「国際婦人デー」について思うことを書いたら長引いた

国際婦人デー

 

「国際婦人デー」にちなんで
書き進めてきましたけれども

突然ですが 本質を見るために
根源的な状態に置き換えてみます。

ここで原始時代の人間の生活を
イメージしてみましょう。

当たり前ですが 性差というのは
初めからあったものです。

基本 狩りに出かけるのが
男性の仕事であったのはなぜでしょう?

もしも体も体力も筋力も小さい女性が
混ざったらどうだったでしょう?

生物として最も大切な使命は 次の世代を
生み育てること 命を繋いでいくことです。

産後間もない女性が狩りに出かけられますか?
住みかを空っぽにして大丈夫でしょうか?
 

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性差などは本当に排除すべきなのか?

生き物の発想の根幹には「どうやったら上手く
目的を達成できるか」があると思います。

それは「食料を得ること」であり
「生きていくこと」そのものとも言えるでしょう。

動物たちはそれぞれが生きる環境に応じて
身体を進化させ 命を繋いできました。

人類も出発点は同じですが 前足を解放して
頭脳を巨大化させ知恵をつけました。

そして「物事を効率よくこなし
早く目的を達成する」ことに心血を注ぎ
結果的に これが文明へと
昇華していくことになります。

権利を勝ち取ってくれた先人には感謝しますが
性差によって分けられている事柄は
どれもそれなりの背景や事情があるので

「Aはどこでも必ずAになるべき」みたいな
欧米型の「解」が得られるわけではないと思います。

基本的に物事を対立軸で 対比させて
考えようとする傾向のラジカル思考では
対立軸が必要な分 何かを延々と
対立させ続けていくのでしょうね。

極めて根源的な部分から発生したと思われる
性差による分業はそんなに悪いことなのか
もう少し考えてみたいと思います。

性差による分担はそんなに
悪いものではないんでないの という
たいへんゆるい肯定が根底にあるのですが
どんなもんでしょうか。

例えば同じ内容の仕事をしていたとしたら
そこに賃金差があると低い方に
不満が生じるでしょう、それはわかります。

問題は賃金など数値的な評価につなげにくいことを
どう考えるか…ではないかと。

現在は女性も男性並みに 仕事をこなす人が
増えていますが それって相手(男性)の
フィールドに入って いわば参戦するわけですから
女性の側に何かと負担がかかるのは
当然のことではないですかね。

闘争心が強くて 何かにこだわりを持ち
他人と切磋琢磨(競うこと)が好きで
比較の対象がないと判断ができないので
群れたがり これを客観視だと言う男性。

共感性を持ち 同時にいくつもの作業をこなし
器用だし忍耐強いけれど
物事を主観的に判断するので 思い外
えげつないこともやらかしちゃう女性。

ざっくり脳の特性を上げただけでも
相対的な両性は やはり対立するより
互いの良いところ 特性を活かせる方向で
協力した方が得策です。

その意味でも適材適所は非常に大切な要素ですね。

企業の上層部や政治家などの女性の割合を
わざわざ数値で設定するとか乱暴だなと。

個々人でも向き不向きがあるというのに。

 

数値化できることは 明確にすべき

論理的思考の欧米の雇用契約書は
事細かに仕事内容が書かれているとか。

これは仕事を細かく分けて
各々の対価を明確にするためなのですね。

彼の国々では労働は苦役ですので
仕事はやらずに済むならやりたくないし
やるならしっかりその対価を
要求するという考えが 徹底してますので。

日本の場合は労働は美徳なので
働くことに抵抗がほとんどない。

なんてったって国家元首から
民と同じ労働をなさるのです。

天皇陛下は お手ずから田んぼに稲を
植えられ お米を収穫されますし
皇后陛下は蚕から絹糸を取られ
絹織物にされるようなお国柄です。

「支配と隷属」の国々なら 退屈しのぎの
遊び以外では考えられないことです。

個々の労働量と最終的な収穫量が 必ずしも
合致しないのが農業などの第一次産業です。

そういう労働を長い間 当然のこととして
受け入れてきた日本人は 労働と対価の線引きが
あいまいなまま 工業化してしまいました。

ちょっと面白いのは農作業などの場合
男女による差はあまりないんですよ。

男性の方が筋力が大きいから
耕せる深さが違うかな…くらいで。

隣近所が手を貸しあって共同で作業をするとか
力の強い者は弱い者を助けるなど
互いに力を合わせて収穫を増やそうとする…
そんな姿がイメージできます。

欧米流の「成果主義」とは全く逆の
「共助主義」なんです。

労働に対する考えが相反しているのに
無意識に取り込んでしまったので
様々な矛盾が生じるのは当然です。

基本的な考え方が違う人たちの意見だと
いうことを念頭に これまでの反省を踏まえ

できるだけ早く よりよい労働環境が
整っていけばいいなと思っています。

女性が働き易い環境は
男性も働き易いはずでしょうから。

女性の参政権デモを記念した日の話から
えらい方向へ行ってしまいましたが

それまでなかったものや事を
認識するだけでも難しいことなのですね。
先人たちの苦労もいかばかりかと思います。

 

最後にひとこと

ここまで言いたいことを
言ってきたので最後にもう一発。

権利についての考え方なのですが あまり
権利を主張するのは好きではありません。

なぜなら権利を主張するなら それに伴う
義務も履行する義務が生じるからです。

当然同時に責任も付随しますから
義務は周囲も納得させる形で
果たす必要が出てくるはずと考えます。

理詰めで考えると とても難しくて
重たいことなんですね。

義務も果たさずに権利だけ主張するのは
すでに権利を主張する権利すらないのです。

権利とは 義務と責任を果たして
初めて主張できるものと解釈しています。

 
お読みいただきまして ありがとうございました。

 

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