婦人参政権が認められた「婦人の日」初の女性代議士誕生!

婦人参政記念日

 

思いっきりの鶴の一声 まぎれもなく
GHQのお土産ですけれども

1946年 4月10日の普通選挙から
女性も投票ができるようになり
政党などへ参加したりできるようになりました。

その記念で今日は「婦人の日」なのです。

今日 先進国とか呼ばれている
国の中では 実施された時間的には
最下位ですけども…。

今もって よその進歩的な国から見ると
日本は「男尊女卑」だあ!と
指摘されてしまいますからねえ…。とほほ

私としては 人間が一人ひとり違うように
国だって様々な事情を抱えているもんです。

端から見た印象だけでガタガタ言われるのは
面白くないし ただの誹謗なら 華麗なる
スルーがいいと思います。
 

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もしかして 問題はお手本にあったんじゃないの?

日本にだって以前から女性の権利を
主張した先人たちが がんばって
きてくれていたのですが
なかなか受け入れられなかったのです。

もしも、もしもですよ
あの戦争に負けていなかったら
私たちはいったいどんな世界に
暮らしていたのでしょうね?

そういう私は んなことぜ~んぜん
考えたことはないですけど。

もしかすると まだ女性参政権を求めて
運動していたかもしれませんよ?

ざっと目を通しただけですが どうやら
明治の中ごろに公布された法律の中に
女性の政党加入とか政治的な集会に
集まるのはだめ~てな事項があったみたい。

それ以前は禁止も何もしていなかったのに
何を考えてそんな文言にしたのか
全く理解できないですし これは腹が立ちますわ。

江戸時代には政とか庶民には
一切 口が出せない世界でしたので
禁止する必要がなかったとも言えますけど

西洋の社会形態を ある日突然 取り入れようと
したため こういうことになったのかもしれません。

「国際女性デー」の時にも書きましたが
全く違う歴史を歩んできていることを
まるっきり無視して

西洋のことは何でも真似しろとばかりに
やらかしたとしか思えないのですがねえ。

 

あのローマ帝国だって参政権は偏っていた

封建社会は一部の人たちによって
政治を動かす仕組みですから
男女の別なく 庶民が政治に
かかわることはありませんでした。

そして政治的な失敗 つまり失政の
悪影響を受けるのは大抵庶民でした。

これは大陸国家も日本も概ね同じです。
(「概ね」の理由はまた別の機会に。)

この状態(封建制度)に疑問を持ち
人のせいで苦しい思いをするのは嫌だと

様々な権利を王や権力者から取り戻して みんなで
みんなのための政治をやっていこうじゃないかと
がんばったのがフランス革命以降です。

権利を取り戻したので 選んだ人たちが
失政をやらかせば 選んだ責任が自分たちに
返ってくる羽目になった点も
忘れてはいけないことです。

みんなで選んだからと言って 必ずしも
よい政治をするとは限らないですし。

権利を独占し世襲するのは
止められましたけれど 民主的な手法が
よい政治をもたらすと思うのは勝手ですが
実際は願望であり幻想に過ぎません。

民主的な手法以上に 適切と思われる方法が
見つからないので やっているだけです。

議論に加わる人の数を増やせば
結論がでるのに時間がかかりますし

それはすなわち 問題解決や政策の施行を
遅らせることでしかないのです。

日本企業の決定が遅く 無駄な会議が
多いというのと同じですね。

日本の場合は古くからみんなで話し合って進める
「ムラ社会」の拡大バージョンで
国になったようなところがあると
常々思っているのですが

ムラの話し合いに出席するのは…やっぱり
男の人が主だったんじゃないかなあと。

そうするとそれが そのまま政まで拡大して
いったみたいなイメージなんですよ。

で、以前も言いました適材適所の考えを
当てはめると 決め事は男の人たちだけの方が
まとまり易い傾向があるので

それなりの結論を出して
ムラの住民全てに速やかに告知する、
問題が起きたら また話し合いで…
こんな風にイメージできます。

たぶん たぶんですが 決して女性たちを
蔑ろにしたわけではないと思うのです。

なぜなら誰でもみんなが
「天子さま(天皇陛下)のたからもの」
という意識だったから。

そもそも差別意識そのものがないか
極めて小さかったのではなかろうか
…というのはあくまでも私のイメージです。

 

欧米ほど差別意識は無かったと思うけど…

実際「男は仕事」「女は家庭」という
バランスで保っていました。

「家」はプライベートな空間で
そこを取り仕切るのは奥さんの役目でしたし
「任されていた」といっても過言ではないのです。

長い時間の中で変質して違うものに
なっていたかもしれませんけれど。

はっきり言えるのは天皇を頂き
公家や武士が政を行ってきた日本と
大陸の国々の「支配」と「隷属」が
基本の王政などとは 全くの別物だということ。

両者を同列に語るのは 丸を四角だというのと
同じくらいナンセンス 滑稽なことです。

ところが一分でも一秒でも早く 列強に
追いつきたかった明治のころは
そういうことを全く理解せずに
(又は知ってたけど さらっと無視して)

白人さまのお手本を丸暗記・丸写しに
してしまいました。

後に女性解放運動などが始まるということは
初めから差のある決まりを作ったからでは
ないかと 私は疑っています。

「レディファースト」を習慣にするような
人たちが考えたお手本ですよ?

彼らの観念では 奥さんは「夫の所有物」
レベルの扱いでしたからねえ。

「内助の功」という言葉も発生していないですし
女性の働きを認めていない 人の扱いを
してこなかった証拠じゃないかと思うのですよ。

私の疑念はますます濃くなりますけれど…。

それにしても法律で禁止するとか
暴挙の理由を知りたいですね。

 
お読みいただきまして ありがとうございました。

 

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