伝説の歌姫マリア・カラスが亡くなった日

マリア・カラス忌 ガラス窓

 
マリア・カラス忌
 
今日 9月16日は伝説の歌姫
マリア・カラスが亡くなった日です。

といってもオペラなどに興味がないと 
誰それ?となるかもしれませんね。

とてもきれいな人でしたよ、
ソプラノ歌手とは
思えないほどスリムでしたし。

私は欧州の出身だと思っていたのですが
ニューヨーク生まれ米国人だったのね。

黒い髪がエキゾチックな
印象だと思ったらギリシャ系の人だって。

白人系で黒髪の人はとても
きれいで好きなんですよ。

たった13歳でギリシャへ行って 
アテネ音楽院で学んでますね。

すごいなあ 誰かに後押しして
もらったのでしょうかねえ。

で もっとすごいのはその2年後には 
舞台に立っちゃってるってこと。

アテネ王立劇場って本格的なんですけど。
 

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豊かな才能に恵まれていた

 
たった15やそこらの若い女の子が
立てる舞台じゃないですけど。

演目は1幕ものの短い
作品だったそうですけれど 

マリアさんの役は 
けっこう大きい役どころですよ。

マリアさんの評価が高いのは 
歌のテクニックもですが

演技というかお芝居が
上手かったようなのです。

オペラってほぼすべてのセリフが 
歌でできていますよね。

ただ歌が上手とか 難しい
技巧的な歌でも楽譜通りに歌えるとか
それだけではよろしくないらしいです。

演出とかもあると思うのですが 
演技力のある歌というか

歌唱力というか そういうことに
優れていたようですね。

ソプラノの歌をただの歌手の
見せ場というより お話の中で
よりドラマチックな場面として
見せるようにしたのが
マリアさんだと言われているそうです。

小難しいことはよくわかりませんが 
声楽家の声は楽器と同じです。

自分の首を中心に 頭がい骨や
胸骨まで含めた骨格や 
体全体が声を共鳴させ
響かせるための楽器なんですね。

なので 体格も声楽家の
大切な要素でもあるのです。

つややかで伸びのある声は 
それを共鳴させるためにある程度の
大きさの楽器(体格)が必要なんですね。

ソプラノの声楽家としては 
170センチを超える身長は
大柄といえますが

マリアさんはダイエットに
励んでいたそうです。

私が知っている声楽家さんというのは 
ふくよかな人が多いです。

あれはよりつややかな声のために 
あえてあの体型を維持していると
思っていたのですが… 
そう背の高い人はあまりいないですね。

背が高いと 当然身体全体が
縦長になるわけで ソプラノ歌手としては
声が低く響いてしまうのではないかしら?

楽器などでも低音域を演奏するものは 
とても大きいですよね?

人体でも同じ理屈ですので 
実際に高音域を歌う声楽家さんは 
男女ともに小柄な人…というか 
身長が低めの人が圧倒的に多いです。

それにしてもとんでもない声量の人たちが 
寄り添って歌ったりするのは

お互いにすごく大変なのでは
ないかなあといつも思うのですが
そこら辺りは どうなのでしょうねえ…。

特にソプラノとテノールは だいたい
主人公とヒロインの役どころなので

もの凄い至近距離で歌っていて 
頭がキンキンしたりしないのかあ…?

まあ舞台から お客さんの方に向かって
歌っているから 大丈夫なのかも
しれないけれど 声楽家さんの声って
ある意味立派に「武器」だからねえ。

そうそうマリアさんてば 
驚いたことにダイエットのため

お腹にサナダムシを飼っていたと
言われているんですけどね(げげっ)
真偽のほどは不明です。

極端でえぐいダイエット法として 
聞いたことはありましたが 
よもやマリア・カラスが実践していたとは…。
 
 

華やかな世界が似合う大輪のバラ

 
素晴らしい歌声で世界を魅了し 

名声を得たのにプライベートでは
不摂生をしたり 謎のダイエットなどで
体調を崩し気味だったらしく

次第にオペラの舞台ではなく 
リサイタルの方が多くなっていきます。

声に負担をかける舞台を 
多くこなしたせいもあるかもしれませんが

1958年のお正月 ローマ歌劇場では
主演だったのに 第1幕しか
歌うことができなくて 劇場は
大混乱に陥ったそうです。

イタリアはオペラの本場ですし 
聴衆も耳が肥えていますからねえ…。

ですが同じ年の暮れに行われた 
フランスのオペラ座でのコンサートの
模様はそのまま映画にもなったりしています。

プライベートでは 夫のある身で
ギリシャの大富豪オナシスさんとお付き合い。

またこのオナシスさんてば 
ジャクリーンさんと再婚したくせに 
マリアさんともお付き合いを
続けていたんですよ 
もう…お金持ちは何でも有りなのね。

マリアさんは豪奢な生活を楽しんで 
うらやましい…じゃなくて 

表舞台に出なくなり 1965年の
舞台を最後に 事実上の引退状態になりました。

ポツポツと小さな仕事は引き受けたようですが 
カムバックはなりませんでした。

日本には1973年と74年に来日しています。 

ワールドツアーの締めくくりだったそうですが 
残念なことに この公演が本当に彼女の 
最後に舞台になってしまいました。

そしてまだ53歳という若さで 
パリの自宅で亡くなってしまいます。

1977年の…今日のことでした。

死因は心臓発作とされていますけれど 
諸説あるそうで本当のところは謎です。 

声楽家としては これからカムバックしても 
十分に活躍が可能な年齢ですが…

早すぎてもったいない…
惜しまれる死ですね。
 
お読みいただきまして ありがとうございました。
 

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