「国際婦人デー」という響きに歴史を感じる

国際婦人デー

 

今日は国連が定めた「国際婦人デー」だそうです。

100年以上も前の1908年の今日
3月 8日 米国のニューヨークで行われた
「女性参政権」の要求デモがきっかけでした。

私たちは自分の置かれた環境を当たり前のように
思っていますが 先人たちの勇気と行動が
勝ち取ってくれたものだと思い起こす時
感謝の気持ちでいっぱいになります。

この後 参政権から始まり
様々な紆余曲折を経て一歩ずつですが
女性の権利を確立していくことになります。

昔このことを知った時 こんな風に思いました。

「レディファースト」を標榜しているのに
その欧米でどうしてこういう運動が起こったり
大きなうねりとして後世に影響したんだろう?

米国のTVドラマや映画のせいで 男性たちが
女性に対して たいへん紳士的にふるまう
スマートな姿をいわゆる「レディファースト」として
刷り込まれた世代が 素直に感じたことでした。
 

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置かれた状況が違いすぎる

この「レディファースト」の意味を全く別物に
解釈していたことが原因の疑問だったのですが。

ご存知の方も多いと思いますが
今では「レディファースト」の大元の行動が
実は 男性側の極めて利己主義な発想から
出ていたことがばれちゃってます。

少なくとも欧米では歴史的に
「支配と隷属」の枠組みが確立していました。

英国では800年も前に「マグナカルタ」とかいう
超進歩的な憲章も出来たけれど
(「支配者」である王の権限を
制限している点が画期的なのです。)

教皇の横やりを受けて その後
すーーっかり忘れられてしまいました。

その証拠にフランスでは絶対王政とか
やらかしちゃってますし。

その時々に「支配者」が世襲するだけで
「枠組み」が変わることはなく
これは国家においても 社会の
最小単位である家庭においても同じでした。

つまり戸主である男性に
女性は隷属していたのです。

キリスト教そのものが 男性原理の
宗教であることは 周知のことですし
宗教的な縛りや考え方も か~なり
影を落としていたと思われます。

んで 有名なフランス革命は市民が
王侯貴族から「権利」を勝ち取った
画期的な出来事なわけで ただ王政を
ぶっ倒しただけではなかったんですね。

長い時間すっかり忘れられていた
「マグナカルタ」がにわかに目を覚まし
一気に大噴火~!
するのはマグマの方ですが…。(爆

それは米国の独立宣言などにもうたわれたり
その後はたいへん有名になりました。

 

違いが大きいと正しく把握できない

欧州の歴史をざっくり見てもわかるように
「支配」とは全ての「権利」を持つこと
つまり生かすも殺すも支配者の気分次第~が
許される状況のことだったのです。

王から「権利」を奪い返すのには
男も女も戦い 多くの血が流されました。

そしていくつかの「権利」を
市民の手に取り戻し
産業革命が起きて工業化が進みます。

ところがともに戦って勝利したはずの
女性たちには 何もないことに気付いたのです。

少なくとも流血の革命と共に
「権力者」から取り戻した「権利」の中に
女性を解放するものは 何も入って
いなかったことに気が付いたという方が
正しいかもしれませんね。

苦労して「権利」を取り戻したのに
それって男性たちだけのものだったのね。

一緒に「支配者」から「権利」を
奪還したけれども 「支配者」の後
政治を主導したのは男性たちだったし

もともと女性を人と扱って来なかった
歴史的観念があったもんで すっかり
置き去りにされていたんですね。

こんな背景や「レディファースト」の
本当の意味を知った今では 先人たちが
自分たちの「権利」を求めて行動を起こしたのも
無理からぬことと理解できます。

程度の問題もありますが
本当に大切にされていたなら
「権利」の主張なんかしなくても
すでに持っていたのではないでしょうかねえ?

「権利」は持っている、または持っていると
理解していたり その保障下に置かれていれば
その環境が当たり前になるので あえて
主張しないのではないかなと思うのです。

あくまでも私がそう思うだけでありまして
…個人の感想です。^θ^;

そしてもう一つ加えておきますが
決して批判しているわけではありません。

ちらちらと見え隠れする
事柄の印象を申し上げただけですので
くれぐれも誤解・曲解をなさいませんように。

 

ここからは 日本のことについて…

さていつもの如く発生は欧米なわけですが
日本もイロイロ批判されているようで。

ぱっと見は「男尊女卑」のような
印象を受けるかと思いますが

天皇陛下が存在するおかげで
男女を問わず欧州のような「支配」を
受けることはありませんでした。

前にも言いましたが 天皇は最高権威であって
権力は持っていないのです。

民を支配するのではなく 天皇の宝物として
安定した生活と幸せを祈っていたのです。

そして公卿であったり武家であったりしましたけど
天皇の信任を下賜された者たちによって
天皇の宝物である民が 安定した幸せな
暮らしができるよう政を任されてきたのです。

現在に至っても選挙で選ばれた国務大臣らは
天皇に拝謁し 認証を得なければ
その職務につくことはできませんよね?

一張羅のおめかしをして皇居に行くでしょ?
(ドレスコードがありますので…)

日本では古来性差を含めて役割を分担し
適材適所で社会を回してきたのだと思います。

ざっくり言えば 外へ出て働く男
それを補佐し 家の中を切り盛りする女。

双方がともに社会を構成する
大切な要素であり 不可欠な存在なんですよ。

性差とは対立するものではなく
互いに補完し合う間柄として
社会の最小単位に据えてきたのが
日本の社会なのではないでしょうか。

自分にできることで身近な社会に貢献する
それらが互いに繋がり 共鳴し合って
大きな共同体 国などになる
そういう共助の考え方なのです。

全く違う歴史を刻んできた社会なのに
その事情をよく知らない余所の国の人が
目に見える事象だけを捉えて
騒ぎ立てているようにしか思えないですよねえ。

ほんと 大きなお世話なんですよ
悔しかったら日本のようになってみろっての。

 

言い訳上等!で 自分の意見をしっかりと

1+1=2の人たちを相手にしているので
本当は面倒でも いちいちこういう話を
するべきなんですよね、
いつでもどこでも機会を捉えて。

これらは日本人の嫌いな「言い訳」ではありません、
むしろ言い訳上等!なんですよ。

徹底的に相手を「説得する」ことが重要で
あ…また その話? もうわかったから…と
言わせるまでやる必要があります。

デモ隊よろしく大声で主張し続けるのです。

目的のためには手段を選ばず 繰り返し
しつこく主張し続けること これが日本人には
すっぽりと欠落しているのですね。

そういうことをするのはかっこ悪く思えるし
見るのも嫌ですけれど こういう場面では
自分の美徳にこだわっている場合ではありません。

相手は言葉が通じない人たちです、
つまり考え方が全く違うので
事細かにそして ウザがられるくらい
しつこく教えてやらないと理解しないのです。

人間は自分の理解が及ばないモノや現象には
恐怖を感じるといいますが

私は それなら妄想の力を借りてでも
違うものがあると理解しやがれと言いたい。

あ?あれ…?なんかとんでもない方向へ
すっ飛んで行ってる気がするけれど
明日へ引っ張ります。(笑)

 
お読みいただきまして ありがとうございました。

 

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