今日は大森貝塚が発見された 日本の考古学出発の日

考古学の日 祝日・記念日、○○の日

 
考古学の日
 
今日は日本の考古学が産声を上げた日と
いってもいいでしょう。

1877年に米国の動物学者
E・モースさんが来日した日です。

あらら?自分の誕生日に来日してますよ。ぷぷぷ

モースさんは子供のころから貝類などの
標本を集めるのが好きだったようですね。

学者でもないのに膨大な量の標本を集めてあって
本物の学者さんが見学に来たと言いますから
コレクターの域をはるかに超えているかと…。

時々いらっしゃいますね
専門家顔負けのアマチュアの方が…。

「大森貝塚」の発見・発掘をしたことで
とても有名な人ですが

実は日本にあの「進化論」を体系的に
教えてくれた人でもあるのです。

色々な人がいるのは当然なので
だからどうというわけではないですが

米国といえば宗教的な理由から今現在も
「進化論」を否定する人もいますけど…
きちんと理解し教えられる人もいたのですね。
 

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とてもよい人に巡りあえた

 
来日の主な目的は自分が研究する腕足動物という
二枚貝に似た生き物が日本に多く生息しているので
標本を集めるためだったようです。

海って本当に不思議な生き物の宝庫で
研究者さんたちから見れば宝の山…
じゃなくて宝の海なんだろうなあ…と。
そういう私は山の民。

6月20日 許可を得るために乗った
汽車の窓から見えた丘に貝殻があるのを発見。

たったこれだけのきっかけだったのですが…
さすが 持ってる人は違います。

後にここを発掘して この盛り上がった場所が
貝塚だったと判明します。

土に貝殻が混ざっていても日本人は
全然気にしなかったってことですかね。

あと日本人は古代からきちんと
ゴミ捨て場を決めていたんだなあと。ぷぷ

そしてこの時 文部省に行ったら
できて間もない東京帝国大学で教鞭を
取りませんかと 誘われちゃってます。

快く引き受けてもらえたので
日本の考古学が産声を上げられたのです。

当時の雇われ教授は 学者でもなく
研究実績もない宣教師みたいな人が
多かったそうでモースさんは
そういうのを追い出したみたいです。

日本人の講師たちと協力して専門知識や
実績のある人を呼ぶようにしてくれたり

2500冊もの本を買って
東大図書館の基礎を作ってくれました。

心正しいというか いい人に来てもらって
本当によかったですね。ありがたや~。

6月に来日して 7月になってから
江ノ島で「臨海実験所」なる施設を作って
目的の腕足動物の標本集めをせっせとやります。

これがわざわざ海を越えて来た理由ですもんね、
先生 いい標本集まりましたか?

そのまま日本に滞在して 9月からは
大学で講義を始めます。

そして日本人の助手らと共に大森の貝塚を
発掘してみたところ 貝殻はもちろん

土器や獣の骨、土偶 石斧などが
ごろごろとお出ましになりました。

モースさんは出土品を教育博物館に展示したり
一部は許可を取って米国に持ち帰りました。

欧米の研究者の多くは 出土品などを
勝手に持ち帰るケースが少なくない中で

モースさんの素晴らしい所は 持ち帰った出土品を
米国の博物館や大学に寄贈して かわりに

米国側からも資料を東大に寄贈してもらう様に
してくれたことです。

考え方がとても公平な人だったのですね。
 
 

日本の考古学の先鞭をつけてくれた

 
特徴毎に時代を分けて分類・調査研究をする
考古学という学問があること 進化論のことなど
講義や講演がとても上手だったそうです。

講義の合間に各地を旅行して 民芸品などを
収集したり 貝塚から出た土器から
日本の陶器にも興味を持ったようでした。

そうそう土器といえば この出土した
土器の表面の模様を”cord marked ~”と
表現したのはこのモースさんだったんですよ。

この部分を日本語に訳したのが
”縄文”なんですねー。(笑)

縄目模様というのは知っていましたが
英語からの訳文だったなんてオドロキ。

まあ見た目はまんまなので
わかり易くていいですけど。

はいここからは妄想のお時間です、
縄目をつけた理由は 何だったのでしょうねえ…。

外側を滑らかに仕上げると滑りやすいから
持ちやすいように滑り止め?

それとも何かの拍子に たまたまついた
縄の模様が気に入ったからでしょうか。

少なくとも柔らかいうちに模様を
つける必要があって ただ作ればいいという
実用性から ひと手間かけているので
意図的であることは間違いないですよね。

最初の一歩は誰の仕業だ~?
できることなら聞いてみたいです。

モースさんは本当に好きで始めたことが
仕事になった典型の学者さんという感じの方です。

日本に対する多大な功績に
日本国から勲章も差し上げています。

また晩年には 関東大震災で帝大図書館が
壊れてしまったと聞いたモースさんは

自分の死後 蔵書をすべて帝大に
寄付するという遺言まで残してくれました。

研究者としての姿と日本に対する
深い思いに心から感謝したいです。

もしも、もしもですよ、
初来日したモースさんが東京へ向かう汽車で
「反対側の座席」に座っていたら

日本の考古学はもう少し出遅れていたかも
しれないってことになりますよね?(笑)

どんなところにどんな形で歴史のピースが
落ちているかわかりません。
 
お読みいただきまして ありがとうございました。
 

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