今日10月24日は「ヴェストファーレン条約」を締結した日

ウェストファーレン条約締結 ガラス窓

 
ウェストファーレン条約締結
 
「ヴェストファーレン条約」って
なんぞや?と思われたでしょうね。

1648年に締結された
この「ヴェストファーレン条約」は

日本には1ミリも関係のない出来事でしたが
「近代の国際法」という意味では 
大変意味のある事柄なので
取り上げてみました。

ヴェストファーレンというのは 
今のドイツの州の名前でここにある
ミュンスターという所で
大勢さんが集まって条約締結に到りました。

この条約は欧州において
カトリックの国とプロテスタントの国が
30年に渡って争ってきた
戦争に終止符を打ちました。

見えない所でイロイロやって
いたんですね 欧州のみなさんは。
 

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「ヴェストファーレン条約」で終わらせた諍い

 
参加した国々は
お互いの領土を尊重し合うこと 

内政に干渉することは
差し控えるようにすることなどを
約束しあって 新しい欧州の秩序が
構築されることになりました。

宗教が絡むととても
厄介だということを いやというほど
思い知ることになったのでしょうねえ。

信徒たちは自らの信仰心が強いほど 
排他的になってしまいますから

初めは王さまなどの信仰を 
押し付けられていたのかもしれませんが

次第に真面目に信仰するようになったので 
こういう諍いが
起こってしまったんでしょうね。

神さまは信仰してねとは言ってるですけど 
そのために殺し合えなんて
言ってないと思うのですが 
どうしてこうなっちゃうのでしょうねえ。

信仰が原因でたとえ戦争が起こったとしても 
なんというか誰も悪い人って
いないと思うのですよ、思いが強すぎるというか
心から信じて行動していると思われますので…。

ただやっていることは戦争 
すなわち殺し合いですからね、

多くの血が流れ 憎しみが植え付けられ 
増幅していくのです。

ものすごい負の連鎖の発端が 
神さまって 悲しくないですかね。
 
 

同じクリスチャンてことで…

 
たぶんこの時代の王さまたちも 
そう思ったんでしょう

とても小さな国から大きな国まで 
カトリックもプロテスタントも
仲良くやっていきましょうよ
という感じでしょうかね。

(実際はもう少し複雑で難しいかじ取り
だったと思いますけど… ^^;)

条約に参加した国を列挙するより 
しなかった国を挙げた方が早いほどで

イングランド王国とモスクワ大公国 
そしてオスマン帝国の三国だけが
参加してない国だそうですよ。

モスクワ大公国はロシア正教会だし 
オスマン帝国はイスラムの国だし

イングランド王国は清教徒革命の
真っ最中だったんだそうです。

とはいえ「ヴェストファーレン条約」に
署名してない三国も 講和には
含まれるとされているので 
仲間外れにはしていないようです。

ただ教皇や皇帝といった
それぞれの王さまや 国を超えて
君臨する存在とか欧州を一つの単位として
統治するようなことは やめになりました。

ですので国同士もお互いに対等であり 
それぞれを認識しながら勢力の均衡や
国益に対する交渉などを
しましょうねとしています。

このあたりはさすがだなと思いますね 
だてに群雄割拠を生き抜いていません。

単なる宗教戦争の終結策に終わらず 
国家とはどうあるべきかの根本を

しっかり決めている辺りは 
白人脳の優れた点だと思います。

裏を返せば それだけ
ぐちゃぐちゃに入り組んでて 

歴代の君主さんたちを
ずっと悩ませてきたんだろうけど。

ともあれ近代的な国際感覚が盛り込まれて 
画期的な条約と言えます。

宗教が絡んだ戦争を終結させるのも 
かなり困難な作業だったと思いますが

国としての在り方が定まるというのも 
非常に重要なことです。
 
 

「ヴェストファーレン条約」一つの時代の区切りかも…

 
「ヴェストファーレン条約」は 
もうすでに瀕死の状態だった神聖ローマ帝国に
とどめを刺した条約だという見方もあるそうです。

同条約は「帝国の死亡証明書」なのだそうで 
ドイツは細かい国の集合体というか
連合体として国を形成する形になっていきました。

陸上で国境を接していると 
本当にいろいろと大変ですなあ…。

この「ヴェストファーレン条約」の締結は
1648年の今日のことでしたが…

その後 欧州では戦争も起こらず
平和に暮らしましたとさ とはならないのが
俗世 人の世 欧州の世なわけで 

その代わりにずっと離れた別の場所で
熾烈な植民地の争奪戦が行われていたことは 
よく知られていること。

欧州で領地を奪い合うより
「儲かる方法」を見つけたというか 

意識が欧州の外へ向いたというか 
別の時代が到来したというべきか…。

他の国々にしてみれば迷惑な話で 
書いていると何だかもやもやしますけれども

そういう歴史を辿っているので 
個人的な感情は抑えておきます。

キリスト教が大きく二派に分かれてしまってから 
たくさんの血を流しましたが

ようやくプロテスタントの人たちを
認めることで決着をみました。

信仰が与える影響の大きさというものが 
よくわかる事例だと思いますが

見方を変えると 信仰というのは
人の心の拠り所なので どうしても
感情的にならざるを得ないのですね。

一神教の場合はことさらに。
実際の人の世の秩序を保つためには 

感情的に傾く信仰に頼りすぎるのは 
逆効果 むしろ互いに先鋭化してしまうと
気が付いたのかしらね。 

三権分立の最も基本の
部分を見出したというか 
辿り着いたというべきかな。

信仰の自由と国の在り方にまで踏み込んだ 
近代的な条約でしたが この後

およそ170年ほどして 
ナポレオン戦争が終結するまでの 

欧州における国際秩序を
「ヴェストファーレン体制」と
呼ぶのだそうです。
 
お読みいただきまして ありがとうございました。
 

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