思想家ルソーに逮捕状が出た

ルソーに逮捕状 ガラス窓

 
ルソーに逮捕状
 
1762年の今日 6月 9日は
あのルソーにパリ高等法院から
逮捕状が出た日なのだそうです。

ルソーの著書「エミール」に登場する章が
教会やらを怒せるような
内容だったのでしょうね

けしからんことを書くな
ということらしいのです。

このせいでルソーは仏国に居られなくなり 
もともとの故国ジュネーブへ
脱出をはかりました、

この時彼は40歳でした。

実は私こういってはナンですが 
ルソーの著書は一つも読んでいません。

というかフランス革命期の思想家で
後の思想家たちに大きな影響を与えた

という教科書の記述を
丸ごと覚えているだけなのです。
 

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思想と哲学は ちょっと遠回りしたい

 
思想とか哲学というのを考え始めると 
それらが頭の中でとぐろを巻き始める…

つまり明確な答えとか出ないし
考えが堂々巡りになるのがいやなのです。

たぶんそういう過程を学問として
捉えているんだろうなあくらいの
理解しかできないもんで
近寄りたくないんですわ。

自分がよく理解できないもんて 
何だか怖いじゃないですか…。 

そんなわけでこのルソーについても 
早くに両親を亡くして

極貧のうちに少年時代を過ごし
定職に就いた形跡もなく 唯一の収入源は
楽譜の清書だったとか初めて知りました。

音楽家としても作品を残していたんですね。

あの「むすんでひらいて」のメロディは
ルソーの作だって知ってました?

まあ思想家としての名声の方が
はるかに大きかったので
仕方ないですけど。

冒頭のように 教会や政治に対して
障りのあることを書いて発表すると

お尋ね者になっちまう
そんな時代だったのに

それをものともせず
やらかしてくれたからこそ
後の人たちにも影響を
与えられたのでしょうし。

10歳の時に別れた父親は息子に
読書を教え込んだみたいです。

これがルソーの生涯にわたる唯一の
楽しみになったらしく

貧しかったので相当無理をして
本を読んでいたみたいですね。
(だってちゃんと働いてないから…)

時代的なこともあるかもしれませんが
正規の教育は受けていないみたいです。

10代の後半でパトロンに出会って
この人が神学校へ通わせたのですが

1年も通わずに勝手に
やめてしまった不良息子でした。

読書好きの不良息子というのも
よくわかりませんけども。
 
 

数奇な人生が思想家を生んだ?

 
人の世話になりながら たくさんの職を
渡り歩きますが 行く先々で問題を起こして

そこを離れ あちらこちらを放浪して歩く…
そんな生活を送っていたのですね。

実際 貧しい生い立ちで身についてしまった
悪癖があちこちで顔を出したようですし。

当時 国から年金みたいのを
支給する制度があったらしいのですが

現状の社会制度とかに批判的な考えだったし
なぜかいやだったらしくて
長い間受け取ろうとしなかったようです。

生涯で3人の女性との出会いが 
大きな転機になっていましたね。

ルソー本人は顔を知らないかもしれませんが 
彼はお母さん譲りの美貌だったとかで
女性たちを惹きつけたのかもしれません。

そのうちの一人は晩年になって 
ようやく正式に結婚した奥さんですけども。

「社会契約論」を書くくらいの
人だからでしょうか 

奥さんとも長い間「契約」状態で
子供が5人も生まれているのに 

自分たちでは育てることができず
孤児院などへ預けているんですね。

冒頭の「エミール」は小説の形を借りた
教育論らしいのですが 当時の教育に関する
考え方がよくわかる書物になっています。

教会が怒ったとかはどうでもいいのですが 
子供の発達に応じた教育をという
現代にも通じる考え方は 当時としては
斬新だったと思われます。

ほぼ同じ時期に書かれた
「社会契約論」の方が
内容としては過激と言えるかも…。

社会のあり方について論じているので 
当然 その当時の絶対君主制とかを

攻撃とまでは言わないまでも 
批判する形になっているわけですから…。

「エミール」でお尋ね者になってしまい 
ジュネーブへ逃げようとしますが

実はここでも身を隠しながら
生活しなくてはなりませんでした。

教会を怒らせると国境を越えて
追い回されることになるんですねえ。
怖いですねえ。

ところが出版した本を読んで 共感または
ファンになった人が大勢いました。

実際ルソーの著書自体は
たいへん良い売れ行きだったのですが 

原稿が買い取りだったもので 
どんなに売れてもルソーの
収入にはならなかったのでした。

結局ルソーは彼自身が嫌い 
批判した特権階級というか権力者に
匿(かくま)われる形で過ごすのですよ。

彼自身に生活力がないんで 
人の世話になるしか
方法がなかったんですね。

普通はそういう「分際」で人を
批判しないと思うのですが…。
 
 
思想家って わけがわからないよぉ…
 
とても複雑な気分だったと思いますし 
屈折した性格が一層ひん曲がって

一周して輪っかになっちゃったのか 
ついには異常を来たしたらしく…。
えええ?

私がばかなのかと思ったけど 
思想家の書いたものって
読んでもよくわかんないのは

思想家のそういう精神構造が
乗り移っているからかもしんないね?
(違ウト思イマス)

ともかく晩年は精神状態が
残念な状態だったそうです。

もともとね頭は良かったみたいで 
そこへ大量の読書データが
どわーーっと入って

ルソーの中でカオス状態に
なったんだと思うのです。

で、そのどんどろりんになったものを
整頓して本に書いたんですね。

人に分かるように書くということは 
自分自身がその理論なり考えなりを

再確認 再思考 再構築する
作業になるので。

まあ常人には理解しがたい 天才特有の
言動と言ってしまえばそれまでですが
本当によく分からない人です。

こういった苦労を絵に描いたような人生でも 
彼が本を書き それが世に出るには 
必要な要素だったのかもしれません。

ちなみに彼は彼の支持者によって
保護されていましたし 

あまりにも人気者だったので
警察なども所在を知っていたそうですが 
逮捕されることはなかったそうです。

つくづく不思議な人だなあ…。
 
お読みいただきまして ありがとうございました。
 

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