今日 8月13日は サスペンスの神さま A.ヒッチコックの誕生日

ヒッチコック生誕 ガラス窓

 
ヒッチコック生誕
 
1899年の今日 8月13日は 
あのアルフレッド・ヒッチコック監督が
生れた日なのです。

映画は好きですし 特に
ハリウッド製は好んで見ますが… 

実は怖い映画は…あまり得意でない
もんですから 見ないんですよねえ。

タイトルに「サスペンスの神さま」と
入れましたけれど ヒッチコック監督の
作品は有名なところをいくつか
見ているだけでなのです…。

そうヒッチコック作品は確かに怖いんですが… 
巧妙な演出で怖さを出していて 

気味の悪い怪物がわーーーっと
アップになったりはしません。

そういう意味の怖さではないのです。

…ということを理解したのは 
だいぶ後になってからでした。

映画作品だけでなく「ヒッチコック劇場」
みたいな番組もあったりして
楽しみだったし 面白かったですね。
 

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怖さの意味がわかると 楽しくなった…

 
自身の作品には必ず写り込む 
おちゃめが有名ですけれども これはずっと昔
まだそんなに名声を得ていないころ 

エキストラを雇うお金が無くて
仕方なく自分が出演していたのが
始まりなんだそうです。

ところが 例の如く特徴的な風貌なので 
かえって目立ってしまったんでしょうね。

ファンの間には ヒッチコック監督が
いつ登場するかと そちらが目的のように
なってしまったので

作品に集中してもらうため 
仕方なく作品の前半に登場しておくなど 
あまり重要でない苦労もあったみたいです。

ヒッチコック監督は英国はロンドンの生まれで 
お父さんは鶏肉と一緒に果物などの
卸売をしていたそうです。 

だからでしょうか 監督の好物は
鶏肉だったそうですね。

アイルランド系のカトリック教徒だったそうで 
英国ではかなりの少数派です。

当然のようにカトリック系の
寄宿学校に入ったそうで 
子供のころは孤独だったと
回想しているそうです。 

小さいうちに入る寄宿学校というと 
どうしても「ハリポタ」のイメージが
ついて回るのですが 英国のせいでしょうか?

でも14歳の時にお父さんが亡くなってしまい 
その学校から別の学校に移りました。

なぜか工学を学んだようで 
卒業した後はケーブルの会社に入り 

そこで働きながらロンドン大学で絵を勉強し 
その会社の広告宣伝部に移動したそうです。

おお…ここで映画の端っこが見えてきました。

というのも 映画監督をやるには
絵心があった方が断然有利なのです。

自分の中のイメージを俳優さんや
スタッフに伝えるには 言葉よりも絵の方が
分かり易く 伝えやすいのですね 
だから「絵コンテ」を使うのです。

そしてこの絵心を武器に 
米国の映画会社のロンドン支社に
映画のタイトル用のイラストを売り込み 
見事に採用されるのです。 

ほ~らほらきたきた。

1920年には サイレント映画の
タイトルデザインを担当するようになり

その後 グレアム・カッツ監督の下で 
助監督や脚本などを手がけました。

1923年の古いフィルムの一部が
見つかっているそうなので 

それこそあっという間に 映画界の
一線に躍り出たという感じですよね。

映画そのものもまだ黎明期だったこともありますが 
どんどん流れの中心になるというか

ヒット作を連発し ヒッチコック作品の
代表みたいな「間違われる男」を主人公に

いわゆる「巻き込まれ型」のサスペンスは
すでに三作目で登場しています。

ヒッチコック監督自身が あれよあれよという間に
映画を作る人になっちゃってますから。

映画の大渦に巻き込まれたようなもんですよねえ。

ヒッチコック作品に多く見られる 
なぜか巻き込まれて 気の毒なくらい
ひどい目に合う主人公と重なります。 

もっとも監督の場合は称賛の嵐でしたけれど。

やはり持っている人は そういう舞台が
ちゃんと用意されているものなのです。

この活躍はハリウッドも見逃しませんよ。

1939年からはセルズニックと組んで 
新天地米国で映画を作るようになります。

翌年の米国第一作目「レベッカ」で 
いきなりアカデミー最優秀作品賞をもらっちゃいます。

さすがというか すごいというか… 
とんでもないというか…。
 
 

才能と時代と環境と…

 
ヒットする作品 人を惹きつける作品を
生み出せるということは 
金の卵を産むガチョウと同じなわけで

よい環境にあったからこそ 
観客も映画制作会社もみなを納得させ 

うならせる偉大な才能が 大輪の花を
咲かせたとも言えるかもしれません。

とにかく多彩なジャンルを縦横無尽に
描き尽くしたというか… 

たぶんヒッチコック監督が一番 楽しんで
映画を作っていたのではないでしょうか。

監督が見てみたい映画を作ったというか 

どうすれば観客をだませるかとか

納得させるにはどんな方法があるかとか 

時に実験的であったかもしれませんし
緻密な計算のもとに絵を作って
いたのかもしれませんね。

今 書いていて思ったんですけれど 
ヒッチコック監督が優れた作品を生み出せたのは

やはりサイレント映画を経たというのが
大きいのではないかなあ…と思うのです。

「絵」だけで見せる難しさを
突き抜けたところに

「絵作り」の面白さとか
醍醐味のようなものがあって

ヒッチコック作品はどう見せるか 
どう表現するかというところに
集中している気がするのです。

例えば作品の中でカメラを斜めにすると 
見ている観客も同じ方向へ頭をかしげる現象が
起こるのですけれども それこそが
監督のねらいなのではないかなと。

わざと不安定なアングルで撮影したり 
影だけをチラリと見せたり
どきどきハラハラを増幅させる
「絵作り」というか演出というか…。

具体的な映像を見せることができるという
映画の最大の強みを
これまた最大限に映像化したというか

「絵」を見せつけた
というのが正しいでしょうか。

観客の気持ちをどれだけ揺さぶれるかが 
演出の腕の見せ所ですからねえ。

ふり幅が大きいほど 観客の満足度は上がりますし 
面白かったということになります。

ヒッチコック監督ほど その引き出しが多くて 
観客を楽しませることに長けた
映画監督もいないと思いますね。 

さっきも言いましたが自分も楽しんでますよ たぶん。

この職業につきものの 女優さんとの浮名とか
離婚とか 一切されませんでしたねえ。

監督の成功は よき理解者だった
奥さんのおかげかもしれません。

そうそう忘れていました 正しくは 
「サー」・アルフレッド・ヒッチコック監督でしたね。

亡くなる4ヶ月前に女王陛下から 
ナイトの称号を受けていました。

最期まで制作意欲が尽きない 
映画人だったそうです。
 
お読みいただきまして ありがとうございました。
 

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