7月26日「ポツダム宣言記念日」って なんだか微妙…

ポツダム宣言記念日 忘れ得ぬ出来事

 
ポツダム宣言記念日
 
1945年の今日 7月26日に
ドイツのポツダムで決めた

大日本帝国に対して無条件降伏を迫る 
米英中三国のトップ名で出された
「ポツダム宣言」を記念するですと。

「米英支三国共同宣言」の方が
分かり易くて良かったんじゃないの。

当時のソ連は後から乗っかっただけって
よーーく分かるし。

「支」というのは当時の
中華民国のことで 代表は蒋介石でした。

ま 蒋介石は英国や米国からこっそり
支援を受けていたようなので
認めてもらうのも早かったんですね。

ただチャーチルは支援してやっても 
トップが率先して横領するなどして

私腹を肥やしているのを知っていたので 
中国人そのものを信用して
いなかったようでしたけども。
 

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腹黒対戦争下手のガチンコ勝負じゃあねえ…

 
英国は「アヘン戦争」などで 
中国人の人間性を知っていたでしょうし

腐敗した人間に味方しても
税金の無駄遣いだと感じたことでしょう。

「ポツダム宣言」の内容は 
ほとんどが米国側で作られたものに 
英国が少しだけ修正を加えたのだそうです。

まあガチンコ勝負したのは
米国だからね 仕方ないけど。

英国のチャーチルも蒋介石も 
サインは米国のトルーマンに
お・ま・か・せ・しちゃった
という話もあるですけどね。

「ポツダム宣言」はベルリン時間の 
7月26日 午後 9時20分に
発表されたのだそうですが 
どうして20分なのかな 正時にせんかい。

同時にトルーマンは戦時情報局
というところから ラジオ短波にのせて
日本に知らせようとしました。

ご丁寧に大切なところは日本語で
放送してくれたそうですよ。ふんっ。

さらに念の入ったことに 西海岸からは
20の言語で放送したんですと。

私 何も知らないのでずっと
不思議に思っていたんですよ。

マジで戦争している敵対国が「宣言」を
どうやって伝えたんだろうなあ?って。

テレビなんかないし 通信は
味方だけのはずだし…手紙じゃないし
電話じゃないし…と アリの脳ほどの
少ない知識で頭の中は堂々巡りでした。

ラジオの短波という方法があったんですね。

それを受信した大日本帝国の政府は 
対応を協議するのですが…想像するに
きっと紛糾したんでしょうねえ。

当時は軍人さんが
国務大臣などを務めていましたし

なんつったって戦時下なので 
軍部的な考え方が
支配していた時代ですから。

たぶん折衷案だったと思われるのですが 
内容には言及しないで発表することに決定。

翌日の新聞には各社の勝手な
論評が加えられて どえらい騒ぎに…。

はっきり言っておきますが 
当時は新聞などメディアの方が
過激に過剰に戦争を煽っていたんですよ、
○売新聞とか 毎○新聞とか 朝○新聞とか。

で この日本独特の「だんまり」が 
英語頭には「拒否」と認識され かつ 
それは核攻撃を正当化する口実に使われました。

今 こちらの誘いにのれば 酷い目に
合わず助かるよ…という条件提示は
それをはねつけたら さらに苛烈な
攻撃があるぞという「脅し」なのです。

相手国がYesと言った場合と 
Noと言った場合のそれぞれの対処を
初めから決めておいてから 
突きつけるものなんですね。

もっともトルーマンは核を試したかったと
言われているので…そういうことです。

実際「核爆弾」の開発に
成功したので やはりその威力を
実際に見てみたいという好奇心と

表だって対立はしていなかったものの 
我々は「核兵器」を手に入れたぞ
という旧ソ連への 無言の圧力をかける
狙いもあったんだろうなと思います。

ドンパチやっている最中 
米ソ両国は水面下で熾烈な
核開発競争をしていたのです。

2つの市街地に人類史上初めて
「核爆弾」を投下されたことで

事実上の敗戦となり 8月15日正午の
玉音放送をもって 20日ほど前に
全世界に発信された「ポツダム宣言の受諾」を 
陛下から直接日本国民に知らしめられました。

陛下の玉音放送の経緯も見えない所で 
たいへんな騒ぎになっていたようですね。 

本物の「最終兵器」を実戦で使用し 
その検証結果とデータをしっかり取った
白人どもはその後 国を挙げて
核シェルターの建設に乗り出したのです。

自分たちだけ助かろうというんですねえ…。へっ。
 
 

江戸の頃から和算があったし 日本人は理系脳

 
もしも日本のどこかでウランが産出されていたら 
全く違った展開になっていたと思うのですけれども…。

話を突然おかしな方向へ持って行って 
すみませんねえ 実は 当時大日本帝国も
「核爆弾」の研究をしていたとされていまして 
あと一歩だったと言われています。

実は核というのは実験をしてみないと 
成功した(理論通りできている)のか 
完成したのかどうか 
わからないものなんだそうですな。 

核実験って 最終段階の確認みたいなもので 
どうしても必要なんですと。 

ところが実験しようにも 肝心の
核物質がどうしても手に入らなかったのです。

日本中を探して歩いたそうですけれども…
天沼矛(あめのぬほこ)で神さまが作られた
神聖にして清浄な島々ですからねえ…この大八嶋は。 

放射性物質を含むような鉱物なんて 
最も似合わないものだと思いませんか?

同盟国のドイツから はるばるUボート(潜水艦)で
ウラン鉱石を運んできたのに 
米国の艦艇に発見され 撃沈されて
しまったとも言われています。

何でも作ってしまう日本人ですが 
さすがに放射性物質までは作れませんねえ。

ウランそのものはなかったのですが 
よく似たラジウムは温泉などにもあるし
そのよく似た他人で研究を
進めるしかなかったようです。

おまけに東京大空襲などで 実験施設が
壊されてしまい断念せざるを得ませんでした。

それでも軍部は米軍の本土上陸作戦に対して 
実験なしの実戦配備を願い出たそうです。

武人らしく 死なばもろともという
覚悟だったのかもしれません。

ですが これ以上の流血をよしとされない
陛下のお許しが下りず断念したと。

どこまでが本当でどこまでが推測なのか 
わかりませんけれど 理系脳の人は
日本にもたくさんいたんですねえ。

特に近代史は歴史的な事実が 
直接今に繋がっているわけですから 

あまり妄想に走ると それは同時に
現実否定につながるので この辺りで
やめておこうと思います。
 
お読みいただきまして ありがとうございました。
 

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