毎月22日は強引にねこのお話 ねこ好きのこだわり

 
ねこの日2
 
というわけで 毎月22日を勝手に 
ねこの日ということにしております。

ぐだぐだをぶちかましますので 
どうぞ我慢して
お付き合いくださいませ。

無類のねこ好きを自称していますが 
実はねこさんなら何でも
いいわけではなくてですね 

ヘンな「こだわり」がございます。

「こだわり」…というか
ただ単に「好み」の問題かもしれません。

実は自分でもよくわからないのです。

…自分でわからないものを
ネタにするなんて

そのレベルなアタマの程度を
露呈しているに過ぎなくて
お恥ずかしい限りです。

ただふぅ~んと思って読んでやって下さい。
 

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ほとんど どうでもいい話なのですが…

 
好きなのは生きた本物のねこさんと 
写真または動画のみ。

これ以外の例えば 
子どもの落書きのような
くだけたねこさんの絵とか

イラストの類 ぬいぐるみなどの
立体造形物などはちょっと苦手です。

スリムで優美なねこさんの
シルエットを図案化したものは

ぎりぎり許せるのですが 
どんなに可愛らしく作られていても

いわゆるグッズの類は 
ほしいと思わないのです。

生体か 写真などしか
好まないということは 

形だけ真似したものは
好きになれないと
いうことなのかなと思います。

写真や映像は そこに写っている
ねこさんが実在していたがゆえに

映像になっているわけで 
生きたねこさんの存在を感じられます。

ですがイラストやグッズと
呼ばれるものには 作家さんの
感性の方が前面に出ていて 

モデルはいる 又はいたかも
しれないのですけれど

作家さんの感性を通した時点で 
オリジナルからは離れて
「作品」になっているのです。

なのでそれらを見ると
「ねこさんの造形をなぞったもの」とか

「ねこさんの姿を借りたもの」に
感じてしまうのだろうなあと。

ねこの形をしていれば 
それでOKという
わけではないという所に

ムダな「こだわり」が どっかりと
居座っているのでした。

そしてその存在を容認しているどころか 
そっちの方に主眼が偏っているという

もうほとんど そういう風にしか
モノを考えられないヤツになっとります。

一方で 作家さんなどの
「作品」とは そういうものであり 
また そうあるべきだとも思っています。

なぜこんな一文を加えるかというと 
言うのも恥ずかしいですが

私もちょっくら絵を描きますので
「作品」に対して かく有りたいという
理想の姿は持っているものですから。
 
 

普通にねこ好きなバカということで…

 
造形としても ねこさんの姿は
均整がとれていてこの上なく美しいです。

身体こそ小さいですけれども 
大変に優れたハンターとして 
食物連鎖の頂点に君臨していますから 

それに相応しい姿をしていると言えますね。

あるがままで ただそこにいるだけで 
十分美しいのだから 人間ごときが

それをどんなに真似したところで 
再現なんて無理なのだよと…。

私たちの姿をちゃんと写してみなさいよ、
できるものなら…ねええ。

…と、あの宝石のように澄んだ目で 
ねこさんに言われているよう…。 

あー 今気が付いたけど 
ねこさんの美しさを再現できないのは 

才能も技量もない私だけ
だったりするのかい…?(;o;)

まー、あれこれ考えを巡らせても 
実のところ生きたねこさんを前にすると 

そういうぐだぐだは吹っ飛びますので 

ヘンなこだわりの理由は
正直なところ自分でもよくわかりませんし 
どうでもよくなっちゃいます。 

私にとってねこさんというのは 
生きていて そばにいてくれることが基本。

あとは姿を見れば触れたい 
なでなでしたいという衝動に駆られ 

無駄に近寄ってはお怒りをかって 
制裁を受けているわけですが…。(>.<) そ・れ・で・も、柔らかくてふわふわで  温かいねこさんに触れていると この上ない幸せな気分に浸れるので  いかなる制裁もいといません。 この幸せは5年前からねこさんと 一緒に暮らせるようになって しみじみと実感しています。 ねこさんにとっては迷惑かもしれないけれど  猛烈な片思いは延々と続くのです。 そう私が無事で元気で  ねこさんのお世話ができる限り  決して尽きることはありません。 しつこくうるさいお触りやもふもふは  私の愛情表現以外の何物でもないのです。 そして ねこさんも 私の愛に少しは 慣れてほしいの。うふっ(ねこさん、うげげっ) こうして今日も「病」はますます 悪化の一途を辿るのでありました。   お読みいただきまして ありがとうございました。  

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