今日は「大仏の日」奈良の大仏開眼法要が盛大に執り行われました

 
大仏の日
 
今日は大仏の日だって ご存知でしたか?

そう、あの奈良の大仏さまに
開眼法要が執り行われた日なんです。

どんな仏さまもそうなんですが 

像が完成したぞい 安置したぞい 
よし 終わったから
みんな来てね~ではないんですね。

きちんと法要をしないと 
文字通り「仏作って魂入れず」の状態で

そこにあるのはただの像 
ただの物体なのです。

法要で魂が入って初めて
功徳をいただける仏像になるのですね。

像ですから 当然ご自分で
動かれたりはしません。

一旦安置して法要が済んだ
仏像を移動したりする時も

ちゃんとお経をあげて 
失礼しますとご挨拶をするんです。

移動などは人の都合で行うことですから
挨拶は当然ですね。
 

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華やかな一大セレモニーだった

 
最近各地で仏像窃盗などの話を聞きますが
安置してある場所から勝手に

持ち出すなんてことは(犯罪だよ)
とんでもないことで(犯罪だし)
本当に罰当たりな行為(犯罪だからね)です。

たぶん神さまでも同じで 
その場所にお鎮まり頂いているだから

ご神体はもちろんのこと神具なども 
勝手に移動させたりはしないものです。

これを盗んだり 壊したりと
罰当たりもたいがいにしろよ!

仏教は後から日本に入ってきましたので 
神さまを祀るように 仏さまにも
接してきたのではないかなあと…
これは私の想像ですが。

さて奈良の大仏さまですが 
752年の 4月 9日に
開眼法要が執り行われ 

御仏の功徳によって 国の安泰と
民の幸せを祈るという聖武天皇の
大きなお望みは一応 形になりました。

一応の理由は 大仏が本当に完成するのは 
まだ少し先だったものですから。

もっともこの開眼法要の時には 
すでに譲位されており 

ご自分のことを三宝の奴と称され
出家されたみたいで 
正確には聖武太上天皇と号します。

大変盛大で華やかな法要で 
1万数千人もの人が参列したと
記録に残っています。

開眼というのは 実際に仏さまの目に
瞳を書き入れる儀式なんだそうで 

インド人の僧侶 
菩提遷那(ぼだいせんな)が
筆を持って書き入れたのだそうです。

これを開眼導師というそうで 
一番目立ついい役回りですね。

そしてその筆には縷(る)と
呼ばれる長~いひもが繋がっていて 

聖武天皇や光明皇后ほか
たくさんの僧侶などが反対側を握って 

大仏さまと結縁(けちえん)を
願われたそうです。 

この筆と縷は正倉院の宝物として
現代に伝えられています。

インド人の僧侶とか 私たちが
想像する以上に 昔は人の往来が
盛んだったのですね。

1300年も前の時代に 
これだけの仏さまを作るのには 

いったいどれだけの労力が
必要だったでしょうか 想像もつきません。

東大寺の大仏殿の碑文によれば 
寄進してくれた人はおよそ42万人、

実際に工事に携わった人々は
218万人とあるそうで 
まあ…とんでもない人数ですよ。

聖武天皇が深く仏教に帰依していったのは 
近親者による流血の権力争奪戦とか

疫病とか様々な困難が次々に
襲って来たこともあったのでしょうね。

たびたび遷都もしていますし それって
相当お金がかかることだと思います。

恐らく疫病も民に大きな被害が
出ていたことでしょう。

当時の流行り病などは 本当に収束して
くれるのを待つしかありませんでしたから。

そんな状況にも関わらず 巨大な仏像を
建立したいと思われたのは

これらは国家事業として推し進める 
ある意味での公共事業でもあったのかなと。

つまり苦役として駆り出すのではなく 
仕事として雇用したみたいな…。

無理やり連れてきて
働かせるような労働環境で 

維持できる規模の工事とは
到底思えないのですが 
想像力の欠乏でしょうか。
 
 

天皇と民とで 大仏を建立する意味

 
もしかしたら天皇から直々に仕事を
仰せつかった人たちが 

黙々と作業しているのを人々が見て 
やがて手を貸す人が現れるなど 

だんだん人数が増えていったとか 
そんなすてきなことも 
あったかもしれませんねえ。

大きな工事は たくさんの小さな仕事も
派生させるという一面を持ちます。

材料と人と時間が膨大に必要ということは 
当然衣食住を整える必要が出てきます。

工事の行程や作業によって 人の
入れ替わりなどはあるかもしれませんが。

いずれにしてもこの大事業 
たとえそれが天皇の詔であったとしても 

民の賛同と実際の行動が伴わなければ 
絶対に実現しないことです。

こういうことが成し得たのは
「人の気持ち」以外のなにものでも
ないと思うのです。

多くの人が気持ちを合わせ 
一つのことをやり遂げようとして協力する、

そしてその努力が実り 
大仏という大きな形になる…、

その仏さまはずっとそこにおわして
人々を見守って下さる…。

形にすることは 成果がとても分かり易くて 
完成の喜びもひとしおだったでしょう。

また帰依した仏のご縁でしょうか 
754年には かの鑑真和尚が来日を果たし 
聖武天皇に拝謁しています。

先ほど完成はもう少し先と言いましたが 

大仏さまが完全に出来上がったのは
755年のことで その完成を見届けた後
756年に聖武天皇は崩御されています。

強く望まれた願いが叶って
本当によかったですね。
 
お読みいただきまして ありがとうございました。
 

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