「ナントの勅令」は 今日発せられた

 
ナントの勅令
 
個人的な言い分で申し訳ないのですが

世界史の出来事の中で 
「カノッサの屈辱」と「ナントの勅令」は

ほとんど意味もなく
覚えている事柄なのです。

前後の脈絡も主役は誰だったかも 
すっぽ抜けているのに 
なぜか覚えているという…

自分でも訳わからん。

で、今日は1598年に「ナントの勅令」が
発せられた日なのです。

ただ単にナントという音が
聞きなれた日本語にもあるわけで

理由もなく親近感を覚えただけ
…かもしれないですね。

外国語なのに 日本語っぽい音って
わりと多いような気がします。

本題と関係なくてすみません。
 

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欧州史において宗教は歴史そのもの

 
私はごく普通の昭和生まれの日本人だし 
学校も公立だし授業を受けた時も

「宗教が戦争を起こす」ということ
(実は今でも絶えない事実なのですが)に 

まるっきり実感がなくて 
非常に理解に苦しみました。

信仰する宗教が違うことで 
諍いが起こるならまだわかりますが

カトリックもプロテスタントも 
どっちもキリスト教徒でないんかい

何を散発的に殺し合ってたの 
この人たちは…というのが感想でした。

素直な子供だったので(自分で言うか!)
「汝の隣人を愛せ」とかいう 

フレーズの意味が自分の理解する意味と
違うのかと不思議に思ったものです。

フランスのアンリ4世が発した
「ナントの勅令」というのは 

プロテスタントの信徒に
カトリック信徒と同じ権利を与えて 
個人の信教の自由を認めたものです。

つまり信仰がカトリックでなくても 
まあいいよ…ということですな。

信仰を同じにすることで
ある程度の結束というか

考え方の方向性を整えてきた部分も
あると思うので 同じクリスチャンでも

信仰の対象が違う人たちを
認めるということは かなり冒険というか
危険をはらむものだったのだろうと…。

今ならわかるのですよ、一神教が持つ
二元論が引き起こしたんだろうなって。

光か闇か 神か悪魔か 仲間か敵か…
そういう風にしか考えないから…。

分かり易い反面 解釈などの
許容範囲がとても狭くて 
対立が起こり易いんですよ。

考え方や教義について行けないとか 
疑問を持つ人は排除されていくのです。

プロテスタントが台頭した時点ですでに 
宗教としては飽和状態であり

言い方が悪くて申し訳ないですが
「共食い」を始めたとしか
言いようがないです。

「絶対」という概念自体が 
様々な矛盾をはらみ易いので 

それが基本の「き」になっていると 
最初はへええ そうなんだ…となるけれど 

時間の経過と共にチラチラと矛盾点や
綻びが出てくるんですね。

だってキリスト教がローマ帝国を
籠絡してから1300年近く経ってますから

分家(プロテスタント)が出て来ちゃったり 
それを認めざるを得なくなったと。

私の思った どっちもキリスト教徒じゃん…
ていうのも実は極めて日本人的発想で

カトリック信徒でなければ
クリスチャンと認められなかったんでしょうね。

教会が力を持ち過ぎたため
(一神教の弊害のひとつ)
一般の人々の暮らしの中に

宗教的な縛りがガチガチに入り込んでいて 
まるで修行僧のような生活を強いたと。

息苦しい生活なので 少しでも
違う振る舞いをする者を見つけては 

魔女だの異端だのと
集団ヒステリーを起こして 
ストレスを発散していたんですね。

本来 心の拠り所たる宗教と
一般の人々の暮らしは 

別のステージ(精神と物質)で
展開するものであり 

その中間で両者を緩やかに
つなぐのが教会じゃないのかい。

…と 私なんかはゆる~いアタマで 
ゆる~く思うのですがねえ…?
 
 

真面目で真剣であるからこそ…

 
まあ光か闇かの考え方だから 
どっちかしか認められないんでしょうねえ。

求道精神として 神の高みへ行きたいと思う
気持ちはわかりますが

それは修道僧や求道者に任せるべきことで 
一般の人に求められても…ねえ。

で、「クリスチャンに非ずんば人に非ず」
だったんだと思います。

まるで平家のようなことを言っていますが 
当たらずとも遠からずではないかなと。

一神教の持つ同調圧力は たぶん
想像以上だと思います、この時代は特に。

排除した人たちは
(この場合はプロテスタントさんたち) 
やはり手を携えて対抗するしかなかったから 

しまいには戦争にまで
発展してしまったのでしょう。

それを王さまの鶴の一声で ころっと
変えてしまったのが「ナントの勅令」。

そのためフランス各地で散発的に
起こっていた戦闘も次第に止んでいきます。

仲間割れしたり いがみ合ったりするよりか 
住み分けでもすれば 案外共存も

できるんじゃないのかなと… 
何事もやればできるはずだし。

…と思いきやこの勅令は87年ほど経って 
かの太陽王ことルイ14世の

「フォンテーヌブローの勅令」によって
あっさり覆されてしまいます。

まあこのルイ14世さんは絶対王政を
ガシガシ実行した人ですからねえ…。

こちらの勅令のせいで
プロテスタントさんたちは
隣の国などへ逃れて行きました。

「ナントの勅令」では両信徒たちの
戦闘行為のような 極端な衝突が

無くなっただけだったのかもしれませんし 
何といっても血を流しあうと
遺恨が残りますからねえ。

それでも「ナントの勅令」というのは
画期的な内容だったことに違いありません。

隣人愛はどうしたんだよ?と
言いたくなりますが 

日本人のようなおおらかな
というか鷹揚な宗教観では
理解するのは難しいのであまり……あー。

今 気が付いたのですけれど 
理解不能だったので「ナントの勅令」という
お題目だけ 覚えたのかもしれません。

ごちゃごちゃ言いましたけど 決して
非難しているわけではないですからね。

宗教は大切です、だから
ご自由になさってください。
 
お読みいただきまして ありがとうございました。
 

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