今日は「雷記念日」だそうですが…どうしてなの?

雷記念日 祝日・記念日、○○の日

 
雷記念日
 
雷の記念日なんて珍しいですよね。

自然現象で記念日にするなんて
何があったのでしょう。

初めて聞いたとき あのことじゃないかな?と
ちょっとだけ思い当たる
歴史上の事件が頭をよぎりました。

平安中期 当時政治の中心だった
清涼殿という御殿に落雷がありました。

恐らくこれのことだろうと思いながら
検索したら、ピンポーン。

西暦では930年に当たる年のことでした。

落雷といっても建物だけの被害なら物損ですが
この時は何人か死傷する人的被害も
発生していたので 後の世まで
語り継がれることになったのではないでしょうか。

当時の人たちにとっては
雷は耐えがたいほど恐ろしい現象で
誰もが相当びびることでしたからね。
 

スポンサードリンク

 

さぞ怖ったことでしょう

 
この年は干ばつで雨が降らず
みんな困っていたそうです。

で、雨乞いの儀式をするかどうか
閣僚が集まって相談してました。

当時はそういうことも 閣僚が会議を
開いて決めていたんですね。

雨乞いの儀式は 古くは天皇が御自ら
八百万の神々さまに祈りを捧げることも
あったようでしたが 平安中期のこの頃は
たぶん高名な僧侶が読経などで
雨乞いをしたのではないでしょうか。

その会議の時に にわかに雲が立って
あっという間に雷雨になったそうです。
雨乞いする前に 雨も雷も降ってきたのね。

この時雷が直撃したのは西南側の
第一の柱だったそうです。

たぶんその近くにでもいたんじゃないでしょうか
藤原清貫という公卿は ほぼ即死、もう一人
平希世も瀕死の重傷を負ってほどなく死亡。

さらに続いて紫宸殿にも雷が落ちました。

こちらは右兵衛左といいますから警備を
担当する部署の偉い人たちと思われる人が
3人と近衛の2人も死亡しています。

辺りは雷雨だし御殿は大混乱に陥ったそうです。

醍醐天皇も清涼殿から別の御殿に
避難されたそうですが このひどい有様を
ご覧になって体調を崩されてしまい
3か月の後には崩御されてしまいます。

天皇をはじめ人々がどうしてこんなに混乱し
後の世にまで伝えるほど恐怖したかは

当時の自然現象に対する考え方が
影響しているのですね。

干ばつも 飢饉も 疫病も そして雷も
怨霊の祟りだと信じられていました。

つまり自然現象に対して それも人に直接害を
もたらすものや現象は 恨みや怒りを抱いて
亡くなっていった人たちの怨念・怨霊が
引き起こす事柄だと考えていたのです。

神仏に祈りを捧げ その法力をもって
調伏してもらうことが大切だったのです。
 
 

身に覚えのある人は戦々恐々?

 
そんなベースに加えて 亡くなった公卿の
藤原清貫は以前 藤原時平の命を受け
大宰府に流された菅原道真公の様子を監視し
報告するなどしていました。

いわば「前科」があったようなものです。

時平は道真公を陥れた人物として有名で
909年に39歳という若さで
亡くなっているのですが

反対に彼の親兄弟たちが
わりと長寿だったこともあって

この若い死は道真公の祟りに違いないと
実しやかに言われました。

清貫はそんな時平の手先同然だったので
道真公の怨霊である雷の直撃を受けたに違いないと
人々はほぼ信じ込んだものと思われます。

実は時平と謀って道真公を陥れた
もう一人の犯人源光(みなもとのひかる)も

道真公が亡くなって10年ほどたったころ
鷹狩りをしていた折に 誤って
深い泥沼に落ちて亡くなっているんですね。

私は本人の過失じゃないかいと思うのですけれども
狩りに夢中になっていたか ぼけっとしてて
落っこちたのかもしれませんよねえ?

…ですがこの時 彼の遺体は
浮かんでこなかったそうで
人々は道真公の祟りだと噂したそうです。

噂に尾ひれがついて 誰かがつまづいて
こけただけでも祟りにされそうな勢いですね。

まあ偶然が重なったとはいえ 当時の人々が
びびりまくったのもわかります。

生前の道真公は優れた人だったし
何も悪いことはしていないのですから。

単なる政敵であっただけなのですが
当時は本気で抹殺しようとしましたからね。

彼らが祟られて非業の死を遂げても仕方ないと
みんなが思っていたんですねえ。
 
 

負い目があるから 一層怖いと思うのよね

 
藤原一門で公卿の席を独占しちゃえとか

自分の思い通りの政治をやりたいから
対立する政敵は陥れてでも倒すとか

何時の世でもあることだとは思いますが
都を追い出す程度のレベルじゃなくて
当時では「流刑」に近かったのではないかしらん?

いくらなんでも ちょっと
やり過ぎだったんでないかなあ…。

藤原一門の悪辣な部分をわずかでも
道真公が持ち合わせていたら 彼は並外れた
頭脳の持ち主だったのだから 用心を重ね

彼らの陰謀を逆手に取るくらいのことも
できたのではないかなあ…なんて思うのですが…

頭がよくて正直で真っ直ぐなのは 特に政の世界では
プラスにばかり働かないという
典型的な例かもしれません。

道真公のような逸材はそうそう現れないのに
もったいないことをしたもんだ。

また時代的にこれといった医療がなくて
病気の平癒も祈ることしかできませんでした。

なのでよからぬことは ほぼ何でも祟りと
いうことにされてしまったのでしょう。

ともあれ雷が危険なのは 今も昔も
変わりませんので気をつけましょう。
 
お読みいただきまして ありがとうございました。
 

スポンサードリンク

コメント

タイトルとURLをコピーしました