今日は暴君の代名詞ネロが誕生した日

ネロ生誕 ガラス窓

 
ネロ生誕
 
ローマ帝国の皇帝ネロというと 
「暴君」という言葉が思い浮かびますが

生れた時は普通の
赤ちゃんだったはずですね。

ものすごく複雑な系統図になる皇帝では 
かなり初めの方の人です。

第5代の皇帝ですので 血統では
由緒正しい生まれですね。

正式な名前では(私が)混乱するので
ネロさんで通します。

先にも言いましたが両親はともに
初代皇帝からつながる人たちなので

男の子だったし 後ろ盾さえ
ちゃんとしていれば皇帝になれる
立場の生まれではありました。

ですがこういうことって複雑奇怪な
政治力が働きますので いつ誰が
どうなるのか誰にも先が読めません。
 

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迷路みたいな系統図のローマ皇帝

 
ネロさんが生まれたのは
37年のことでしたが まさにこの年に
皇帝の座に就いた人が「カリギュラ」さんでした。

ネロさんが3歳の時 父君が亡くなってしまい 
生母の小アグリッピナさんと
その妹の二人は「カリギュラ」さんによって
ローマから追放されてしまいます。

父君の遺産は「カリギュラ」さんに
分捕られてしまい ネロさんは
叔母君に預けられて育ったのです。

ところが6歳になった時 
「カリギュラ」さんが暗殺されてしまいます。

そして伯父に当たるクラウディウスさんが
帝位についたことで 生母とその妹は
再びローマの地に戻ることができ 

また親子が一緒に
暮らせるようになったのです。

血筋が良くてもそれが返って
仇になることもあるのですね。

さらに皇帝になった伯父さんですが 
皇妃が重婚と反逆の罪に問われ

驚いたことに その後妻にネロさんの
生母小アグリッピナさんがまんまと 
納まったばかりか 息子ネロさんを
皇帝の養子ということにしてしまいました。

このお母さんてば さすがに
「カリギュラ」さんの妹だけあって
やることが えぐい。

実は伯父さん皇帝には 
息子と娘が一人ずつおり
ネロさんはこの娘とめでたく婚約。

息子の方はまだ幼かったので 
ネロさんが先に皇帝になることが決定。

そして54年伯父さん皇帝が亡くなり 
ネロさんが18歳で帝位につきます。

どの皇帝も最初のうちは
よい政治を行っていて
名君賢帝と言われるのですが…

えぐい母君の存在が側近たちと
微妙な緊張を生み始めると

ネロさんの政治姿勢にも
影を落とすようになりました。

母君の干渉を疎ましく
思うようになったネロさん。

自分の思うようにならなくなった
息子に収まらない母君は 

今度は押しのけた先帝の息子が
成人するのを待ち侘びるように。

でもさすがはネロさん この義弟を先に
始末してしまいます。55年。\(◎o◎)/

そして皇妃に不満で離婚したいネロさんは
正面衝突の末 母君を殺害 59年。

62年には側近の一人で近衛長官が死去。
(この人は自然死かもしれない…)

もう一人の側近で知恵袋だったセネカさんは 
引退を申し出て早めに逃亡。

二人ともネロさんのために
とても尽くしてくれた人たちでした。

さらに離婚した元皇妃は
不倫の罪で自殺を強要され 

元老院の人たちが酒宴の席で
ネロさんの悪口を言ったカドで 
さらにさらに元元老院議員らを団体で処刑!

そして65年には 新しい皇帝の擁立を
企んだ連座としてセネカさんまで
自殺に追いやっています。
 
 

「暴君」になるには理由がある

 
「暴君」の名をほしいままにしている
ネロさんですが その最たるものが
64年に起きた「ローマの大火」
と呼ばれる火災でした。

当時で大都会だったのに多くが
木造だったそうですよ 

だから14区のうち10区が燃えてしまい 
完全に鎮火するまで
6日7晩もかかったそうです。

離れた別荘にいたネロさんは
すぐにローマに戻って陣頭指揮を執り 

鎮火や被災者の仮住まいや
食料の手配などしています。

こんなに一生懸命がんばったのに
「宮殿から大火を眺めて 
古謡を吟じていた」とか
言われちゃっているのは
日ごろの行いのせいなのかしらん?

いえいえ実は暴君と言われるのは
この後の行いのせいなのです。

大火の犯人として当時ローマ市内にも
少なからずいた「キリスト教徒」を捕まえて
火あぶりにしたんですって。

これは恨まれますよねえ 
だってこのあと全世界に広まるわけだし 

その初めの頃の
「とても大変だったのよ殉教話」
としてはもってこいの題材ですから。

同時に周りの人間の命を次々に奪った
狂気の皇帝として世界に拡散されちゃったと。

ネロさんよりか少し後の年代に書かれた
「ローマ皇帝伝」の中には

―ネロの章でキリスト教徒に
ついて述べられた部分は
「前代未聞の有害な迷信に囚われた
人種であるキリスト教徒が処罰された」
という1文のみで、これは“ネロの善政”
として挙げられている逸話。―

         ―ウィキペディアより―

…だそうで 一神教徒と多神教徒とでは
受け取り方が全然違いますよね。

むちゃくちゃやったのは事実だけれども 
偏った見方で拡散されている部分も
あるということを ちゃんと知るべきかな。

ネロさんは芸術のパトロンも自負していて 
歌手の真似事が好きだったそうです。

あちらこちらの反乱なども鎮圧していますし 
わりと善政を敷いているんですよ。

ですが68年に今の仏国東部で
大規模な反乱が勃発し 

ローマ市民の支持率が落ち
元老院はネロさんを排して
ガルバさんを次の皇帝に擁立します。

ネロさんは逃亡を図り ローマ郊外の
解放奴隷の別荘に隠れますが 追手が迫り
自らの喉を突いて自殺しました、
まだ30歳だったんですけどねえ。

このネロさんを最後に
ユリウス・クラウディウス朝の
血を引く皇帝は途絶え 

後はすべて軍人さんの皇帝が
続くことになるのです。
 
お読みいただきまして ありがとうございました。
 

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