今日「植物学の日」は 牧野富太郎さんのお誕生日

 
植物学の日
 
今日 4月24日は「植物学の日」
とされています。

それはこの日が日本の誇る偉大な植物学者
牧野富太郎さんの誕生日にあたるからです。

先生は1862年(文久2年)
 4月24日 高知県に生まれました。

すごいですね 明治維新より5年も前です。

富太郎さんが生まれた時は 
あの坂本竜馬だってまだ生きていましたよ。

やっぱりその道の第一人者と言われる人って
生き方そのものが もう普通じゃないですね。

数々の新種の植物を発見し命名もしましたし 
膨大な種類の標本や植物に関する著書など 

どうしたらこんなに多大な成果を残せるのかと
思うくらい 文字通り植物の研究に
生涯を捧げた人だったと思います。
 

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常に植物と共に歩んだ人生

 
富太郎さんは小さい時から
植物大好き少年だったようですね。

驚いたことに小学校を2年で中退しています。

まあ江戸時代から明治時代へと
大転換が起こりましたし 

郷校がそのまま小学校へ移行したので 
そういうこともあったのかもしれませんね。

寺子屋や郷校でちゃんと勉強しているので 
小学校ではなく 中学とかで
よかったのではないかなと想像します。

で、どうしていたかというと 
外を駆け回っては 植物採集をしまくる
という日々を送っていたそうです。

というかこの人の人生はほとんど
こういった研究に費やされていました。

そして15歳のころ 小学校の
臨時教員として教鞭をとりました。

その間も植物採集 写生 
観察と研究を続けたのです。

高知師範学校の永沼小一郎という先生の
おかげで欧米の植物学を知ることができ 

当時の著名だった学者の人たちとも
交流できたそうです。

で、この後東京へ出て行って
東大の先生と知り合いになり(植物のご縁?)

研究室の資料など自由に
見せてもらえるようになったんだそうです。

普通 有り得ないことですよね。

それでも結局合わせて47年もの間 
大学で仕事を続けることができたそうです。

植物の標本も作りましたが 写生 
つまり絵も描いたのですね。

富太郎さんは今でいう「植物図鑑」のような
本を作りたかったようです。

実は 私 ちょっとだけボタニカルアートを
やりかけたことがあります。

細部まで細かく観察して 
見えない所は 花を切って

中を開いてみるなどして
その構造を丹念に調べた上で 

見える通りにデッサンして色を差していく
植物画のことなのですが… いやはや 
これが大変だったらあ~りゃしない。

面倒くさがり屋の私は
すぐにヘタレて 投げ出しました。

適当に花の絵を描くなら 
簡単だしとても楽なのですが 

あるがままにしっかり描き写すことが
求められるもんですから 
むだに肩に力が入るですよ。

もちろん人様が描いたものを見るのは 
好きなんですけども 見ていると

いつの間にか肩に力が入っていて 
見るだけなのにかなり
緊張するのがわかります。 

たぶん見ながら 描いた人の意識を
追体験しているのだろうと思います。

自分の力量が恐ろしく足りないため 
エネルギーの消耗が激しくて
くたびれるんです。(笑)

描くのは…やれと言われても 
丁重にお断り致しますです…。

今考えると 富太郎さんは標本を集めてきて 
分類し 写生する こういうことが

お好きだったんだなあ…と
あらためて思います。
 
 

偉大な天才に共通点があるとしたら…

 
先生は植物のどんなところに
惹かれたのでしょうねえ? 

似て非なる姿や構造でしょうか?

それとも種類や仲間 あるいは
どんな場所にどんな風に生えているか?

どんな環境に適応していて 
どうやって繁殖するか…とか?

もしかすると富太郎さんに出会いたくて 
名前をつけてもらいたくて待っていた
植物たちも多かったのかもしれませんね。

―「雑草」という名の植物はない― 
これは富太郎さんの言葉ですから。

何度もやりかけては人に邪魔されたり 
資金不足に陥ったりとその度に

途中になってしまうのですが 
決してあきらめることはありませんでした。

こういう不屈の精神ともいえる情熱を
持ち続けることこそ 本物の才能であり

誰もが偉大な研究者と認めざるを得ない 
成果功績に結びつけたのでしょう。

本人は学歴や権威を意に
介さぬ人だったそうです。

研究に対しては熱中するけれど 
子供がそのまま大人になったような
人だったみたいなので 残念ながら
社会性に乏しかったのかもしれません。

富太郎さんの人生物語を見た時 
ふと音楽家のモーツァルトが
思い浮かびました。

彼の天才は偉大な才能は本物ですが 
大人としての社会性に欠けていたので

悲劇的とも言える短い生涯を
送ったように思います。

富太郎さんの方は94歳という
長寿を全うされましたけれど

偉大な才能と偉大な業績 
子供のままの純粋な情熱 

少し欠けていた大人としての
社会性や経済観念 かぶるところが
あるような気がしてなりません。

やっぱり偉大な人は普通じゃない
のかもしれないですね。(笑)

生涯で発見・命名したものは
2500種以上もあるとされ 

学名などに「Makino」とあるのは
富太郎さんが命名したものだそうです。

生まれ故郷の高知県や東京には 
ゆかりの記念館や資料館 植物園や
庭園などが整備されています。

本当に生涯を植物とともに
歩んだ人だったのですが 

実は音楽も好きだったようで
ふるさとの音楽教育の振興にも
力を尽くしたのだそうです。

私は たまたまモーツァルトを
思い浮かべましたけれど 
無関係ではなかったみたいです。
 
お読みいただきまして ありがとうございました。
 

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