6月10日天下御免の「時の記念日」です

時の記念日 祝日・記念日、○○の日

 
時の記念日
 
今日 6月10日は「時の記念日」ですね。

1920年(大正9年)に当時の
東京天文台と生活改善同盟会という
当時の文部省の外郭団体が制定したそうです。

日本人に「時間をきちんと守って
欧米並みに生活の改善・合理化を図ろう」と
呼びかけて意識させるために設けられたようで。

それ以前の明治や江戸時代は
開港してやってきた西洋人が呆れるほど
時間にルーズだったそうですよ、日本人は。

欧米人に呆れられるなんて 当時の日本人
どんだけのんびりしてたんだか。

恐らくは産業革命で時間がお金に
換算される手段になったので
欧米では時間に対する意識が 早く
より強く行き渡っていたのでしょう。

時間に対する考え方や感覚が
違っていただけだと思います。
 

スポンサードリンク

 

そんな時代もあったのね

 
なぜそう言い切るかといえば
そんな話も今は昔のお話で

私たち日本人は お・か・げ・さ・ま・で
世界一 時間正確で 時間にうるさい
国民になりました。

よく比較される電車の発・着時間なんて
「秒単位」ですからねー。

1分遅れても お詫びの
車内アナウンスが流れますし。

もともと規律を守ったりすることは
とてもよくできる人たちの集まりなので

きっかけと啓蒙を行えば きちんと理解し
ちゃんと実行するのです。

そしてどういうわけか 日本人がその気になると
他の追随を許さないレベルまで
突き抜けてしまう傾向が大きいですよねえ。

国民性というか 求道精神が行き渡っていて
職人気質というか…。

まあ時間が正確で安全管理に神経を
使っているのはいいことなので
がたがた言わずに 諸外国は
見習っとけばいいと思うですよ。

それこそ悔しかったら日本並みの時間厳守
あんたの国で実現してみろや!
 
 

「時の記念日」の由来はなに…?

 
さてそんな「時の記念日」ですが
ただ決めたというわけじゃないでしょうねえ。

「日本書紀」に水時計を使った記述がありますし
日付けも明記されているので
そこにちなんだに違いないのです。

天智天皇がまだ皇太子でいらした頃
御自ら作られたとあるそうです。

えっと…天智天皇が皇子だった時は…
そう!中大兄皇子だよねー。

この方 結構大胆で革新的なことを
いくつもやっていたんですね。

目新しいことや珍しいものが
お好きだったのかもしれません。

誰もやったことのないこととか
知らないことも積極的にやってみるとか
好奇心が強くて ちょっと
子供みたいなところがあったかも…。

前向きで行動派だったのか 理想を掲げ
自分の信念のもと突っ走る人だったのか

中大兄皇子だったころはアブナイことも
結構やってるし 武力衝突なども起きたし
まだ朝廷も盤石ではなかったんですよね。

長いことお手本にしてきた唐あたりから
水を流して時間を測ることを誰かが勉強してきて
伝えたのかもしれないなあと思いました。

研究者も言ってないし資料もないし
定かではないけれど まったく影響が
なかったとは思えないもんで。
つい妄想が大・爆・発~~。

輸入した耳学問にしろ 中大兄皇子の独自発想にしろ
日本で初めて 時を告げる鐘の音が
響いたことには違いないと思われるので
やっぱり「時の記念日」にぴったり。

時間をはかる方法は たぶん世界中で
発明されていたことでしょう。

特に農業という方法が早くから発達した場所では
少なくとも季節を読むことが絶対に必要なので
時間をはかる方法も考えられたと推測できます。

違いはその記録が残っているか または
残ったものを私たちが理解しているか否かでは。

 

物として残っただけだと 失われがち

何のためのものだかわからない
遺跡とかけっこうありますよね?

昔の人たちが考えた方法でも 使われない時間が
長くなると それがいつ何のために
作られたものか わからなくなることは
よくあることです。

地表の環境は短い時間でも
激変することがありますし
長い時間のスパンでみれば 気候さえ
変わっていることがありますので。

そして傍に人間が住み続けるなどした場合
手が加えられたり 破壊されたり…
遠い過去の遺物の作られた目的などは
簡単に失われてしまいます。

反対に昔から近寄ることを禁じられるなどした場合
遺物として残りますが
作られた目的や使い方などは
失われることがありますよね。

昔の人たちって私たちが思いもよらない
すごい発想してたかもしれないので 想像の翼を
目いっぱい広げないと 追いつけないかも…。

私の妄想を言えば 最初に時間を測ったのは
影を使った日時計じゃないかなと。

分かり易いし 影が動くのは
どうしてだろうと思ったと思うのですよ。

もちろん朝が来て 夜が来て…の方が
先だったとは思いますけれど
そこんところは ほら人間以外の動・植物も
理解していそうじゃないですか。

一応ですね 人間が自分を取り巻く環境の中から
自分の頭で「なんで?どうして?」と考えて
事柄を選び出して次の行動をしたという
観点から 考えてみたんですけども…。

「人間」を考える場合 動物たちとは
観点が違うというポイントに注視すべきかなと。

別に特別だとかは思ってないですが 「違い」を
「理解する」のが人間だと思うので…。

あくまでも私の私見ですけどね…。ぬほほほ…
 
お読みいただきまして ありがとうございました。
 

スポンサードリンク

コメント

タイトルとURLをコピーしました