今日はめでたい(?)「子供の日」~~っ!

こどもの日

 

悲しいことに年々数を減らしている
子供さんたちですけれど。

その姿を見ていると この子たちが
私くらいになる頃には いったい
どんな世界になっているのかと
一生懸命考えてみるのですが、まるっきり
イメージできないでいる自分がいます。

自分が子供だった頃 今のように
子供が少なくなるとか 携帯電話が当たり前で
もっと賢い機器を持ち歩いたり

家に居ながらにして世界中とつながる機械を
自分で操作しているとか

こんなことができる世の中になるなんて
ま~ったく思っていませんでしたからねえ。

人の社会はほんの小さなきっかけで
思わぬ方向に転がって それが時代の
ニーズや要望にカチッとはまると
信じられないような大発展を遂げるものだと
つくづく思い知らされています。

恐らくは 電気を作ったり それをもとに動く
機械を発明したり 電球が灯ったり

そういうものを初めて見た人たちと
私たちの驚きは 実はあまり違いがないのでは
ないかと思ったりするのです。
 

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子供の健やかな成長を願って…

いつの時代も子供は社会の、
その国の未来を担う宝物。

そして今日 5月 5日は
端午の節句で 主に男の子の
健やかな成長と立身出世を願って
家族がお祝いをする日ですね。

法的には1948年(昭和23年)に
「こどもの日」と制定されました。

庭先にこいのぼりのポールが立つ頃になると
よく父が言っていました。

私は子供(というか幼児)のころ
よその家の庭に立っているこいのぼりを見て
どうしてもあれが欲しいと駄々をこねたそうです。

根負けした父は仕方なく紙でできた
「こいのぼりもどき」をわざわざ探して
買ってきて庭に立てたそうです。

それを目ざとく見つけた近所の人たちに
ほう…ついに息子ができたのかと
冷やかされまくったそうで。
(たぶん父にはこっちの方が嫌だったと。)

私にはまるで覚えがないこと
だったのですけれども 物証はありました。

確かに昔 紙でできたこいのぼりがうちにあって
なぜこんなものがあるのか 見つけた時は
とても不思議に思ったものでしたが…
原因は私だったのね。

今は華やかな幟に きれいなこいのぼり
そして軽くて丈夫なグラスファイバー製のポール

外から見えるのはこれだけですが
お座敷には きっと立派な甲冑飾りが
鎮座ましましていることでしょう。

今の私はこちらの甲冑飾りの方が
興味ありますけどね。

とても壮麗で細かな細工が
これでもかと施してありますよね。
あと飾り兜に 刀 弓 槍などの武具です。

美術品としての価値はもちろん認めますが
武器はあまり好きではないです。

米国のニューヨークにあるメトロポリタン美術館には
結構な数の日本の鎧などのコレクションが
ありましたけれど 私はレンブラントの部屋に
通っていて そちらのコレクションは
とうとうきちんと観賞することができませんでした。

…ちょっと怖いなと思ってしまったものですから…。

あと古代エジプトの石棺なども
ありましたが やはりちょっと怖いのが
先にたってしまい近寄れなかったです。

こんな遠い所へ来ちゃったね…と思いながら
端っこの方を通っていました。

ナニも感じない人なのに 無駄に怖がりなんです。

 

有名武将にあやかり 人生を切り開け

武士が台頭して 長く世の中を治めましたし、
江戸時代を経て今がありますので

男の子には世の中で活躍してほしい、
後世に名を残すような立派な
人間になってほしいという親の願いが
強く出た飾り物になっています。

彫金もきらびやかですし
豪華で美しくて美術品のようです。

戦国武将らが愛用した兜などが
飾り物として 人気があるのでしょうね。

すごく個性的で斬新なデザインが
多いのに驚かされます。

戦場で目立つ格好をしてたら
狙撃の的になるかもしれないというのに…。

もっともあまりそういう戦い方は
しなかったみたいですね。

ただ総大将はここにいるよ~という
印はあったそうで 味方がそれを確認して
自分の武功を認めてもらえるように
奮起したみたいですけど。

ともあれ戦国時代の武将の甲冑飾りなども
小ぶりですけれども大変精巧に
作られていて 思わず顔を近づけて
見入ってしまったりして…。

ひな人形もそうですが こういう所に
伝統工芸がしっかり息づいていて

私なんてできることなら
一年中飾っておきたいと思うくらいです。

昔は子供がたくさんいました。
ですがそこには無事に成人する子供があまり
多くなかったという悲しい現実もあるのです。

今 日本では例えば新生児などの
死亡率は極めて低くなりました。

それなのに子供の数そのものが
減ってしまうという皮肉な結果になっています。

いつの時代であっても 子供の数だって関係なく
親が子供を思う気持ちに変わることはないはずで
常に健やかであれ 幸多かれと願うものです。

私たち大人は 共に社会を構成している者として
どうすることが本当に子供たちのためになるのか

子供たちが健やかに育つ社会は
どうあるべきか考えないと…。

それは自分が親にしてもらったことを
もう一度思い出してみることで 何か参考になる
ヒントが隠れているかもしれません。

なぜなら私たちは 昭和生まれの親たちに
育ててもらった世代なので 少し古いけれど

何かしっかりしたものをこっそり受け継いで
いるのではないかと ちょっぴり
期待しているからなのです。

 
お読みいただきまして ありがとうございました。

 

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