今日は「テンプル騎士団」がまとめて逮捕された日

テンプル騎士団逮捕 ガラス窓

 
テンプル騎士団逮捕
 
一日遅れの記事になりました。

1307年の10月13日に 
フランス全土において 

時の王フィリップ4世は 
突如「テンプル騎士団」を
一斉に逮捕させました。

その目的はフランス王室の
財政難を乗り切るために 

どこかから金品や土地などを
取り立てて国庫に入れる必要が
あったからだと言われています。

十字軍というのはご存知だと思いますが 
その発端は何だったかご記憶ですか?

セルジューク朝と国境を
接していた東ローマ帝国は 

異教徒に圧迫されてうっとうしくて
仕方なかったんですね。

アレクシウス1世は 
時の教皇ウルバヌス2世に 

異教徒がうっとうしいから
何とかしてもらえませんかねえ?と 
救援を要請したのだそうです。

これが十字軍を組織する
発端になったのでした。
 

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「テンプル騎士団」というのは…

 
ウルバヌスさんは1095年に
クレルモン会議で集まっていた
フランスの騎士さんたちに
「聖地の奪還」を呼びかけたそうです。

何とかしてクレルモン会議…なんちって。
…失礼しました。

で、まあ当時の欧州はほとんどが
カトリックの国でしたから 

王さまや教会の呼びかけで続々と 
騎士さんたちが
集まってきたのですね。

この時に修道士でありながら 
武器を持って戦う兵士でもあるという
人たちもたくさん組織されたのでした。
(日本でいうと「僧兵」ですかねえ)

第一次十字軍が終わった後 
1119年に創設された
「テンプル騎士団」も
そういう組織のひとつでした。

「テンプル騎士団」の主なお仕事は 
欧州の人が巡礼のため聖地に赴くのを
警護する役目を担っていたのだそうです。

修道会ですので 清貧 貞潔 従順など
入会には誓いを立てたそう。

とはいえ本格的な武闘派集団だったし 
結束も固かったのですね。

中には十字軍に従軍した人が 寄進した
財産管理を専門とする人もいたそうです。

創設以来脈々と伝えられて来ていましたし 
1300年代のフランス王
フィリップ4世には見ようによっては 
とても裕福に見えたのでしょうね。
 
 

君主がやらかした暴挙

 
この王さま とても容姿の整った
お方だったそうですが(ぬほほ…)

少しほころびの見えてきた教会に対して 
強権的な態度を見せたり 

一方でたいへん敬虔な
クリスチャンだったりと 
美形な以外はよくわからん人です。

というか評価が真っ二つに
分かれるのですよ、名君だという人と
目的のためには手段を選ばない
冷酷な王だという人と…。

まあ美形は正義なので 許すけどね。(をいっ)

「テンプル騎士団」に
弾圧をかけようと思ったのは 
財政難もそうなのですが

戦争に負けて莫大な借財を
背負ってしまっていたんですね。

だから国民からもけっこう搾り取っているし 
異例なことに教会にも課税してて

これ以上はまずいということで 
どこかにお金が落ちてないかなあ…と

探したところ お金持ちっぽい
テンプルちゃんに 目をつけたというわけ。

最初はフィリップ4世も
他の聖ヨハネス騎士団と合併しない?と
持ちかけたらしいのですが 

最高責任者の「やだ」の即答で 
あえなく作戦変更を余儀なくされます。

そうは言ってもねえ「テンプル騎士団」には
何の落ち度もないわけで 

ただ闇雲に財産を没収するわけにも
いかないので 一計を案じます。

彼らに異端の濡れ衣を着せて 
宗教裁判にかけようとしたのです。

これは単なる一計どころじゃないですよね 

時の為政者が何の罪もない
修道士さんたちにあろうことか
異端の濡れ衣を着せるとか
悪辣過ぎますわ…。

普通はこんなこと 簡単には
できないのですけれども

この時は教皇がフランス人で
フィリップ4世の意のままに
動かせたのだそうです。(これも酷いねえ)

目的の為には手段を選ばない
王さまだというのは 本当ですね。

きれいな容姿は自分が悪魔に
魂を売って得たんじゃないの?

で、フランスの方々にある拠点 
まあたぶん修道院などでしょうけれど

何の前触れもないまま突然 
一斉に検挙したというわけです。

気の毒なのは「テンプル騎士団」のみなさんで 
王の息がかかった諮問委員に苛められ 

酷い拷問にかけられた上 
財産は別の騎士団に移して
(これが目的だったのよね) 
以降の活動を一切止められてしまいました。

この後1314年には
投獄されていた「テンプル騎士団」の
指導者たちを火あぶりにしました。

体よくというか 初めから
そのつもりだったのかもしれませんが 
口封じをされたのでしょうね 本当に気の毒。
 
 

いろいろとなんだかなあ…

 
そして当時の欧州では普通のことでしたが 
一度つけられた異端の汚名は 
簡単に消せないんですよね、

なんとこの汚名は19世紀まで
晴れなかったんですと。

酷いなあ… あらためて書いてみると 
いくら美形の王さまでも 
ちょっと許せないですねえ。

もっと違うやり方も
あったんじゃないのかなあ…?

陥れるようなことをしないで 
武装集団としての部分とか
うまく取り込めばフランスの役に立って
くれていたかもしれないですよね。

どうせ欧州は散発的に 戦争ばかり
繰り返してきたんだもの… 

戦力はあっても邪魔に
なることはなかったでしょうに。

個人的には十字軍という行為自体 
異教徒というだけで
ケンカを売ってるなあと。

キリスト教もイスラム教も
どらちも一神教だから 
引き分けかもしれないけど

排他的な考えが持つ困った部分だねと 
感じているのですが。

話をしろとか 近くに居ろとか 
仲良くしろとは言わないけれど 

お互いに見ないふりで 
やり過ごすことは
できないないのかい?
 
お読みいただきまして ありがとうございました。
 

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