J・R・R・トールキンの「ホビットの冒険」刊行される

ホビットの冒険 発刊 ガラス窓

 
ホビットの冒険 発刊
 
今日 9月21日は1937年に
「ホビットの冒険」が刊行された日なのです。

「指輪物語」があまりにも有名で 
そして面白くて どの本が
いつ刊行されたとか 
どうでもよくなっちゃいそうですが。

でも記念すべき日であることには
変わりないでしょう。

トールキンさんはこの時45歳でした。

私はこの方 言語学者だと
思っていたんですよ ずうっと。

でもそういう顔だけでは
ない人だったんですね。

かなり長い間オックスフォード大学で
教鞭を取っていますので

大学教授としてのキャリアの方が
長いのかもしれません。

やっぱり立派に学者さんですわ。
 

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早く両親を亡くした苦労人ですね

 
ぱぱっと見て一番目を引いたのは 
彼の出生地名でした。

は…?「オレンジ自由国」…? それどーこー?

どこのファンタジー国家ですかー?と思ったら
南アフリカ共和国のことだったみたいです…。(^^;)

トールキンさんは3歳の時に
お父さんを亡くして 
英国に戻って来ています。

お母さんは二人の息子をつれて
両親のもとに身を寄せたそうです。

教育に熱心なお母さんだったそうで 
植物学が得意だったみたいですが

トールキンさんの方は すぐに
ラテン語を覚えて読み書きもしたとか。

やっぱり語学に才能があったんですね。

ですが12歳の時にお母さんも他界してしまい 
その後は司祭さんに育てられました。

住まいは高い塔の影だったそうで 
この多感な時期の住環境は少なからず
彼の作品に投影されているとか いないとか…。

それと近くに大きな美術館があり 
ここは重厚な絵画がたくさん収蔵されてて

しかも無料で見ることができたので 
これらの絵がイマジネーションとして
与えたものも少なくないのかもしれません。

実際 この方が構築した別の世界のお話では 
その中に登場する人々が使う言語とかも 
しっかり体系化するところまで 
作り込んでいますからねえ。

ファンタジーというジャンルを
確立してみせた立役者ですが

お仲間にはC・S・ルイスや
チャールズ・ウィリアムズとかがいて

うほほ…すごいわあと 
名前を見るだけでもわくわく…。

ただ以前から言っている通り 
言語の問題は無視できない大きさで

トールキンにしろルイスにしろ 
原語で読めない以上 英語で考える人たちが
面白いと思うイメージで 私が同じように
面白いと思えるかは非常に疑問が大きいのです。

翻訳してくださる方の力量に頼らざるを得なくて…。

とはいえどこにでも専門家はいるものですから 
当然のことながら翻訳するにあたって 

ファンタジーが苦手な人が担当するとは
思えないので そういう意味では
大丈夫と思うのですが。

繰り返しになりますけれど 
ファンタジーはどのくらいその世界観を
共通にできるかに成否が
かかっていると思います。

できるだけ細かくリアルに設定する方が 
より具体的なイメージを構築でき 

書き手と読み手の想像を
近づけることができますからね。

そんな理由から私はファンタジーこそ 
映画やまんがといったビジュアルを伴う
カテゴリに向いていると思っています。

なのでハリウッドが映画化して
くれた時は うれしかったですね。
 
 

言葉による表現と映像の表現

 
映像化は不可能だと言われていたのに 
映像加工の技術はそれを見事に
可能にしてみせてくれました。

逆説的に考えると それだけ言語による
具体的な世界観がしっかりしていて

映像技術がそれに追いついて
いなかったということも言えるかと。

もしかしたら「絵」でなら 
あるいは映像化することはできたかも…と
思ったりするのですが やらなかったのには
やっぱり理由があるのだろうなと。

「絵」にするのも たいへんな労力が
必要な割には 興行的なリスクが
大きかったのかもしれませんね。

各方面を納得させる作品にしなくては
なりませんし「絵」を動かしたものは
「子供向け」としか
認識されていませんでしたから。

例えば 日本で取り掛かろうにも 
翻訳の一手間がある上に 原作のイメージを
どこまで「絵」にできるか未知数ですし 
やはり興行的なリスクもあります。

とはいえ熱狂的なファンに支えられ
じっくりと時間をかけて熟成された結果

映像技術が これらファンタジーと呼ばれる
「異世界」を驚くばかりのリアリティを持って
作り出せるようになりました。

トールキンさんやルイスさんが 
これらの映像作品を見たら 

どんな風におっしゃるか 
ぜひ聞いてみたいです。

言語というものはやはり道具であり 
使う側の力量と受け取る側の力量が
リンクしないとうまく機能しませんよね。

想像力に頼る場合も同じで 
文字や言葉だけでは やはり
伝えられることに限界があると思うのです。 

そしてそれは受け取る側にとっても同じで 
むしろこちらの方が かなり分が
悪いことが多いと思うのは 

自分自身が発想の貧困さを 日々
思い知らされているからなのですが…。

トールキンさんのような学者さんなら 
文字を使い言葉を主体にしている
だからこそ 面白いのだとか
文句をつけられるかもしれませんけれど…。 

具体的な映像は有無をも言わせぬ
説得力があって ファンタジーを力強く
後押ししてくれると 思うのですが…

いかがなもんでしょうか。
 
お読みいただきまして ありがとうございました。
 

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