9月15日C・ダーウィン、ガラパゴス島に到着す!

ガラパゴス島 到着 ガラス窓

 
ガラパゴス島 到着
 
今日 9月15日は 
あのチャールズ・ダーウィンが 
ビーグル号で ガラパゴス島に
到着した日なのだそうです。

1835年のことでした。

チャールズさんの生まれが
1809年ですから 
26歳の時のことですね。

ダーウィン家は裕福な家庭で 
お父さんはお医者さんでしたし

お母さんの実家は
あのウェッジウッド家だったそうです。

チャールズさんは
お父さんの仕事を手伝うため 
寄宿学校からエディンバラ大学の
医学部へ進学しますが 

当時はまだ麻酔がなかったし
血が嫌だったそうで 
やめてしまいます。(◎o◎)

やっぱり子供のころから 
何かを収集するのが
好きだったみたいで

植物や鉱物 貝殻などを
集めていたそうです。
 

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蒐集が好きな少年は大きくなっても蒐集

 
お兄さんは化学実験が好きで 
チャールズさんもよく
手伝い仲良しでした。

お父さんは博物学は
そうでもないけれど 
庭いじりが好きで(なるほど)

小さなチャールズさんにも
庭が与えられていたそうです。

で、お父さんは医者になりそこなった
チャールズさんを 今度は牧師にしようと

ケンブリッジ大の神学部へ入れ 
神学やら古典やら数学を学ばせます。

実は牧師なら空いた時間で 
大好きな博物学に没頭できるとふんだ
チャールズさんもとても乗り気で 
大学に入学したまではよかったのです。 

けれども ハトコと一緒に
勉強そっちのけで 植物の分類や
昆虫採集に明け暮れていました。

で なぜかエディンバラ大学博物館で
研究を手伝ったりしたそうです。

ここで後まで親しい友人となる
ヘンズロー教授と出会い 
教授に弟子入り~。

一応この先生は聖職者でもありましたけど
…あの…チャールズさん勉強は…?

まあ…若いうちは…なんでも
やればいいんだけども…ね。

とにもかくにも1831年
ケンブリッジ大の方は 
そこそこの成績で卒業しました。

そして恩師ヘンズロー教授のつてで 
大英海軍の測量船ビーグル号に
乗船することが決まったのです。
 
 

いよいよガラパゴス島へ

 
この年の暮れにプリマス港を
出港したビーグル号は 
大西洋へ出ます。

チャールズさんは 
アフリカ大陸の西に
浮かぶ島のひとつ 
カーボヴェルデという所で

火山などを観察し 
航海記録を綴り始めるのです。

その後 大西洋を
アメリカ大陸側に横断し 

大陸の東側を
南下しながらぐるっと回り 

太平洋側に出て今度は
西海岸沿いを北上するのです。 

ここまでダーウィンの話をしているのに 
あの話題は全く出て来ませんよね。

それもそのはず このビーグル号の
5年にも及ぶ航海のあと 

集めた標本の整理や
そこから始まる研究と

航海記録の出版 他の研究者たちの
研究発表など それこそ「種」が
これまで辿ってきた膨大な時間と
同じくらい(←無駄に大袈裟)
時間を要してようやく
まとまる話なのです。

実際の航海中は 船酔いに
悩まされながらも 恐らく
目の前の見たこともない
動・植物にわくわくしながら 

標本作りや航海記録を
つけていたことでしょう。

実際 ガラパゴスで
採取した小鳥の標本は 
どの島での採取か記述がなくて

チャールズさん本人は 
一つの種類の亜種くらいにしか
思っていなかったそうです。

フィンチという鳥が 
島それぞれで固有種だったと
発見したのは 実は標本を整理した
別の鳥類学者の方だったのです。

当然と言えは 当然ですね、
専門家だからこそ
違いが分かるわけですから。

博物学と標本蒐集が好きなだけでは 
違いなどを発見したりできないと思います。

ただきちんと分類して 
やはり専門家の手を
借りているという点が立派だなと。

その中で 少しずつ
「進化論」やらに繋がる考察が
出てきたのだろうと思います。
 
 

満を持して「種の起源」へ!!

 
その「進化論」で世界的に
有名なわけですけれど 

チャールズさん自身は 生前 
地質学者を名乗っていたそうで 

実は今でも地質学の方が
本業とされてるみたい。

ビーグル号が最初に立ち寄った所も
火山島だったようですし 

ガラパゴス諸島も 火山が
隆起してできた島々ですもんねえ。

ガラパゴス諸島での滞在は 
9月15日から10月20日までの
35日間でした。

彼のことだから夢中で
採集しまくっていたのでしょうね。

このビーグル号の航海は
3年の予定でしたが 実際には
5年ほどかかっています。

チャールズさんは後にこの航海で 
南米の動植物が少しずつ
近い種類で変化していくこと

大型の哺乳類の化石を見つけたこと 
そしてガラパゴス諸島の
動植物が大陸から
遠いのにも関わらず 

大変よく似ていることが
強く印象に残ったと述べています。

これら実際に見たものの様子から
「種」というものが初めから決まっていて
普遍なものとは考えにくいよねえと
感じていたみたいです。

また航海中に読んだ地質学の本で 
地層が長い時間の経過で
作用を受けるように

動植物にも 時間的な作用があり
少しずつ変化するのではないか 

また生息域によって
その変化に適応するんでないのと
思うようになったのだそうです。

非常に科学的な見地からしか
説明がつかないというか 

それまでにない考え方でないと
もやもやしちゃうというか… 

恐らく脳みそに汗をかきながら
考えたことと思います。

豊かで広い知識をもってしても
「新しい考え」に
落ち着くまでは そう簡単では
なかったであろうことくらいは 
私でも想像できます。
 
 

カメの一生も長い

 
生物の多様性をカチッと
理屈にあてはめるなんて 
誰も考えなかったと思いますし。

新し物好きの日本人は 
すごく素直に受け入れて
理解しましたが そうでない人も
まだたくさんいるんですよね、地球上には。

ちなみに このビーグル号で
ガラパゴス諸島に行った時 

チャールズさんが現地から
連れて帰ってきたとされる 

ガラパゴスゾウガメのハリエットは 
2006年 6月22日まで
お健やかに過ごされて
おいでだったそうです。

推定175歳。\(◎o◎)/!
 
お読みいただきまして ありがとうございました。
 

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