栄耀栄華を極めた平家 壇ノ浦に滅ぶ

 
壇ノ浦
 
今日 3月24日は
「平家にあらずんば 人に非ず」とまで
言い放った平氏が 壇ノ浦に敗れた日です。

時に1185年 栄耀栄華を極めた
平氏もついに滅亡しました。

鎌倉幕府がこさえた幕府の正史
「吾妻鏡」では この合戦の模様は

すんごく簡単に書かれていて 
ほとんど様子がわからないそうです。 

通常 勝った方が歴史を書きますから 
長年の宿敵を滅ぼした合戦だったら 

もっと味方の活躍を事細かに
残すのが普通でしょうに ねえ。

それそを数行でさらりと終わらせたのは 
どうしてでしょうね。

普通はもっと盛り盛りの英雄譚のように
書くものではないのかしらん?
 

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源・平それぞれに事情があった?

 
日本特有というか あった事実だけを
淡々と箇条書きにした業務日誌みたいな

歴史書しか作らなかった
日本人らしいと言えばそれまでなのですが。

もしかして平家滅亡の立役者が 
頼朝さんを怒らせちった
義経さんだったからですかね?

どうも義経さんが出陣したのだって 
頼朝さんの許可を得ていなかったみたいだし

勝った後も朝廷からほいほい官位を
うけちゃったりしてるし もちろん

義経さんにそんなつもりは
全くなかったと思うのですが…。

結果的にそういう振る舞いが 
頼朝さんを蔑ろにしたような
印象が大きいですからね。

戦が上手で連勝を重ね あっという間に
平家を滅ぼしちゃった義経さんに 

底知れない脅威を
感じていたのかもしれません。

まあこの兄弟げんかは少し後のことですので 
話を平家に戻します。

そんなわけで正史になかば
無視された感じの壇ノ浦の合戦ですので

「平家物語」などのいわゆる
軍記物に合戦の様子を
見るしかないみたいです。

平家はもともと大変優秀な
水軍を持っていたのですね。

宋と交易をしていたので 船乗りたちとも
付き合いがあったのでしょう。

平家の財源は宋との密貿易でしたからね。
ぷぷぷ…

平清盛が建立した厳島神社は
水運の神さまですし 
水と縁が深かったのですね。

平氏も源氏ももとは臣籍降下をされた
天皇の親王を祖としています。

平や源といった姓を天皇から賜り 
家を興したのですね。

ということでいわゆる血筋から言えば 
どちらもほぼ互角で引き分け。 

平家がじわじわと朝廷など
政治の表舞台にまで 

入り込んでいくのと同時に
源氏に対しては都から遠い東へ追い払って 

極力影響力を削ぐなど 
一見決着が着いたかに見えました。

でもしっかり火種を消して
おかなかったのが災いして 

遠く離れたところで 勢力を蓄えた
源氏の台頭を招いてしまします。

もしも頼朝らを流罪ではなく処刑していたら 

平家はもっと長くわが世の春を
満喫できていたかもしれない…
なんて妄想するのですが…。

たぶん源平の雌雄を決する戦いは 
避けられなかったと思われます。

ですが源氏の棟梁と
担がれるかもしれない血筋を 

しっかりと絶っておいたら 
彼らが勢力を盛り返すのにも もう少し
時間がかかったのではないかなあと。

ちょっと地方の力を見くびり
過ぎていたのかもしれませんね。

あるいは平家はわが世の春を
満喫し過ぎて つい脇が甘くなったとか…。
 
 

時代の潮目が変わったとしか…

 
えーと 壇ノ浦の合戦でしたね。

優秀な船乗りを擁していた平家軍は 
最初はかなり優勢だったみたいですが

なにしろこの時はすでに都落ちしていたので 
武器などが限られていたようです。

さらに優勢だった潮の流れも変わってしまい 
近くの岸からも矢を射かけられ

敵の船からも雨のように 
矢が飛んでくる有様だったそうです。

さらには平家が劣勢とみるや 
寝返る者も多く出たとか。

そうなんですよね 所詮寄せ集めの
兵力でしかなかったため 離反が多く

本当の平家の家臣というのは 
あまり多くなかったのかもしれません。

ここに因縁の対決は
ようやく決着を見るのでした。

「平家にあらずんば人に非ず」と
豪語した平家ですけれども 実は
栄華を誇ったのは25年間のことでした。

意外と短かったのねと感じたのは
私だけかもしれませんが 

一気に頂上まで駆け上がり 
そして駆け抜けていった…そんな印象です。

生き物の進化や それによく似た
経済成長などもそうですが 

一気呵成に頂点まで
がーーーっと駆け上がったものは 
その継続が非常に難しいのです。

自らが築き上げたものの大きさや重さに
耐えられず 自壊する傾向にあります。

形としては富士山のような単独峰を
イメージしてもらえばいいでしょうか。

反対に長い時間をかけて進化した生物や 
緩やかだけれど確実な成長を遂げて

トップにある経済などは 少々のことでは
揺らがず 高いレベルを継続できるのです。

どちらかというとアルプスのような 
高い峰が続く山のイメージですね。

いずれにしても平氏には 
武家が公家に成り代わって

政をするという基礎を築く
そんな役割があったのではないでしょうか。

時代としては過渡期でもあったので 
平家は武家でありながら公家のように

振る舞いたかった…あるは
公家になりたかったのかもしれませんね。

私は平氏というのは刀を持った
公家だとイメージしています。

そしてより武家らしいのは源氏の方で 
坂東武者などとも呼ばれますが

何となく荒っぽい感じの武士
というか武者 そんな感じです。

時代の大きなうねりの中を 
それぞれの一族や部下たちの
命運を一身に背負い

戦という形で雌雄を決しながら
生きていた人々がいました。

私たちの遠い遠いご先祖さまたちです。

祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響き有り……
 
お読みいただきまして ありがとうございました。
 

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