「僕だってお前みたいに
肉が入ったスープを
飲ませてもらっていれば
負けるもんか!」

この言葉はシュヴァイツァー少年の心に 
深く突き刺さったみたいで 

同じ人間なのに 自分が
恵まれているのはなぜなのかと 

人の世の不条理、
貧富の差を知って 本気で
小さな胸を痛め苦悩したそうです。

そしてこの苦悩が長じて 
密林で医療活動に従事するなど 
彼の行動を方向づけることになるのでした。

ギムナジウムから
名門ストラスブール大学に進み 
そこで神学と哲学の博士号を取り 

卒業後27歳で同大学の
神学科の講師になりました。

実はこれより数年前の21歳の時には 
「30歳までは学問と芸術を身につけて
その後は世のために尽くす」と
決めていたのだそうです。

さすがに神学や哲学で博士号を、
また後にノーベル平和賞を受賞するような
人ってのは 若いうちから
人間の出来方が違っていますな。

30歳くらいからとか 自分の人生が
一番充実するころじゃあないですか。

それを世のために尽くすとか 
思いつきもしないような決意ですなあ。

で それをまたちゃんと実行に
移すところがすごいのですよ。

30歳になってあらためて
同大学の医学部へ入り、
もう一回学生をやり直したんです。

これはキリストが30歳から
布教活動を始めたという
故事にちなんだものだそうで
すごい敬虔なクリスチャンだったんですね。
(牧師さんの息子だからねえ…。)

学校側も特例として認めてくれたようで 
普段から真面目に勉強していたから
そんな措置をしてくれたんでしょうね。
 
 

敬虔な信仰と勉学の努力が実って…

 
私は子供向けの偉人伝で
読んだだけだったので 初めから
お医者さんになろうと決心して 
なったものとばかり思っていました。

時間を区切って勉強をして 
それぞれにしっかりと結果を出しているとか
もっとすごくて とんでもないんですけど。

で、38歳の時に医学博士の学位を取得して 
当時医療環境が悪かったガボンでの
活動を決意して 現地に出発しました。

えっと…シュヴァイツァー博士 
出身はアルザス地方でしたよねえ…。 

標高は高いけれど気温は低い 
典型的な内陸性の気候だと思われますが…? 

赤道直下のトロピカルな
ガボンと違い過ぎませんか? 
普通なら病気になりますよ。

行動力もそうですが 尋常ならざる
強靭な肉体を持っていたんですねえ。

この地で医療に携わりながら 
41歳にして「生命への畏敬」
という概念に辿り着いたそうで 

これはまたその後の 世界平和への訴えの
根っこになったようです。

ざっくり表現するとあらゆる生命を敬い 
生きようとする他の生命も尊重し
命あるすべてのものとの
共存を目指すものだそうです。

なるほど…すごーい!と
大絶賛したかったんですけども 
んん?小さな違和感。

私は 神学も哲学も医学も
勉強したことないし 熱帯の
ジャングルとか頼まれても
行きたくないし 人の役に立たないし 

これまで普通に日本人やってきただけだけど
「生命への畏敬」なんて当たり前だよね?

ざっくり言っちゃうと日本人なら誰でも 
普通に考えるよね?

だ・か・ら、「いただきます」であり
「ごちそうさま」なんだよね?

反対にこんなに優秀な人が 
とんでもなく違う環境にわざわざ自ら入って
ようやくこの概念に気が付いたの?
ふうん…。
 
 

尋常ではない偉大な功績

 
えっと…で…でもさ ほら医療活動は
素晴らしいよね 誰にでも
できることじゃないし。

ところが第一次世界大戦がおっ始まって 
シュヴァイツァー博士の活動に危機が訪れます。

働いていた場所が仏国領だったもんで 
ドイツ国籍の博士は捕虜として欧州へ
送り返されてしまうのです。 

ありゃりゃ… でも無事でよかった。

その後釈放された博士は 
欧州各地で講演をしたり 

子供のころから習っていて得意だった
パイプオルガンの演奏などで 
病院の資金援助を募ったりしました。

こうして次第にシュヴァイツァー博士の活動が 
世間に知られるようになり 

アフリカでの医療活動と 欧州での
講演などのため 行ったり来たり…。

その医療奉仕活動が評価されて
1952年 ノーベル平和賞を受賞します。

そして1957年からは 核に対して
反対の立場を公言するようになり
核の反対運動にも参加するようになりました。

医療活動は1965年に90歳で亡くなるまで 
ずっと続けていました。

博士は今もガボンの地に眠っています。

医療活動をしながら 神学者 哲学者として
何冊も本を執筆していますし

作曲家J.S.バッハの研究も
していたんですね。

先ほど強引に話題を変えましたけど 
私は博士のことを批判するつもりはないです。

むしろ時代的には ごく平均的な
極めて普通の白人だったというだけのこと。

実際 ガボンでは博士の評価は
あまり芳しくはないそうです。

どうしても上から目線が
外せない人たちだったので 
現地の人からは嫌がられますよ。

その点がとても残念なのですが…。

せっかく「生命への畏敬」という概念に
辿り着いたのに 人間に対してそれが
最期まで実践されることがなくて 
お題目だけになったみたいなので…。

でもですねえ すんばらしい言葉を
残してくれています。

「人生の惨めから逃れる方法は二つ
音楽と猫」だって。にゃあ~お~。
 
お読みいただきまして ありがとうございました。
 

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