今日 9月 4日は 二宮尊徳が生まれた日

二宮尊徳 生誕 障子窓

 
二宮尊徳 生誕
 
今日 9月 4日は
二宮尊徳が生まれた日です。

天明年間ですので
1700年代後半の人ですね。

もともとは裕福な農家でしたが 
散財して借財がかさんだり 

度重なる川の氾濫などで 
田畑や家を失い よその家に
寄せてもらうなどしながら
窮乏生活を送ったそうです。

12歳の時には眼病を患った父に代わって 
堤防の工夫をやろうとしますが

幼すぎて仕事にならず その代わりにと 
夜なべをして草鞋(わらじ)を
編んでは みんなに
配ってあるいたそうです。\(◎o◎)/

大人と同じ力量はこなせないけれど 
自分のやれることで

きちんと参加するという姿勢が
12歳とは思えない立派な行動ですね。
 

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辛抱と努力の人

 
このあたりにすでに
将来提唱し実践して 
成功を得ることになる
「報徳思想」の片鱗が
垣間見えている気がします。

ところが13歳で父が亡くなり 
15歳で母も亡くしてしまいます。

幼い弟二人は母の実家へ預け 
金治郎さんは本家の祖父の元へ行きました。

本家というところが
みんなそうとは思いませんが 

この本家のじじいってば
ケチな野郎だったそうです。

金治郎さんが一生懸命働いて 
その合間隙間に読書するのを

「灯油がムダだ」とかぬかしやがって 
ぶすぶす文句を言われたそうです。

普通なら拗ねてケンカしたり 
そんな所は飛び出したりするものですけれど

金治郎さんは 堤防にアブラナを植え、
そこから油を取って使ったそうです。

つまりケチじじいに
文句を言わせなかったんですね。

それから用水路の部分に
余って捨てられていた苗を植えて

余分なお米 文字通り
金治郎さんのお米を 
1俵も収穫していたそうです。

稲というのは 冷たい水では
生育がよくないものなので 

川や用水などから直接入ってくる部分を
細い水路のようにして 
水を遠回しにすることで

水温を上げて生育にばらつきが
出ないように工夫するものなのです。

そこへ余った苗を植えちまったんですね。(^艸^)

ケチじじいの所には2年ほどいただけでしたが 
このあと親戚数軒に寄宿しながら

20歳の頃までには 余分なお米が
20俵も取れるまでになったそうで 
生家を再興するために家に戻ってきました。

そして家を建て直し 田畑も買い戻した上で 
実際の農作業は他人に任せる形で

地主として農園経営をし 
自分は小田原に出て
武家奉公人として働きました。

金治郎さんて どうしてこんなに
働けるんだろう?

一説には金治郎さんは背も高く 
体もがっしりとした
大柄な人だったようです。

貧しくても…いえ貧しいからこそ 
寸暇を惜しんで働いたので
そのことが
身体をしっかり鍛えることに
なったのかもしれません。

生家を再興できたんだし…というか 
再興しただけでなく 
より大きくしてるけど

普通はそこら辺で 
満足するもんじゃありませんかねえ…?

本当に根っからの
働き者だったのでしょうねえ。

ケチじじいを見返してやれる
レベルだったろうし 実際 
じじいはきっと歯ぎしりして
悔しがったただろうねえ。 

ケチな奴ほど人を妬むから…。
 
 

経世済民と「報徳思想」

 
この後 金治郎さんは
お母さんの実家の窮状を助けたり 

小田原藩士の家計を助けたり 
だんだん話が大きくなっていくんですよね。

でもそれらって うわさとか
風評とかではなくて 

本当に実績をあげて たくさんの人を
救済しているんですよ。

経済という言葉の
語源である 経世済民とは
このことを指すのですね。

ざっくり見ていると 
収入と支出を見直して 
無駄を省きつつ同時に
収入の底上げを図るという 

言うのは簡単だけどやるのは
とても大変なことを
ばんばんやってみんな成功させるとか 
いやはやすごい人だわ。

晩年には武士でもないのに 
幕府に直接仕えてる形になってるし。ぷぷぷ…

おっと実際には身分もきちんと
武士になっていましたので 

何と言うか ものすごおおく
働き者の武士だった…というのが
正しいでしょう。

働くということに対しての
考え方の違いが 
大きいからとは思いますが

「報徳思想」みたいな考え方って 
日本独特ですよね。

また学者でも研究者でもない 
お百姓さんから考え出された
というのも特徴的です。

あとお題目を唱えるだけではなく 
実際に汗を流して 逼迫した財政を
立て直すという共通の目標のもと 

武士もそこに仕える人たちもみんなして
やれることを実践して
目標を達成していく…
そこが大事なのかなと。

しっかりと時間をかけたのだろうし 
すぐに結果の出ることではないので

気持ちを持続させることが 
大変だったのではないかなと思います。

実際に知識というか
経験に裏打ちされた見識から 

天候不順を予見して蓄えを
増やすように指示したり 

稲の代わりに冷害に強い雑穀を
植えさせるなどして

お米が取れない時の
代替えにしたのだそうです。 

冷害とか 普通では
太刀打ちできないような事柄でも 

被害を最小限に抑えてしまうとか 
金治郎さんて本当にとんでもない人です。

実績があがれば 少々大変でも
誰も文句は言わないし 
評判もあがりますからね。

人に文句を言わせないだけの実績を 
上げ続けるのも普通じゃないですけど。

みんなが生活していけるように
するにはどうしたらいいかという点に

執拗と思えるほどの強い信念と
行動力で立ち向い

人々に対して自らの行動で示してみせた
人だったのです。
 
お読みいただきまして ありがとうございました。
 

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