今日は 日本初の博士が誕生した日「博士の日」

博士の日

 

今日 5月 7日は日本で初めて
「博士」が誕生した日だそうです。

覚えやすい数字が並ぶの1888年
(明治21年)のことでしたが
一度に25人もの「博士」が誕生したのだとか。

今とは違って教育者としての貢献が
認められたものだそうで 論文による
博士号はもう少し後になるようです。

私には縁のない世界の話ですけれども
生意気を言わせてもらえば研究者としての博士と
教育に携わる方々への博士とは

やっぱり分けるべきでは
ないかなと思ったりしています。

こんな言い方をするとお叱りを受けそうですが
よい成果をあげた研究者が 必ずしもよい教育が
できるかというとそれはまた別の問題の
ような気がするです。

もちろん両方とも素晴らしい方も
いらっしゃると思いますけれど。
 

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研究者と教育者は両立し得るか

研究をされる方って当然
ご自分の研究に集中したいだろうし

その成果を論文にまとめることにも
やっぱり相当なエネルギーと集中力が必要なわけで
論文に仕上げるまでが
研究なのではないかなと思うからです。

で、論文を発表すれば 評価はついてくるし
成果とはここにあると。

研究で大きな成果を上げられた方でも
大学などで講義をしたり 直接 人を
指導したりすることがあまり得意でない方

あるいはそういうことがお好きではない
先生もいらっしゃるかもしれませんよね。

ご自分で研究を突き詰めていかれることと
その過程も含めて成果を他人に説明したり
解説をするのとは それぞれ別のスキルを
要求されることだと思います。

両方を一緒に担うのは…いくら優秀な方でも
大変なのではないかなあと。

大学などに所属する研究施設で
研究を続けることが多いですし

学生も その研究では第一人者の先生の講義を
受けたいと集まって来るのかもしれませんが
講義は先生本人からでなくても受けられますよね。

第一線の研究だからこそ 学生が
集まってくるのでしょうし

であるならば尚のこと 先生には
研究を第一にがしがし推し進めていって
ほしいというのが素人の私の願いです。

成果を元にした講義や後進の指導は
その次くらいか あるいは先生ご本人でなく

同じ研究をしている助教授や
准教授などで 講義が得意な人に
あたってもらうとか。

当然なのですが ○○研究室とか
研究グループなどの研究成果は 代表の先生の
お名前になるケースが多いですよね。

ご高名な先生の研究室やグループに
所属していることは とても名誉なことですが

やはり自分の名前も呼ばれたい
というのが人情だと思うのです。

だから講義や後進の指導など人を教え導く
教育方面でも 優秀な講師として
活躍の場があるというのは 研究室やグループの
名声をさらに高めると思います。

考えようによっては素晴らしい研究は 新たに
研究者と後進の指導にあたる教育者をも
同時に育てることができるといえますよね。

本来であれば博士号を持っている方には
ご自分の得意な分野の研究を進めていただけたら
それがいちばんいいのでしょうが…

残念ながらそれは厳しいものがあって
あまり現実的とは言えません。

でも仮にそういうことが可能であったなら
どんな新しい研究成果があって それらは
私たちにどんな影響をもたらしたでしょうか?

 

優れた頭脳は 光が当たってこそ輝く

冒頭でも触れましたとおり 明治時代
日本で最初に誕生した博士のみなさんは
教育者としての貢献が評価されてのことでした。

恐らくそれは 研究論文などを評価する側の
人材が 日本にはまだいなかったことも
原因かと思われますけれども。

専門分野の研究者としての姿と後進の指導に当たる
教育者としての姿との両立を望むものでは
なかったんじゃないかな…と思います。

ただ単に印象なだけですが どちらかというと
教育者としての貢献がまずあって
その上で 専門分野を研究なさっていたのでは
ないかなと感じたのです。

日本が新しく生まれ変わって間もなくの
ころでしたから 発表された論文に対して
評価を下すのは難しかったと思われます。

でも先生や教育者はたくさんいたはずですので
そういう方々の教育への貢献をまず社会的に認め
地位を確立することで 功績に報いる
形を取ったのかなと。

明治の元勲を始め誰もが教育の重要性は
しっかりともっていたと思われますので

たぶん博士という言葉の意味も それを用いて
地位を創設するにあたっても 最初に
教育者の方々が浮かんだのではないでしょうか。

優秀な人には 優秀な人にしか
わからない困難とかご苦労とかが
あるのだろうと想像するのです、
なんというか優秀ゆえの悩みといいますか…。

優秀な方たちだけどやっぱり人間だから
何かしら悩んじゃうと思うのです、たぶん。

やはり得意とする あるいは専門とする研究とは
別のスキルが要求されること

しかもその要求レベルがとても高いので
あまり一人の人に集中させるというのも
忙しい上に 気力も体力的にも負担で
お気の毒なことだなあと。

どちらも優秀なら 問題はないのですが
少しでも早く研究を進めていただいたり

一人でも多くの優れた教育者を
輩出していただくような どちらにもいいという
欲の深い方法はないものでしょうか。

そういう研究は…あまり需要が
ないかもしれませんけども…。(笑)
妄想だけが どんどん膨らんで止まりません。

 
お読みいただきまして ありがとうございました。

 

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