今日はSFの巨匠アーサー・C・クラークが生まれた日

ACクラーク 生誕 ガラス窓

 
ACクラーク 生誕
 
今日12月16日は 英国が生んだ
20世紀のSFの巨匠
アーサー・C・クラークが生まれた日です。

1917年ですので
生誕から100年を超えましたね。

少し前になりますがアイザック・アシモフ、
ロバート・A・ハイラインと
SFのビッグスリーと言われた大作家さんです。

クラークさんの場合はハードSFと言われる
分野の作品が多いのです。

他のお二人は 科学的空想小説というか
普通のSF作家さんです。 

わざと漢字で書きましたが これは
同じSFでも趣きが違いますので
このように表記してみました。

ハードSFというのは設定や考証などが 
実現可能なものをベースにして
作品を描いているものを指す言葉です。
 

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やっぱりさ 物理と数学だよね…

 
クラークさんの作品は深い科学的知識を持って 
構築されたリアルな世界観を
有している作品が多いのです。

第二次大戦中 英国の空軍で
レーダー技師を務めたことがあり 

戦後の1946年にロンドンの
キングス・カレッジで
物理と数学を専攻しています。

また「メンサ」という知能指数が
高くないと 仲間に入れて
もらえない会の会員だそうです。 

何となくそういう感じはしますけれどね。

それから趣味というか とにかく
スキューバダイビングが好き過ぎて 
そのためにスリランカに
移住してしまっています。

1956年に移住してから後の人生の
ほとんどをここで過ごしました。

難破船を発見して本物のお宝(^艸^)を 
回収したこともあったとか。

クラークさんらしく詳細な記録を残し 
それをもとにノンフィクションの
作品も書いたりしています。

作家活動の他にビジネスパートナーとともに 
ダイビング関連のベンチャー企業を
何度か立ち上げたこともあったそうで 
本当に潜るのが好きだったんですねえ。

2004年のスマトラ島大地震の津波では 
自宅は無事だったものの 海岸沿いの
ダイビング用の小屋やダイビングスクールの
施設などが被害を受けたそうです。

クラークさんは財団も持っているようですが 
ここで災害警報システムの改善に
取り組むようになったそうです。

人間て災害に直面しないと 
その恐ろしさと理不尽さに
気付かないのですよね。

クラークさんのように
優れた頭脳を持っていても 
被災してみないと 自然災害に対する
備えをしようと思わなかったわけですから。

スリランカはインド亜大陸と一緒になって 
ユーラシア大陸をガ~シガシと
押しまくっている真っ最中です。 

しかもベンガル湾を挟んで
東側には火山列島が ぎっしり
並んでいますからねえ。

押しをかましてる方ですけれど 
反対側の火山たちの所で

ぐらりと揺れれば 海の向こうから
巨大なうねりがまっつぐ
押し寄せて来るのです。怖いよう。
 
 

偉大な才能が関わった巨大プロジェクト

 
私は「2001年宇宙の旅」の
映画バージョンを見たに過ぎませんけれど 

この作品は クラークさんと監督の
スタンリー・キューブリックさんのお二人で

アイディアを出し合って 映画は監督が 
小説はクラークさんがといった具合に 
それぞれに作られたもののようですね。

小説バージョンは「パラレルワールド」と
但し書きがあるようですが
他にシリーズとして3作品あります。

映画の方は製作期間が長くなったようですし 
監督の思いつき(?)でしょうか
独断による変更がいくつかあったみたいです。

全編に渡って極力セリフを排除し 
場面ごとの具体的なナレーションなども
すべてやめたのだそうで 若干の
分かりにくさもあった気がしますが 

今思うととても斬新な作りですので
「鬼才」の名はダテではないなと。

何でも美術の担当として 
漫画家の手塚治虫先生に
協力を依頼したのだとか。

ですが当時手塚先生は 
どうにもならないほど忙しくて 
実現しませんでした。

映画のエンディングでクレジットは
されていませんが 非常に多くの
企業などが協力した とても規模の大きな
プロジェクトだったようです。

だってほらクラークさんが原案に
関わっているじゃないですか、なので
「ハードSF」という認識が 
みなさんにあったのではないでしょうか?

音楽はクラシックの曲が
多く使われており 今でもその曲を聴くと

映画の場面が脳裏に浮かぶという 
非常に強い印象を受けています。

というか強く結びつき過ぎていて 
他のイメージに上書きできない…。

ともあれクラークさんが残した業績は偉大で 
女王陛下から騎士(ナイト)の
称号もいただいていますし
(英国とスリランカの二重国籍なので)
人生そのものがSFみたいな人ですね。

難破船の調査をしようとしたあたりから 
ポリオに罹患したそうで
晩年は車いすの生活になったそうですが 

2007年に探査機カッシーニが
土星の衛星イアペトゥスを使って
フライバイ(重力反発を利用した加速)を
したことにビデオメッセージを
発表したりしました。

これは 映画「2001年宇宙の旅」の中で 
この衛星が重要な役割を
果たしていたことにちなむものだそうです。

同年の暮れにはファンや友人に対して 
別れの挨拶をビデオ収録したそうです。

そして2008年の3月19日 自宅で
90年の生涯を閉じました。

まさに巨星落つ…のイメージですが 
さすがと思わせるのは 自分の寿命を
冷静に分析し しっかり
ラストメッセージを残しておくあたり。 

もしかして本当は別の生命体が送ってきた 
幻影の人間だったのではないの?
とか思ったりして…。
 
お読みいただきまして ありがとうございました。
 

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