今日は「グリム兄弟」の長兄ヤーコプ・グリムが生涯を閉じた日

ヤーコプ・グリム忌 ガラス窓

 
ヤーコプ・グリム忌
 
1863年の今日 9月20日は
「グリム童話」で有名なグリム兄弟の
お兄さんの方 ヤーコプさんが
亡くなった日だそうです。

6人兄弟の長兄だそうで お父さんは
法律家で伯爵領の管理官と
司法官を兼ねていました。

お父さんが健在だったころは
裕福だったのですが 肺炎で亡くなると
兄弟たちは 伯母に援助をして
もらいながら大きくなります。

ヤーコプさんと すぐ下の
ヴィルヘルムさんは 
ギムナジウムに入れてもらい

ふたりとも主席で卒業すると
大学へ進学します。

そもそもが学者肌で
優秀な人たちだったようですね。

ヤーコプさんは大学では最初に
法学を学びましたが 

残念ながら法律よりも
ドイツ語やその文学の方に
関心が移っていきます。
 

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肖像画が ちょっと怖いんですけど

 
恩師がパリに呼んでくれたのですが 
丁重にお断りの手紙を書きました。

そして1808年にお母さんが亡くなると 
弟や妹を養う必要から
図書館の司書になります。

またその少し前の1806年ごろから 
弟ヴィルヘルムと一緒に

童話の聞き取り調査をし 
編集して清書し始めました。

当時ドイツは細かい国の集合体で

そのうちの一つの国の
図書館に勤めていたのですが 

小さい国なので国家顧問とか特使秘書とか
何だかすごく大変なお役目も
務めていたようです。

仕事のかたわら「グリム童話」の
編纂をしていたんですね。

1830年に母校のゲッティンゲン大学に
教授として招かれるのですが

7年後に「ゲッティンゲン7教授事件」に
関与したため 大学を追われた上
追放処分を受けてしまいます。

この事件は 王さまの政策に大学の教授たち
(有識者)が意義を唱えたもので 

ここハノーバー王国では フランス革命や
その後の英国の影響を受けた新憲法を
打ち立てて「民主的」な政治が
行われていたらしいのです。

ところが1837年新しく
王位についた王さまが 即位早々
この新憲法の破棄を宣言してしまいます。 

これに対して大学教授たちが連名で
抗議文を提出し 正面切って抗議しました。

自分が正しいと思ったことを
やるのはいいですが 結果的にここには
居られなくなり 亡命することになります。

失職してもなおヤーコプさんは
ドイツ語の辞典をこつこつと
作り続けていました。

で、1841年に今度は
プロイセン国王から招かれて 
ベルリン大学で教鞭をとることになり 
以降亡くなるまで法学を教えます。

翌年には勲章をもらったり 
ドイツ文学者会議では満場一致で
議長に選出されるなど

やはり見ている人は
ちゃんと見ていてくれるというか 
ヤーコプさんの業績は
称賛に値するものなのです。

もちろんその間も弟とドイツ語辞典の
編纂に携わりながら。

実はこのドイツ語辞典というのは 
とんでもないシロモノで 

ヤーコプさんやヴィルヘルムさんが
おっ始めたんですけれども 完成したのは 
なんと1961年なのです!\(◎o◎)/

ヤーコプさんが弟と共に続けてきたことは 
ドイツ文献研究の基礎を
築くことになったのだそうです。

ドイツ語の子音の法則を しっかり
定義づけちゃったりとかもしてますし 
その名も「グリムの法則」というらしいです。

外国語なので 何がどうなのか
詳しく知りませんが 

有名どころの名前がついてると
少し気になったりします… 

とはいえ子音の法則だから
面倒なので覚えたくないな。

ドイツ神話学においては今に至る 
神話の比較や民俗学の基礎にもなりました。
 
 

執拗なまでに突き詰めるタイプの人?

 
肖像画をみると 怖そうな顔をしていますが 

すんごい真面目で曲がったことは
ポットの口でも許せないような
人だったのかあ…とか思ったり。

物事を突き詰めて考えるタイプ
だったのかもしれませんねえ。

グリム童話だって もともと怖い話が
多いと聞いていますし ねえ。

自分の母国語を研究する その手がかりを
求めるためか何かで 古い伝承や
童話を集めたのでしょうか。

言葉というものは生きていますので 
時間と共に変化するものです。

伝承される言い伝えや童話などに 
古い言葉の形などが
残っていたのかもしれません。

比較することも大切な研究
要素だったみたいなので 

どう変化したのか 元になるものが 
必要だったのかもしれませんね。

伝わっているところによると
「実り」という項目を書き終えたところで

ヤーコプさんは永遠の旅に
出て行ったそうです。78歳でした。

正しすぎるくらい真面目な人生を
完成されたという感じがします。

生涯を独身で通したそうで 
やっぱりちょっと偏屈で
変わっていたのかもしれません。

一緒に仕事をしたヴィルヘルムさんは 
体が弱かったそうですが 兄弟の仲が良く

図書館司書もベルリン大学で教鞭をとるのも 
ずっと一緒に仕事をしました。

お兄さんとは全然違うタイプの人だったらしく 
だから長い時間一緒の仕事をしていても 
仲良く過ごすことができたのかなと。

今では「グリム兄弟」と言った時には 
この二人の他にもう一人 一番下の弟

ルートヴィッヒも「グリム童話集」で
挿絵を担当したことが知られており 
三人まとめて「グリム兄弟」と呼ぶようです。 

末弟は画家さんだったんですね。 

法学でしょ 言語学者に 文学研究者に
芸術家かあ… すごいなグリム一家。

それじゃあ ちゃんと「グリム三兄弟」に
しないといけませんよね? ぷぷぷ…。
 
お読みいただきまして ありがとうございました。
 

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