「精霊の日」しょうりょうのひと読むちょっと不思議な日

精霊の日

 

今日 3月18日は「精霊の日」と呼ばれています。

読み方は「しょうりょうのひ」になる
そうですけども…うぬぬ…???

どういうことかいなと思ったら驚いたことに
あの柿本人麻呂さんと 小野小町さんと
和泉式部さんの命日だというじゃないですか。

ほえええ?! \(◎o◎)/
激しい妄想人間の私も この一致には
ちょっと…クラクラしちゃいました。

いくらなんでも 無理があり過ぎるでしょうに。
最初に考えたの、誰だよ。

三人の歌人さんたちですが 柿本人麻呂さんと
小野小町さんは平安時代も初期の人で
和泉式部さんは100年くらい後の人です。

現代と明治時代くらい差があります。

私たちはずうっと後で生まれているので
「平安時代」とひとまとめに言いますが
およそ400年もあって 長いんですね。

一緒にしない方がいいということを
まず あげておきます。
 

スポンサードリンク

 

まとめて平安時代にしてるけど…

人麻呂さんの場合 ウィキベディアによれば
過去帳の出典で今日が命日になってますね。

ですが小町さんや和泉式部さんの命日が
今日かどうかは 全くわかりません。

小町さんに至っては 神話か伝承レベルで
実在したかどうかも 怪しまれているというね。

誰か別の人物と同一視 または誰かが
名乗っていた可能性もあったりするし…。

信頼できる史料が何も残っていないので
命日が一緒といわれても…。

和泉式部さんは親もわかっているけど
本名とか生没年はわからんのです。

和歌の才能に秀でており 生前から
有名人だったので 早逝した娘さんは
記録が残っていますし 離婚の後
お付き合いした相手が親王さんだったので
生れた息子も記録があります。

でも 和泉式部さん自身の記録はないのです。
そういう時代だったと思うしかありません。

平安時代も終わりを告げようとする頃の
和歌の大家藤原定家さんが小倉山の山荘にこもって
選んだという「百人一首」にも
全員がしっかり名を連ねている
超一流の歌人さんたちです。

それはゆるぎないことなんですけど…。
命日が一緒とは言えないんですねえ。

もしかすると 同じかもしれないけど
それを証明する方法がないので。

皇女に生まれるか あるいは親が日記などを
書き残して それらが現存でもしていない限り
伝わることはまずありません。

当時は記録に残す習慣が無かったと思われます。

私だって最初に見つけた時は
♪そうだったらいいのにな♪と思いましたよ…。

 

「精霊の日」のような符合があったら面白いね

ただ時間の隔たりはありますから
全く符合がなかったとは言い切れません。

計算は苦手なので端折ります。
こういう計算が好きな方 よ・ろ・し・く。

可能性は限りなくゼロに近い
小さな数字になるでしょうけれど
ゼロではないと思われます。

でも 確かめる方法が…。
屁理屈をこねても 難しいなあ。

人麻呂さんは和歌に対する功績がとても大きく
特に「枕詞」をいくつも考案した模様。

小町さんはご存知の通り「美人」の代名詞。
浮いた噂は数知れず でもみんな殿方の片思い。
中には命を落とした人もいたとか何とか…。

当時は和歌の出来栄えが その人の人物像で
教養の証 評価の対象だったから
優れた歌を詠めただけで
「絶世の美女」になれたんだよね。

もしかしたら「源氏物語」に出てくる
末摘花(すえつむはな)みたいな
醜女(しこめ)だったかもしれないし。

おっとっと 命をかけた人もいたんだから
才色兼備の人をディスるのはやめておこう。
伝説の才女は美しい方がいい。

最期に「小倉百人一首」の順番で載せておきます。

3番
あしびきの山鳥の尾の 枝垂り尾の
長々し夜をひとりかも寝む
柿本人麻呂

9番
花の色は移りにけりな いたずらに
我が身世にふる 眺めせし間に
小野小町

56番
あらざらむ この世のほかの思い出に
今ひとたびの逢うこともがな
和泉式部

しかし アレですな。
私も相当な妄想人間と自負してますけど
「精霊の日」の発案者さんも
かなりのツワモノと拝察しました。

私なんぞ足元にも及びませぬ。完敗。

 
お読みいただきまして ありがとうございました。

 

スポンサードリンク

コメント

タイトルとURLをコピーしました