今日はポール・セザンヌの誕生日

セザンヌ 生誕 ガラス窓

 
セザンヌ 生誕
 
セザンヌといえば
印象派の印象が強いのですが 

実は途中から いーち抜けた
とばかりに 行動を別にしていて
「ポスト印象派」というらしいです。

「近代絵画の父」と
言われているようですけれど 

それは20世紀の絵画や
キュビズムなどに影響を
与えたからなのだそうです。

実は私 ほとんど一緒だと
思っていたことは内緒にしとこうっと。

肖像画でしょうかねえ? 
ちょっと気難しそうなおじさんですね。

1839年の今日 1月19日
仏国のプロヴァンスに生を受けました。

生家は銀行屋さんだったそうで 子供の頃は
普通の子供時代を過ごしていますね。
 

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大人になってから絵を始める

 
普通に学校へ通いながら1857年から 
市立素描学校へも通い始めます。

バカロレアに合格し 大学では
法学を専攻したようですが 
絵も続けていました。

次第に画家になりたいと思うようになり 
1861年せっかく入った大学を中退して
パリに出たそうです。

ありゃあ 勿体ないなあ… 

バカロレアだって簡単に合格できないんだし
大学だってちゃんと卒業してからでも 
よかったんじゃないかしらん。

パリでは公立の美術学校には入れず 
画塾に籍を置き ここで
ピサロさんに出会いました。

朝は画塾へ 午後はルーブルなどの
美術館でデッサンをしていたそうです。

ところが塾生には馬鹿にされるし 
希望を失って一度は故郷に戻り
お父さんの銀行で働くようになります。

けれどやっぱり夢を捨てきれなくて
1862年再びパリに行き 

以前と同じ画塾に通い始め この時に 
この画塾でモネさんやルノワールさんなどと
お友達になりました。

サロンに応募するも落選し続けたそうで 
当時は暗い色調の絵だったみたい。

私はセザンヌの絵は風景の方が好きですね。

静物も悪くないけれど 人物はちょっとねえ… 
私はどちらかというと
人なら正確に人として描かれている
絵の方が好みなもんで…。

ピサロさんと屋外で絵を描くようになって 
印象派の技法を身につけたようですが

サロンの評価は思わしくなくて
厳しい批評を食らったようです。

たぶん当時のサロンでは 
好まないタイプの絵だったんでしょうねえ。

見ようによっては 
絵を始めたばかりの人が 
デッサンしてたんだけど~ 

途中から色を塗りたくなったので 
塗っちゃったー、てへ
みたいな感じに見えるもん…。 

サロンのセンセイたちには 
何だこれは?と思われて 
受けが悪かったと思います。
 
 

自分の画風を追求し続ける

 
1879年ころ 結局は
故郷に戻って来たようですね。

そして印象派からも遠ざかり 
独自の路線で絵画を
追求するようになっていきます。

友人のつてで1回だけ
1882年のサロンで入選しただけで 
公に認められることは
なかったそうですが 

若い画家さんたちや批評家たちの間では 
少しずつ評価されるように
なっていったのでした。

1886年の春 長い間
内縁関係だった奥さんと正式に結婚しました。

しかし同年の秋にはお父さんが亡くなり 
遺産を手にしたセザンヌは経済的な
苦労から解放されることになりました。 
いいなあ…。

1895年にパリで開いた個展の成功で 
パリでも名前を知られるようになり
晩年までずっと故郷で絵を描き続けました。

そしてアトリエには 若い画家が
次々と彼を慕って集まってきました。

その中の一人 エミール・ベルナールに
言った言葉として

「自然を円筒 球 円錐によって扱う」は 
後のキュビズムにも影響を与えたそうです。

えーーー やだ そんな自然。
そんな風に扱わないで。

何でわざわざ単純化するかなあ…。

構図や配置を決める
素描じゃないんだからさあ。

自然というのは見える通りに描けば 
それはすでにげーじつだと私は思うですけど。 
あ…ごめんなさい。

そして1898年 以前パリで
個展を開いてくれた画商が 

再びパリでの個展を企画してくれたのと 
その翌年のアンデパンダン展に出品したのとで 
パリに居ましたが

これ以降はずっと故郷で制作を続けました。

1900年のパリ万博の際、
「フランス美術100年展」に
出品したのを皮切りに 展覧会へ
積極的に出品するようになります。

そうか パリ万博には 
セザンヌの作品も出品されていたんだねえ。

相変わらず若い画家たちには
人気があったようですね。

ですが寄る年波には逆らえないのか 
弱気な手紙を書いたりもしています。

ただ「絵を描きながら死にたい」と
言っている気持ちはよくわかります。

本当にそうだったら とても幸せな気分で
この世を去れると私も思います。

そんな手紙を書いた1906年の10月 
野外での絵を描いている時に大雨にあい
体調を悪化させたのち 

肺充血を発症し10月23日の朝 
67歳の生涯を閉じました。

ずっと在野の研究者みたいな
芸術活動でしたけれど 

自分の道を突き詰めること
これだって立派な芸術活動なんだなと 
セザンヌの生き方を見て思いました。

人の評価なんざ気にすることは
ないってことですよね。

時間の経過とともに 
人も見方もそれに伴う評価も 
変わって来るんですから。

そんな中で変わらない価値を持つもの 
それが芸術…というものですな。

心のままに自分のスタイルを
追求していたら 見ていてくれる人は
きっといる…。
 
お読みいただきまして ありがとうございました。
 

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