フェルナンド2世とイザベル1世が結婚

スペイン王 ガラス窓

 
スペイン王
 
今日はアラゴン王とカスティーリャ王の
結婚というお話です。

時は1400年代の後半ごろのことで 
この二人の王の結婚の少し後

強大な海運力にモノを言わせ 
七つの海を冒険する
大航海時代が到来します。

アラゴンというのは地中海に面した
イベリア半島の付け根あたり

カスティーリャは大西洋にも面していて 
その他のイスパニアのほとんどを
占める広大な領土を持っていました。

そして大きな特徴として両国は
カトリックの国だったのです。

イベリア半島のイスパニア領内では 
あと二つの国がありました。

どちらも小さいのですが 
そのうちの一つグラナダ王国は
イスラム教徒の国だったのです。
 

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分かれていたイベリア半島もついに一つに

 
アラゴンの皇子フェルナンドさんは
1469年10月19日に
カスティーリャ王女
イサベルさんと結婚しました。

のち(1474年)にイサベルさんが
カスティーリャの女王に即位したので 

旦那のフェルナンドさんも
共治王となったのだそうです。

途方もなくでっかい棚ぼただねえ。

そして1479年にはお父さんが
亡くなって アラゴン王を継承します。

結果的にこの結婚はイスパニアを 
ほぼ統一したようなものでした。

内政的にはいろいろあるものの 
ここにイスパニア王国が生まれたのです。

この後からは対フランスとか
対グラナダという外に向けた「戦い」に
意識を集中できるようになったんです。

欧州では複雑な婚姻関係でもって 
よその国から突然 王位継承権を
主張されたりすることが
よくあったんですね。

自分の所だけで満足しなさいってば 
これだから陸続きの国はいやなのよ。

隣国ポルトガルからの干渉をぶっ叩いた後 
カスティーリャ内にあった
反イサベル派を叩き潰しました。

そして1492年ついにグラナダ王国を
滅亡に追い込み 宿願だった
レコンキスタ(国土回復運動)を
完成させたのでした。

実に長い戦いで 800年ですってよ 
このレコンキスタってのは。

イスラム教が起こって
あまり時間が経たないうちに

イベリア半島までがーーっと
一気に広まっちゃったもんで 

キリスト教徒さんたちは
すごく長い間 ぐぎぎぎ…と
思っていたのですね。

そしてこの功績はローマ教皇からも 
ほめてもらって「カトリック両王」の
称号を授けられたのだそうです。

あまり大きくない国は
思い通りになりましたが 

大国フランス相手では なかなか
思うようにいきませんでした。

一時的な休戦状態で
(…こう着状態というべきか)
フェルナンド夫妻は 
自分の子供たちに
周辺諸国との婚姻を結ばせ 
包囲網を構築しようとします。

そんな中1504年にイサベルさんが
亡くなってしまいます。

ちょっと分かりにくいのですが 
ここでフェルナンドさんが
カスティーリャの王位に
つくわけじゃないんですね。

子供二人が夭逝していたため 
王位は娘のフアナさんが
継ぐことになりました…

でもこの人 余所へ
お嫁に行ってるですよ…?

夫や子供たちとともにイスパニアへ
戻ってくるのですが 

早々に夫が疫病で
亡くなってしまい

美形の夫にぞっこんだった
フアナさん精神状態が…。

仕方なくお父さんのフェルナンドさんが 
摂政として執務代行を務めることに。

なんだか実際にはフアナさん 
幽閉されちゃったみたいですけども…。

だったら初めからフェルナンドさんが 
王位を継いでいればよかったんだよ ねえ。
 
 

近所の大国とヘンなお約束してたんで…

 
子供がいなくて自分の王位継承も
不安だったフェルナンドさんは再婚を決意。

男の子が生まれるのですが 残念 
幼くして世を去ってしまいます。

そのころローマ教皇の提唱する
神聖同盟に加わることにしました。

神聖同盟なんて言ってますが 
これは対フランス包囲網らしいんですね。

翌年の1512年に
ラヴェンナの戦いで大負けしたり
してますし 名前の割には
フランスに勝てずじまいで
結局降伏しているのです。
(私は名前負けだと思いますけど)

フェルナンドさんの王位継承は 
フアナさんの息子カルロスくんが
受けることになりました。 

彼はフランドル生まれで
スペイン語とか話せなかったけれど

カルロスくんを後継指名しないと
ハプスブルクさんの
やり方に抵触するみたいで…。

というか…もしもカルロスくんでなく 
スペイン育ちの弟くんに
(当然ながら家臣たちは彼を支持)
王位を譲ると間違いなく

ハプスブルクさんとこと
スペインが戦争になるので

それを避けるために
フェルナンドさんが遺言したのでした。

マキャベリ曰く
「君主は君主らしく見えればいい」ので 

スペイン語を話せなくても
外国育ちでも 君主は
務まっちゃうものなんですよね、実際。

こうして誕生したのが
スペイン国王カルロス1世でした。

フェルナンドさんとイザベラさんが 
ほぼイスパニアを手中に収め

ついでにイスラム教徒を追い出して 
宿願のレコンキスタを成し遂げました。

そしてその二人の孫にあたる
外国育ちの坊やが 
スペイン国王になったのですね。

子供たちを政治の道具に使うから
血統がわけわかんない
モザイク模様になっとるし。

そのくせイザとなったら
平然とその血をどばどば流して
血染めの旗を立てました。

ちょうど同じころに
日本も戦国時代で 
似たようなことを
やらかしていましたが

人間の考えることって 
あまり違いはないものなんですね。

王子さまとかお姫さまが
幸せそうなのは おとぎ話の
中だけなのかもしれません。

欧州の王位継承のドラマって
複雑で不思議な万華鏡のよう…。
 
お読みいただきまして ありがとうございました。
 

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