今日は「リジューのテレーズ」が亡くなった日

テレーズ忌 ガラス窓

 
テレーズ忌
 
私は信仰を持っていないので
わからないのですけれど 

もしかすると何かのつながりが 
あるのかもしれません。

三天使の祝日の次の日に 
この聖女は亡くなっているのですね。

「リジューのテレーズ」と
呼ばれる聖女は 24歳の若さで
天に召されてしまいました。

神に愛されると早くそばに呼ばれる 
そんな感じのことを
信仰のあつい人たちは言いますね。

絶対者のなさることで 
人間では太刀打ちできませんから

神のおそばに召されたと納得し 
気持ちを収めるのかもしれません。

信仰を持つ人にとっては 
神のおそばに行くことは
何よりの幸せなのだろうな 想像します。
 

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肉体こそ病弱だったけれど

 
テレーズさんに話を戻します。

写真もありますけれど 肖像画の方が
すてきに描かれていますね。

「幼きイエスの聖テレジア」や
「小さき花のテレジア」
という修道名のとおり

もちろん画ですから 
強調されていますが
とてもおきれいです。

テレーズさんは生前からというか 
幼い頃から修道女になろうとするとか
どれだけ信仰が篤かったんだろうかと…。

彼女のご両親もまた聖人に
列せられているようなので 

信仰のために 地上に
生まれてきたのかいと
思うようなご一家です。

あくまでも信仰の外にある
私みたいな者の
勝手な想像ということで

間違っていましたら 
申し訳ありません お詫びします。

修道会というのはその字のとおり 
信仰の道を修めるというか

究めようとする修養の場の
ような感じがするのですね。

神さまと自分とを真っ直ぐに
見つめながら 生きていくというか

神さまのため あるいは信仰のために 
この地上で自分には何ができるか 

そういうことを突き詰めるために
世俗と離れて 純粋に
信仰だけの世界に入る…
そんな風にお見受けします。

本当に心から真剣に 打ち込めるものを
見つけたという意味では 

テレーズさんはもちろん 
ご本人にとって とても
幸せなことだなと思います。

生前からテレーズさんは
体が弱かったそうですが 

どうやらそれは 結核を
受け継いでしまっていたようです。

亡くなってから多くの奇跡を起こし 
病を癒して人々を苦しみから救ったそうです。

人としての人生は短いものでしたが 
その間に残した言葉や行いに
彼女が地上に遣わされた理由が 
ちゃんと述べられているような気がします。

自分のできることは小さいと 
非常に謙虚で慎み深い思いや態度は
若いとなかなかできるものではないです。

自分の信仰心が篤く強いほど 
それを他者に対してコントロールするのが
難しくなるものなのですけれども 
テレーズさんはそうではありませんでしたね。

誰にでもできるレベルでいいのです…
そんな風に微笑んでいるような…。

信仰の心は一生を神に捧げようと
思うほど強いのに その影は
微塵も感じさせず

一般の人ができそうなことから
始めようとするその態度が 
たくさんの人に支持され 親近感を持たれ 
愛されているのでしょう。

あのマザー・テレサも 
テレサという修道名を
このテレーズさんからもらっていますし 

この「リジューのテレーズ」を
敬愛していたそうです。

マザー・テレサの行いも
このテレーズさんの拡大バージョンですから。

テレーズさんは 小さなことでも
正しい行いを積み重ねましょうと

信仰の行いは誰にでも
できることでいいと 自らも行動しました。

マザー・テレサは 弱い立場の人々に
寄り添う姿が 他の人々の注目も集め

結果的に大きな慈善活動へと拡大され 
今でもその意思が受け継がれています。
 
 

少しも小さくない大きな癒しのわざ

 
もちろんテレーズさんも
「リジューのテレーズ」として もはや
信仰の対象のような位置づけですよね。

テレーズさんは「小さき道」と
おっしゃっていますが その「小さき道」が

彼女の起こす奇跡に会えた人を始め 
多くの人々に広まることにより
すでに「小さき道」ではなくなっています。

テレーズさんの言葉を借りるなら 
それは立派に「大きなわざ」ですね。

そもそも信仰とは神さまと
自分という位置づけで始まるものであり

自分の信仰を 他者に強要したり
押し付けることではないのです。

心の拠り所であり 
安寧を祈るものであるはずです。

人の世の中なので 信仰の世界が
求めるものとは どえらい差が
生じるのは仕方がないこと
なのかもしれません。

そんな人の世にあって
「リジューのテレーズ」のような
聖女の誕生は 短い生涯でも

人々に彼女の存在を知らしめ 
奇跡を起こす存在に
生まれ変わるために
あったのかなと思ったりしました。

有象無象の衆生の中に 
たまーーにこういう信仰の在り方までも
正しく理解した聖人や聖女を
配置するのは 神さまが
意図してやっているのかな。

信仰が俗世に塗れ過ぎると 
あまりよろしくないですからねえ。

1897年の今日 9月30日 
24年間の人の暮らしを終えた
テレーズさんは全員が修道女になった
お姉さんたちに見守られながら
亡くなりました。

迎えに来た天使さんたちと一緒に 
天へ昇って行ったのだろうなあと妄想。

テレーズさんのすごい所は 
最期に残した言葉を
きちんと実行してくれて 

数々の癒しや奇跡を
起こしているという点ですね。

やっぱりこれは ものすごく
「大きなわざ」をやってます。
 
お読みいただきまして ありがとうございました。
 

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