今日は「鋼鉄の人」ヨシフ・スターリンの誕生日

スターリン 生誕 ガラス窓

 
スターリン 生誕
 
スターリンとは「鋼鉄の人」という意味で 
実は本名ではないそうです。

1878年の今日12月21日を
誕生日とスターリン本人がそう決め
旧ソ連の時代にはお祝いが
行われていたそうですよ。

レーニンの死後 トロツキーとの
権力闘争に勝ったスターリンは
一切の批判を許さない
独裁体制を確立し 君臨しました。

後に文字通り自分が
法律になりましたよね。

その名もスターリン憲法とか…
すご過ぎますなあ。

大変に猜疑心の強い
人物だったそうで 
本当に誰も信用しなかったみたい。

周りにいた人たちも さぞかし
大変だったことでしょうねえ。
 

スポンサードリンク

 

稀代の独裁者の生い立ち

 
実は帝政時代の
地方都市出身だったので 

言葉に訛りもあるし 
体格も小柄だったそうで 

実はいろいろとコンプレックスの
塊だったようです。

生れたのは今のグルジア
(ジョージア)共和国で 

貧しい人が多く治安も悪くて 
粗暴な土地柄だったようです。

父親という人はアルコール中毒気味で
お酒を飲んでは暴れ ヨシフ少年も
ひどい虐待にあっていたのだそうです。

だからって自分の部下や
同胞たちをまるで虫でも
殺すみたいに粛清したり

虐殺していいということには
絶対なりませんからね。

父親が暴れ出すと母親は
ヨシフ少年と共に家から
逃げ出していたそうです。

そのうち普段の仕事で腕力・体力を
つけた母は父親と取っ組み合って
やり返すようになったそうで 
まさに母は強し。

事実上 父親を追い出して
しまったような感じですね…。 

その後強い母の鉄拳は 
たびたび息子への「しつけ」に
使われたようです。

実はヨシフ少年 ロシア正教の
神学校で教育を受けたんですって。

当然途中から無神論者になり 
果ては共産主義に染まっていくのですが。

ざっくりと生い立ちや
彼の人生を見てみても 
共感できるとか ああ実は
こんな人だったのか…
みたいなところが 
全然ないんですけど。

よろしくない話ばかりしか
聞いていないけれど そこは人間だもの、

探せば少しはいいところも
見つかるんでないの?と 
私が思いたかっただけだったと
いうことがはっきりしました。

まだ全然修業が足りません 大甘です。

予想はしてましたが 
どえりゃー人もいたもんですなあ。

どの項目も えええ?と
思うようなことがずらずらと… 

本当に誰も冗談すら
言えなかったんですね この人には…。

でも無敵のスターリンもさすがに
先述の強い母には頭が上がらなかったそうで

臨終まぎわ 自分をよく殴った理由を
尋ねる息子に対して 母は

「だからお前はこんなに
いい人になったんだよ」と言ったそうです。

途方もない皮肉に聞こえるのは 
私の心が薄汚れているせいね きっと。
 
 

本物の独裁者の姿

 
スターリンは家族にも
心を開くことはなかったようですね。

最初の妻との間の長男は 
父親が辛くあたったためか
拳銃で自殺を図るのですが
失敗してしまいます。

それを聞いたスターリンは 「やつは銃を
真っ直ぐに撃つこともできない」と
言い放ったそうです。

えっと…そこじゃないでしょう、なんて親だ…。

その後 独ソ戦線で息子が
捕虜になってしまい 

ドイツ側から捕虜の交換を
打診されるのですけれど 
一切応じていないんですよ なんて親なんだ…。

最初の妻は若いうちに死別し 
二人目の妻は 驚いたことにスターリンと
言い争いをしたと言われています… 
その直後 亡くなっていますけど…。

二人目の妻との間には
二男と長女が生まれています。

二男はアルコール中毒で亡くなっていますが 
一人娘はかわいがったそうです。

でも彼女は後に米国へ亡命してますけどね。

…壮絶な家族だなあ…。

自分自身が絶えず暗殺などに
おびえていたそうで 寝室は
同じ外観の部屋をいくつも作らせて 

就寝時にランダムに
決めていたのだそうです。

だからスターリンを警護している人にも 
どの部屋で休んでいるのか
わからない状態だったらしいです。 

また下手に睡眠を邪魔したりしたら 
それこそ命の保証がないので

放っておいた…じゃなくて
そっとしておいたのでしょう。

実際この猜疑心が最晩年 
スターリン自身を死に
追いやったようなものです。

どの部屋にいるかわからないし 
警備責任者が持つ鍵は一つしかないし

という状態で 朝 予定の時間を過ぎても
スターリンは起きてこなかったそうですが

起こすと怒られる(=殺される)ので 
午後になるまで放って
おかれたらしいんですね。

実は寝室のスターリンは 脳卒中の
発作で倒れていたんですって。
時に1953年 3月 1日のことでした。

異変に気付いて早く手当をすれば 
もしかすると何とかなったかも…ですが

そういう訳でしたので 
発見と手当が大幅に遅れましたし 

右半身が麻痺し 昏睡状態に
陥っていたそうです。

一時意識が回復した時もあったようですが 
意思の疎通は困難な状態で
同年 3月 5日 この世を去りました。

私は 必要な時 必要な人が生まれ 
必要な仕事をして 去っていく
それが人間の歴史だと思っているのですが…。

スターリンという人は…
そうか…共産主義にとっては 
とても大事な役割を演じていますね。

共産主義とは権力が一瞬で腐敗し 
独裁または恐怖政治へまい進するものと
全人類に教えてくれましたから。
 
お読みいただきまして ありがとうございました。
 

スポンサードリンク

コメント

タイトルとURLをコピーしました