8月25日ヴェスヴィオ火山が噴火してポンペイの街が…

ポンペイ壊滅 ガラス窓

 
ポンペイ壊滅
 
2000年の時を経て 自然災害の恐ろしさを
教えてくれたポンペイの街の悲劇。

1944年まで噴煙を上げ続けた
ヴェスヴィオ火山は ブーツ型のイタリアで
甲がわの足首あたりにあります。

今日のお話 79年の噴火に先立つ 
17年前にも このあたりを地震が襲い
大きな被害を出したそうです。 

その再建が終わらないうちに 
火山の噴火に見舞われたのでした。

 8月24日に噴火が始まり 
降灰が一昼夜に及んだそうです。

そして25日に大火砕流が発生し 
ポンペイの街は一瞬にして
火山灰で埋め尽くされてしまいました。

そしてその後も街の上に灰が降り続けたのです。
 

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壊滅的な被害をもたらす 大災害

 
火砕流は今ではタイプに分けられて 
研究が進められていますが

このポンペイの街を壊滅させたのは 
高温の火砕サージと それに続く
火砕流だったとされています。

火砕サージというのは 火山性のガスが
多いタイプの火砕流で なぎ倒すように
高速で流れ出すものだそうです。

ポンペイの街の人々を救おうと 
ローマから救助船が来ていました。

ローマ海軍の提督大プリニウスは 
市民を救出に向かいましたが
火山ガスで帰らぬ人となりました。

一緒にいた甥の小プリニウスが 
歴史家にあてた手紙にこれらの様子を
詳細に書き残しておいたので 
文献が残ることになりました。 

噴火の他に地震も起きたようで 
その地震で津波も発生したようです。

当時のローマ人が「津波」なんて
言葉は知りませんから 
別の表現だったと思いますけれど 

港から水が引いていったと
いうような書き方をしているようです。 

ヴェスヴィオ火山は 比較的海に
近い場所にありますので

火山性の微動か何かが 近くに
あったかもしれない活断層を揺り動かして
地震を誘発したのかもしれません。

あるいは湧き上がるマグマの圧力で 
ひずみがたまっていた断層が
一気に崩壊した可能性も否定できません。

二人のプリニウスにちなんで 
このタイプの噴火を
プリニー式噴火と呼ぶのだそうです。

太い樹木のような噴煙が 柱のように
立ち上がる状態が特徴です。

私たちが噴火と聞いて
イメージするのに近いですね。

そしてこの後 ポンペイがあった場所に
人が住むことはなかったのですが

1599年にフォンターナという建築家が 
遺跡の一部を発見し その後150年も経ってから 
美しいフレスコ画などが次々に発見されました。

当時は欧州でちょっとしたブームに
なったそうで 各地から見物というか 
観光に大勢の人々が訪れたそうです。

驚くほど保存状態が良かったのは 
火山灰に含まれる成分のせいだったとか。

私たちは乾燥材としてシリカゲルを
知っていますが これと似た成分が
火山灰にも含まれているのだそうです。\(◎o◎)/ 

ですので万遍なく降り注いだ火山灰が 
どんどん水分を吸収して 

結果的にフレスコ画などの 
色落ちや劣化を防ぐことになりました。

古代ローマ帝国の繁栄を物語る
貴重な遺物として人類の宝ですね。

ポンペイの街もローマ市民の別荘があったり 
大きなホテルがあったり

きれいに区画されて 
計画的に作られた都市だったようで

港も近く 物資が行き来する
港湾都市として栄えていたのでしょう。

火砕流の起きた噴火よりも前から 
地震なども起きていたようなので

2万人ほどの街でしたが 
退避していた人も多かったようです。

犠牲になったのは 街に残っていた
およそ2千人の人々でした。

あの日の生活がそのまま一瞬で切り取られ 
2000年の時を超えて 私たちに
災害の恐ろしさを伝えてくれているのです。

発掘が進み 建物なども掘り出されたというか 
外に出された形になりました。

するとあっという間に 腐朽が進んでしまい 
何棟かは倒壊してしまったそうです。

長い間埋まっていたものを掘り出したら 
傷んでしまうかもしれない…くらいの
想像力はなかったんでしょうかねえ? 

これだから「石の文化」は…。

…もう少し 遺物を丁寧に扱ってほしいと
思うのは私だけでしょうか…?

近年に至るまで発掘と調査が継続しています。
 
 

予測なんて誰にもできない

 
ところでヴェスヴィオ火山は
しばらく静かでしたので 1880年には
火口と山麓を繋ぐ登山電車が出来たのだそうです。

そのコマーシャルソングが
「フニクリ・フニクラ」だそうですよ!

ところが1944年にまた噴火して 
この登山電車を吹っ飛ばしています。

山に線路を引かれたりして 
くすぐったかったのかもしれません。

活火山は静かな時の方が危ないと 
知らなかったわけではないと思いますが

古代のポンペイを滅ぼした大噴火の後も 
度々噴火していたのに どうして
登山電車なんて作ったんでしょうね。

電車開通のほんの60年ほど前にも 
14000mも噴煙を噴き上げたというのに…。

何でどうして こんな危険な火山に
人を集めるようと 考えたのでしょうか?

余所の国の人々の活火山に対する考え方が 
いまいちよくわかりません。

火山には ピクニック気分で
近づかない方がいいと思います。

日本にも100座を超える
活火山がありますので 

火山噴火は他人事ではありませんけれど 
景勝地はだいたい火山が作り出していますね。

観光地や温泉など恩恵がたくさんありますし 
付き合いも長いです。

常に監視して変化や兆候を
見逃さないようにしなければなりません。

自然災害だけは どうすることもできませんので 
早めに前兆を捉えるとか 早めに
避難できるように備えをするしかないんですよね。

それでも火山噴火は 起こってみないと
わからないことばかりですので

恩恵も大きいですけれど 災害も大きくて
本当に厄介なのです。
 
お読みいただきまして ありがとうございました。
 

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