今日 8月18日は豊臣秀吉が亡くなった日 太閤忌

太閤忌 障子窓

 
太閤忌
 
今日は秀吉さんが亡くなった日です。

死因については よく分かって
いないそうですけれども

誰かに殺された~とかいう
物騒な話ではなさそうです。

日本史を学習する年齢以上の日本人なら 
誰でも知ってる秀吉さん。

彼の出自については 実ははっきりして
いないそうで お百姓だったとも 
もっと下層階級の出身だったとも
いわれています。

とにかく武士の生まれでなかった
ことだけは 確かなようですね。

がしがしと出世街道を駆け上がり 
ついには関白まで上り詰めたという
日本史上まれに見る出世物語の主人公です。

信長さん亡き後 並み居る武将たちの
頭の上をぴょんぴょ~んと
飛び超えるようにして 
一気に天下統一を成し遂げました。
 

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どこから見ても 日本一の大出世

 
というか 見方によっては美味しいとこだけ
頂いたような感じもしなくはないですよね。

後は仕上げを施せばいいだけになっていた 
天下統一というケーキ。

指揮を執っていた職人頭の信長さんが 
突然いなくなっちゃったので

一番乗りで駆けつけた秀吉さんが 
まんまと後釜に納まったと。

成し遂げたというよりは 
成し遂げちゃったという感じ。

たださすがに天下ということになると 
トップは誰でもいいとか
そういう訳にはいかないので 

偶然の成り行きなどではなく 成るべくして
なったのだとは思いますけれどね。

どうして征夷大将軍を拝命して
幕府を開かなかったんでしょうね。

信長さんもそうですけれど 
天皇家の皇子さんを養子にしてるんですよ。

もしもその皇子さんが天皇に即位すれば
外戚として 事実上日本に君臨することも
できたんですけどねえ 
平安時代の藤原氏のように…。

ま、その点は結果的に信長さんも
秀吉さんも実現しませんでしたけれど

…ということは 武家の棟梁とかではなくて 
初めから朝廷の方から天下を
見下ろそうとしていたのかしら?

信長さんには明らかに 
そういう野望が見て取れますけれど

秀吉さんの場合は 皇子さんを
養子にしたのも かなり晩年でしたし

元の君主・信長さんの願いを
踏襲したのかもしれません。

あるいは出自を気にしていて 
武家を凌ぐ日本の本流であるところの

天皇家へ近づく方が
いいと思ったのでしょうか。

幕府こそ開きませんでしたが 
秀吉さんも相当敏腕な政治家でした。

私は もしも信長さんが生きていて 
天下統一を果たしたとしても

彼は恐怖政治を行ったとしか
イメージできないんですよ。
(信長信者のみなさん ゴメンナサイ)

信長さんの描く王国のイメージが 
どうしても欧州の辿ってきた歴史と重なるし 

それを払拭する要素が ほとんど
見当たらないもんですから。

そして信長さんのようなやり方だと 
やはり「武力」によって分捕ることが
延々と繰り返されそうな
危うさばかり感じられて 

本当に「矛を収める」ことに
なったかどうか 大小様々な
疑問符で 頭がいっぱいに
なっちゃうのです。

本当の意味での「天下分け目の決戦」は 
もしかすると「本能寺の変」だったのでは
ないかと思えて仕方がないのです。 

歴史が必要とする人物を選ぶ…みたいな。

日本には信長さんのようなタイプの人は 
一時期強烈な個性と戦いの才でもって

ごちゃごちゃした勢力を 
ひとつにまとめ上げるには 
必要だったかもしれないけれど 

あまりにあっけなくて その「役割だった」
としか思えない展開なのです。
 
 

天下人に たまたまや偶然はない

 
権力と武力の両方を持って 
人の上に君臨しようとしたのが
武家生まれの信長さん。

庶民の出で 君主を見ながら
ほとんど本人の才覚だけで
力を掴み取ってきた秀吉さん。

もしかすると出自の違いが 
天下を取った後の行動に
差を生んだのかもしれません。

秀吉さんが幕府を開かなかったのは 
考え方や立ち位置が「武家」よりも

「商人」や「庶民」に近くて 
これまでのように「武力」で
奪い合う戦国の世の中に

一刻も早く終止符を
打ちたかったのだろうなあ…と。 

ある意味では「武力が後ろ盾の武家」に
対して不信を抱いていたのかも…。

上に立つ者が どこを見て政を
するかという点では 

秀吉さんはやはり「庶民」に
近かったんじゃないかと思います。

お金や情報の大切さもよく理解していましたし 
武勇というよりは戦略策略に長けていて 

目的のためには何をするのがいいか 
何を求められているかを
瞬時に判断できた人だったと思いますし 
よく言われる「人たらし」でもありました。

不思議な魅力をたたえた
人物だったんでしょうね。

若き日の秀吉さんは
出自の環境を抜け出したい 
武士になりたくて参加していたと
思われますけれど 

基本的に「戦う」ことは
命令でやっていたことであり 

できればやりたくないし やらずに済むなら 
それが一番いいというのは 
気持ちのどこかにあったと思います。

人間誰しも 好きで白兵戦なんか
やらないと思いますので。

信長さんの命に従いつつ その命の
本当の意味やその目的を正しく理解して

最短で最高の結果を出せるように 
知恵と頭を使ったのだと…。

信長さんとは少しだけ違う目線で 
平和な世の中を望んでいたと思います。

だから刀狩りをして 少々強引とも言える
武装解除させたりしたのでしょう。

二人とも自分の権威づけのために 
天皇家を利用しようとしましたけどね。(笑)

歴史に「if」は笑われますが 
あえて考えてみるのが
面白くてやめられない。

400年も前の人の言動が 
今の時代まで影響したかも
しれないと思うと 

歴史に名を遺した人々の偉大さが
ひしひしと伝わってくるのです。
 
お読みいただきまして ありがとうございました。
 

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