「アンネの日記」少女が残した日記は 世界一有名に

 
アンネの日記
 
世界で最もよく知られている日記といえば
「アンネの日記」でしょう。

オランダ語バージョンでは「隠れ家」を
示す言葉がタイトルだそうです。

以前も言いました通り 
言葉は意思を伝達するツールですので

それを使う人あるいは集団の感覚が 
色濃く反映されるものです。

英語を代表とする
インド・ヨーロッパ語族の発想と 

私たちが使う日本語の発想では 
違いがあって当然ですね。

もしも日本で出版されたバージョンが
原題の通り「隠れ家」だったら

タイトルの印象でずいぶん
違うものだなと感じました。

日本語に翻訳した人の
センスが光りますねえ。
 

スポンサードリンク

 

「日記」という極めて個人的な心の軌跡

 
そしてそのように違う発想ではありますが 

日々の出来事や時々の思いを
日付ごとに書き記るす「日記」
というものは共通していますね。

日本においては 記録魔の異名もそのままに 
1000年以上も前の
日記がたくさん残されています。

「日記」に対する思い入れというか感覚が 
他の国の人々とは違うのかもしれません。

アンネ・フランクの
わずか15年の生涯において

その最期の日は収容所の中に
隔てられていた上 

そばにいた人のほとんどが
亡くなっているので正確には 
わかっていないそうですが

一説には 今日 3月 1日が
命日とされいるようです。

日記を見つけ保管してくれたのが 
アンネの家族とも親しくしていた
人物だったので 唯一生き延びた
アンネの父オットーに返されました。

そして実の父の手によって 
世に出ることになった「アンネの日記」。

もとは1942年のアンネ13歳の誕生日に
プレゼントされたノートでした。

実際に書かれた期間はわずかに 
3年ちょっとの間でした。

日記という極めて個人的な
書き方が幸いして 彼女の心の軌跡を
辿ることができる記録となったのですね。

普通は誰でも自分の日記が 他人の目に
触れるなどと思っていませんから。

成長期の子供が 自由に外で遊ぶことも 
学校へ行くことも許されず

ただ隠れ家でじっとしていることを 
余儀なくされていたのですから

日記を書くことはどれだけ 
アンネの慰めになったことでしょう。

快活な性格だったらしいので 
素直な思いのたけをぶつけたのでしょう。

そのためか最初に世に出された
「アンネの日記」では 父親のオットーが
意図的に削除していた部分もあったようですね。 

後年になってその部分を追加し 
完全版が発行されたりもしました。

そういうものは時代的な影響を
受けることですので 最初の判断も

後年のそれも 父親の心情を考えれば
当然だったのかなと。

本当に奇跡的に残ってくれたことは 
人類史上ほとんど例のない
悲惨な状況に置かれた少女の

それでも前向きに生きようと
希望を失わなかった姿を

後の世代に伝えようという
何かの意思かもしれません。
 
 

書いた本人の人生は短かったけれど…

 
ざっくりと人類の歴史を振り返ってみると 
いわゆる「人種」と呼ばれるものは
黒人 黄色人 白人の三種類しかありません。 

三種類しかないのです。

これ以外の区分というか 細かく
分かれているものは「種」というよりは
「族」なのではないかと思うのです。

つまり共通の又は近い環境で生まれ育った 
とても近い関係の人間が 根っこにある

一種の生活共同体で それらを共有する
一族郎党 仲間みたいなもの。

様々な理由で環境が隔てられたので 
姿形も考え方(言語)も
信仰も生活様式も様々。

共同体または族ごとに抱える
諸問題のため 近場で
離合集散(戦い)を繰り返して 
もう少し大きな共同体を形作る…

それが村や町 そして都市へと成長し
やがて国になる。

その離合集散の中で 
対立や流血による憎悪などが 
それぞれに少しずつ溜まっていく。

あるひとつの人々のかたまりを 
別の人々がまゆをひそめて見つめる

人々の中にうっすらとした対立や 
この人たちは自分たちとは
違うのだという意識が降り積もっていく…。 

それでも共同体の中では 
ある程度うまくやっていくのです。

でもある時 政治的な野心を持ち 
自分の言うことをもっともだと

思わせる手段として
降り積もっていた意識に
火をつけ煽り立てる 
そしてまんまとのせられてしまった…。

人なんて もともとそんなに
違いなどないんですよね。

でも長い時間が経つ間に
降り積もった感覚に 
火を点けられちゃって
最悪の方向へ持って行かれてしまった…

それがユダヤの人々が
辿った苦難なのかなと。

結果的にアンネは短い生涯を終えるのですが 
それでもどんな状況であっても

希望を失わない心持ちは
人の持つ美点であり その姿は
人々の心を揺さぶります。

そして希望が人に与える強さや勇気にも 
大変な力が宿るものだなあと。

取り巻く状況や時代背景といった環境が
全く違うので 想像でしかないのですが

「アンネの日記」を読んだ人は 
自分に立場を置き換えて

様々に思いを巡らし
その中で自分自身を励ましたり
鼓舞したりするのでしょうね。

戦争という人間が引き起こす
究極の環境破壊は御免ですが 

現実問題として アンネが置かれた状況に
近い環境にいる 子供や女性は
今も確実にいます。

残念なことですが 何年たっても
人は変われていないのですね。
 
お読みいただきまして ありがとうございました。
 

スポンサードリンク

コメント

タイトルとURLをコピーしました