今日 7月24日はアルフォンス・ミュシャが生まれた日

A.ミュシャ生誕 ガラス窓

 
A.ミュシャ生誕
 
アルフォンス・ミュシャという
芸術家をご存知ですか?

アール・ヌーボーの華と呼ばれ 
それはそれは美しい絵を描きました。

ミュシャとか言われてわからなくても 
彼の作品を何かの機会に
目にしている可能性が大! 
というくらい有名な画家さんです。

繊細で流麗な画風なのでよく
ジグソーパズルになったりしてます。

この芸術家の誕生日が 
今日 7月24日なのです。

今からおよそ160年ほど前の
1860年のことです。

当時はまだ
オーストリア=ハンガリー帝国が
支配していたモラヴィア
という街で生まれました。

この地は現在では
チェコスロバキア共和国になっています。
 

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ミュシャは美術界の至宝

 
欧州でもひときわ国が わわわっと
寄り集まったような場所です。

大きくて強い国が近くにあったので 
力関係の変化によって陣取り合戦みたいに

我が国の領土だ いやこちらの領土だ
というように 支配者が変わるなど

数奇な運命をたどった国が
多いということだと思います。

ミュシャは働きながら絵の勉強を
するなど苦労をしたようです。

確かなデッサン力に裏打ちされた
正確な人物描写は 相当な修業を
積んだとイメージさせるし 

もちろんそれを可能にした彼の比類なき
才能だと心からうらやましく思います。

複雑な曲線を多用しても少しも
ブレない美しさが最大の魅力でしょう。

今ならお絵描きソフトで 
いくらでもできそうな装飾ですけれど

当時はすべて手書きで
行っていたんですからね。

色をのせる作業にしても
一発勝負で やり直しはききません。

恐らく…ですが 後世に名を残す
偉大な芸術家ほど 色の計画
(何種類もの色を作り 様々なパターンで
試作を繰り返すこと)を
綿密にたてて制作にあたったのだろうなと…。

絵を描かない人に有りがちな
思い違いですけれど 

いきなり色をのせて 完成させる
ものではありませんからね。
(油彩はガシガシのせますけども…。)

またリトグラフという版画の一種を
使った作品が多いのですが 

これは大変に細かくきれいに
仕上がりますけども その分工程も
ひじょーーーーに、面倒くさいんですな。

私も画集をいくつか持っているのですが 
できるだけ見ないようにしています。

なぜかというと 好き過ぎて
何時間でも見続けてしまうからです。

私にはアブナイ中毒性が極めて強くて 
とてもキケンなのです。(笑)
 
 

見る者を虜にせずにはおかない

 
若きミュシャは苦学する中 
パトロンに出会い25歳で
ミュンヘン美術学院へ

そして28歳で パリの
アカデミー・ジュリアンに学びました。

1895年の暮れ 急きょ入った仕事で
ミュシャは一気に有名になります。

舞台女優サラ・ベルナールの依頼で
描いた舞台のポスターが大変話題になりました。

この時 たぶんクリスマスの休暇かなにかで 
パリには著名な画家たちが
誰もいなくて 無名のミュシャに
白羽の矢が立ったのだそうです。

でもこれが縁というものなのですよね。

一気にスターダムに駆け上がったミュシャは 
素晴らしい作品を残します。

形のないものを女性で具象化し 
寓意を込めて描いたものが多く 

背景には曲線や円をモチーフにした
幾何学的な装飾が特徴的です。

ポスターだけでなく たばこのパッケージ 
お酒のラベル 装飾パネルなど
多岐に渡る芸術作品を数多く手がけました。

パッケージとかもったいなくて 
破って使えないですよ。

商業デザイナーの走りのような人です、
その作品はどれも洗練されていて美しい。

また絵本の挿絵も手がけ、彼の手に
かかればそれはもう立派な芸術作品です。

あれだけの画力があるので どんなにか
素晴らしい絵本になっただろうと 
想像するだけで倒れそうです。

…複製でいいから欲しいよお。

数々の輝かしい業績で 米国の富豪の
援助を受けることになって 
故国チェコに帰国し 

作曲家スメタナの「モルダウ」から
着想したといわれる大作
「スラヴ叙事詩」を描き始め 
完成にはおよそ20年もかかっています。

1918年オーストリア帝国が滅び 
チェコスロバキア共和国が誕生。

切手や紙幣 国章のデザインなどを
手がけました。(いいなあ…)

ところが1939年3月
ナチス・ドイツがチェコを解体してしまいます。

さらにミュシャの作風が民族意識を
刺激するとか難癖をつけて 彼を拘束し尋問。

78歳の芸術家になにすんのよ!

ミュシャの絵は美しいだけだ!

ヒトラーは自分が絵描きになり損ねたんで 
そこそこの審美眼は持っていたと思うの。

極端に自分の思想の方向に
捻じ曲げて解釈してたけども 

絵をかじった者が見れば
画家の力量はすぐにわかったはずだから 
ミュシャの描写力とか妬んでたよ、絶対。

スラブ系のミュシャにやられたもんで 
すごく悔しいと思ったかもしれませんね。

ほどなく釈放されましたが 
7月になって体調を崩して
亡くなってしまいます。

ナチスがミュシャの
寿命を縮めたんだな?許せん。

戦後は共産国になってしまったのですが 
ミュシャは人々に愛され続けたそうです。

むしろミュシャの作品は人々の気持ちを
まとめる上で 有効だったのではないかしら。

訴える力が大きいし政治体制を超えて 
チェコの人々の心を捉えて離さない
彼らの、民族の誇りになっているのだと思います。

アール・ヌーボーの再評価も手伝って 
巨星として輝き続けています。

久しぶりぶりに画集を出してみようかな…。
ぐふふふ…
 
お読みいただきまして ありがとうございました。
 

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