今日は ガイ・フォークスが処刑された日

 
ガイ・フォークスの仮面
 
1606年の今日 2月10日は 
英国で起きた「火薬陰謀事件」の
実行犯の一人 ガイ・フォークスの
死刑が執行された日です。

誰だか わかりませんよね?

ですが英国では有名な人物らしく 
その顔が特徴的なお面になっています。

実は「アノニマス」と名乗るハッカー集団が 
そのお面をかぶって 動画などに
登場しているので 私たちも
それと知らずに見ているのです。

どことなく不敵な笑みに見えるお面で 
ちょっと不気味な印象です。
 

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長い歴史は ややこしい話のてんこ盛り

 
死刑が執行されたわけで 
ちょっと穏やかではないのですが

この人物は大量の火薬と一緒に 
現行犯逮捕されたそうで 

当時の英国の貴族院という場所を
吹き飛ばそうとしたらしいんです。

1604年、本人もカトリックだったガイは 
イングランドの貴族で
ロバート・ケイツビーが率いる
カトリックのグループに参加しました。

ケイツビーはジェームズ1世が
プロテスタントなので 彼を暗殺して

代わりに 王位継承順位が3位の 
エリザベス・スチュワート王女を
王位につけようと企んでしたのだそうです。

他にも王位継承者はいるだろうに 
そう思う通りに行くんかいなあ?

けっこう由緒ある貴族のわりには
考えることが雑で過激なんだけど。

実はこの事件に先立つ1534年 
イングランド王のヘンリー8世は

離婚問題を起こして ローマ教皇庁にけんかを
売っちゃいまして「国王至上法」という
法律を発布したんだそうです。
(というかこのおっさん
6回も結婚しとりますがな)

この法律って平たく言うと 
カトリックの指図は受けないもんね~ 
僕が一番偉いんだから。 

イギリス教会だって 僕のもんだから 
話しかけないでくれる? てな感じ?

ただそれだけならいいのですが 
従わない者たちの弾圧を始めたんですと。
ったく これだもの…。 ̄‥ ̄

で、1543年にヘンリーさんが亡くなって
メアリーさんが女王になったんだけど 

何とこの人はがちがちのカトリックで
国を元へ戻そうとして 今度は
プロテスタント弾圧をやらかす。

で、その後のエリザベス1世は 
カトリックでもプロテスタントでもない
「中道政策」を取ったんだけど 

エリザベスさんを排除しようとしたとして
スコットランドの女王だった
メアリー・スチュアートを捕らえた上 処刑。

このことにカトリック国のスペインが怒って 
ケンカを売って来るとか もお…。

そういう背景の中で メアリーの息子で
スコットランド王だったジェームズ6世が

イングランドの王としても
ジェームズ1世として即位したんですと。

で 新しい王さまに お願いだから
プロテスタントに優しくしてよと「嘆願書」を
出したんだそうです。(-人-)

でね、それなら一応話し合いを
持とうじゃないかということで
各宗派が代表を出して会議をしたんですが 

その席でジェームズくんてば
「主教なくして国王なし」とか
やらかしちゃったもんだから 

冒頭のケイツビーに
こいつ議事堂ごと吹っ飛ばしてやる!と
思われちゃったんですよ。

いかにも欧州の「権力者」らしい振る舞いで 
国民がどえらい目に遭わされました。

これですから新大陸へ行こう!と
思っちゃう人も出てくるわけですよね。

で、首謀者のケイツビーは
ウエスミンスター宮殿にあった議事堂を 
国王や国教系の国会議員ごと吹き飛ばして 

混乱に乗じてカトリック系の女王を立てようと
けっこう本気で企んで 大量の火薬や
その保管場所 地下室などを用意しました。

そしてガイ・フォークスは
大陸で戦争に従軍し その時に
爆薬の扱いを学んだとかで

ケイツビーらにとっては 
役に立つ存在だったと思われます。
 

 

話してもわからん連中だった?

 
決行は11月 5日。

開院式に集まった人々を 建物ごと
吹き飛ばそうという計画です。

けれども、結果的に この陰謀は
未遂に終わりました。

一通の手紙が 式に参加予定の貴族の元へ届き 
そこには参加を取りやめるように
警告する文章がつづられていたそうです。

この密告文が誰によるものかは
わかっていませんが 

決行当日の未明 治安判事が 地下室にいた
ガイ・フォークスを逮捕し 付近の捜索で
火薬の詰まった樽を見つけました。

その破壊力はウエストミンスター宮殿の
大半が破壊され 半径1km以内では
建物のガラスなどが割れるだろうという 
現代の科学者さんの試算があるそうです。

逮捕当初ガイ・フォークスは
完全黙秘だったそうですが 

悪名高いロンドン塔へ収監され
厳しい拷問を受けて ついに
事件の全容を白状するに至りました。

ケイツビーは 弟や他2人と共に
激しく抵抗の末 死亡 
他の仲間は全員投降しました。

彼らの罪名は「大逆罪」で 首つり・
内臓えぐり・四つ裂きという極刑でした。

フォークスは4人のうちで一番最後でした。 
酷い拷問で衰弱していたからでしょう。

でもその拷問よりも苦しみを味わうこの刑で 
窒息死寸前に緩められる首つりの際

フォークスは絞首台から自ら落ち 
首の骨を折ったそうで亡くなりました。

それでも刑は続けられたそうで 
はっきり言うと「見せしめ」なので 

公開で行われ 刑を受けた体は 
取り決め通り晒しものになったそうです。

書いているだけで 気が滅入る刑ですけれど 
そこまでやんないとだめなもんなの?

まあ言い出したら引かない人たちで
できてる国だし…厳しくやったのね きっと。

そんな罪人の顔をお面にするという
感覚がイマイチ よくわかりませんが…

あのお面の不遜な印象の笑い顔には 
こんなお話があったのですね。
 
お読みいただきまして ありがとうございました。
 

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