「敬老の日」について  由来や歴史、意味などのうんちくを 垂れます

敬老の日 祝日・記念日、○○の日

 
敬老の日
 
今日は「敬老の日」を取り上げます。

世界一の長寿国になった日本は ある意味で
人類の夢の一つを実現したのかもしれません。

現在高齢者とかお年寄りと呼ばれるみなさんは
若いころや幼いころ大変なご苦労をされました。

こういうことは個人の生まれの巡り合わせなので
あれこれ言う立場ではありません。

それでも先の戦争に負けて筆舌に尽くし難い
ご苦労をされたみなさんです。

ほぼ日本中をくまなく空爆され焼け野原の中から
立ち上がって今の繁栄の基礎を築いてくれたのも
このみなさんでした。

人間の一生っていいことばかりでも
悪いことばかりでもない 最近そんな風に
思うようになりました 私も年ですね。

今の高齢者のみなさんにはご苦労をいただいた分
人生の後半は幸せであれと願わずにはいられません。
 

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「敬老の日」の由来と歴史

 
さて〇〇の日という日はその〇〇について
うんちくを垂れようと思っています。

「敬老の日」についてちょっと勉強しましょう。

「敬老の日」は祝日ですけども 毎年日が変わります。
昔はというか正確には2003年以前は9月15日と
日付が決まった祝日でした。

由来などを見てみると この9月15日という日付に
特に意味はないようなのですが…では全くテキトーか
というとそうでもないらしいのです。

何でもあの聖徳太子が593年に身寄りのない
お年寄りのために「悲田院」という施設を
作ったのだそうです。

その設立日が 9月15日だったとされていて
それにちなんだのではないか…という説があるとか。

私は聖徳太子のファンなので 一押し!

593年ていうと…太子は19歳ですけども
こんな若いうちから慈善事業をやってたのね…。

まあ聖徳太子の後ろの方で ゴタゴタ絶えなくて
戦が起きたりもしていましたけどねえ…。

日付の由来は古そうなんですけども
「敬老の日」の元になったことを始めた人とかは
はっきりしていて比較的歴史は浅いのです。

1947年の9月15日に 兵庫県の多可郡野間谷村で
「としよりの日」として敬老会が開かれたのが始まり。
村の青年村だった門脇さんという人の発案でした。

やがてこの「としよりの日」は全国に広まっていきます。

ただ「としより」という表現がいまいちだったので
「老人の日」と変更され 1966年から国民の祝日
「敬老の日」に制定されたのです。
始まりは戦後のことだったんですね。

さらにその後 いくつかの祝日を日付ではなく
月曜日にもっていって連休をつくろうという
ことになり「敬老の日」もその一つになりました。

でもこの時移動祝日に反発する声も起こったそうです。

祝日ってのはそれなりの意味や由来が「その日」に
あることが多いのに 休日としか思ってないような
捉え方だもんねえ そりゃ怒るわ。

なので2003年から祝日の「敬老の日」は
9月の第三月曜日にする代わりに

2002年から9月の15日は祝日じゃないけど
「老人の日」にすることとなり現在に至ります。
 
 

「敬老の日」の意味を語ろう

 
昔はお年寄りの知恵が役に立ちました。
人間そのものが記憶媒体の役目をしていたのです。

そして情報を共有する範囲は比較的狭かったとも
言えるのですが せいぜい村の単位ですかね。

それでも生活に密着した過去の出来事など
お年寄りはよく覚えていたのです。

昔の人はそんなに記憶力がよかったのか?に
ついては…「お年寄り」の年齢が違うのかなと。

現代の私たちがお年寄りと聞いてどのくらいの
年齢の人をイメージしますか?

70歳代?80歳代?90歳代?それ以上?
今の私たちならそう答えるしイメージします。

ですがほんの7、80年前までは
お年寄りは60歳くらいだったのです。

時代が遡るほど「お年寄り」の年齢も
若くなると思われます。
なぜなら…平均寿命が短かったので…。

ですから「お年寄り」の記憶もわりと確かだったし
信頼できる情報だったんですね。

体力や腕力などの運動能力は若い人に敵いませんが
見聞きしたり 過去の体験などは貴重な史料であり
聞いておかないと失われる可能性もありました。

江戸時代など世界有数の識字率を誇りましたが
それでも5割ほどですから 口伝は重要でした。

そんなわけでお年寄りは貴重だったのだろうと
妄想を爆発させています。

年長者に対して尊敬の念を持って接したり
大切にするべきというのは「儒学」ですよね。

私たちが思うよりもずっと広く深く「儒教」の
教えが 浸透していたのかもしれませんね。

村社会における冠婚葬祭など人が集まる機会に
繰り返し諭され 伝えらえてきたのかも…。

昔話なんかにも残ってるのは そういう形でも
若い世代に伝えたかったのかなと思います。

人を大切にするという考え方は 祝日という
形になって現代にも受け継がれていると
言っていいと思います。
 
 

「敬老の日」は日本らしい祝日

 
祝日としての「敬老の日」は毎年9月の第三月曜日
平日だけども9月15日は「老人の日」なのね。

お年寄りを敬って大切にするという考えは
どう考えても「儒教」の教えだよね。

だけどよその国には「敬老の日」に相当する
祝日などはなくて 日本独自の祝日みたいです。

それまでの社会を支える一員としての
社会貢献に対して 感謝と敬意を表し
これからも共に生きて行こうという考えですね。

個々人の仕事に対する情熱やまじめに取り組む姿
幸せを求める姿勢がきちんと同じ方向に揃うと

大きな相乗効果を生むことが 戦後日本の発展を
見ると 実証されていることがわかります。

よその国から不思議な国と思われても当然かも。

相反するはずの「一人はみんなの為に みんなは
一人の為に」が成立しているのだから。
 
お読みいただきまして ありがとうございました。
 

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