今日10月12日は近衛文麿が生まれた日

近衛文麿 生誕 障子窓

 
近衛文麿 生誕
 
近衛文麿さんが生まれたのは
1891年10月12日のことでした。

この赤ちゃんは後に政治家になり 
日本の重要な局面で
日本のリーダーとして 
決断をしなくていはならない
立場に立つのです。

写真ではとてもすてきなおじさまです。

お名前からもわかるとおり 
五摂家の一つですからねえ、

天皇家と同じくらい
由緒正しくていらっしゃる 
ノーブルな雰囲気が
びんびんと伝わってくる
すてきな肖像写真です。

相変わらず見目良き人には
甘々なワタクシですが…。

正真正銘の貴族の生まれなのに 
左巻きになっちゃったのは
どうしてでしょうね。
 

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やんごとなきお生まれの…

 
左巻きでまっかっかな奴らは 
自ら否定する特権階級に
実は自分がなるために

理想だけを語って社会基盤を破壊し 
人々を困窮に叩き込んだだけなんですよ。

近くの赤い国を見ると分かりますね。

日本はシラス国。

天皇陛下がおわすおかげで 
大御宝として誰もが対等であり

権力者の所有物にならずに
済むシステムだったはずですよね。

我欲のカタマリである白人の寝言に
惑わされてどうするんですか。

父君は欧州へ行って
白人の黄色人種に対する偏見を 
実感されたそうですな。

だから白人指導の平和主義など 
胡散臭いと思っておられた様子。

やはり自らの実体験から基づく見識は
時として 隠れて見えないことや
とてもよく見える物事の本質を 
突いていることが多いのです。

繊細なお人柄だった模様
幼くして生母をなくされ 

継母だったことを後から知って
傷ついたようなデリケートな
文学青年のままでいらっしゃれば あるいは…。

ただ奥様とは当時の
公爵というお立場には 
珍しく恋愛結婚だったとか。

大学は京大の法学部を
卒業されていますが 

実は赤い思想に強く惹かれて京大へ
転学されているのだそうです。\(◎o◎)/

その通学の道すがら 
見初められたのが奥様だそうで 

華族の令嬢だったので
身分としても申し分なく 学生のまま
結婚されたのだそうです。

残念ながら海千山千の妖怪が棲む 
政治の世界には向かなかったのかなあと。

もしかすると理想に走りがちというか 
青いままなタイプの方が
御し易いと踏んで 画策をした連中が
いたのかもしれませんけれども…。

本当に何かを企むヤツというのは 
全て他の人間にやらせて自分は一切
関わりを持たないように
気を付けるものですからね。

学生の時に左に傾いたのは事実なので 
その小さな糸口を手繰られて
取り込まれ 気が付いた時には
身動きが取れない状態になっていたのかな。

「ゾルゲ」の日本人子分だった
尾崎秀実とも接触がありましたので 

旧ソ連のスパイや密偵たちが
どのくらい日本の中枢にまで 
入り込んでいたかわかりませんよね。

仲良くしていた人たち 
ほとんどまっかっかじゃないですか。

これだもの満州事変から後の処理を 
無駄に長引かせたとか言われたとしても
仕方ないとしか言いようがないですね。

もしかして赤い人だったから
「日ソ中立条約」とかも
締結できたりしたのかな?

まあ結果的には 赤い人たちは
絶対に信用しては いけないということを
甚大な犠牲を払って学ぶことになりました。

同じ赤と言っても向こうは「真っ赤」、
こちらは「濃い桃色」だったからかも…。

本当は蒋介石が毛沢東らと
結託してたことも知っていた…?
…なんて思ったり。

まあそこまではどうかわかりませんけれど… 
仮に知っていたとしても
形だけの内閣になっていたのでは 
何もできなかったことに変わりはないかも。
 
 

赤い影響と時代の荒波に…

 
ウィキペディアに載ってる
1938年の絵葉書はすごいですねえ。

ヒトラーとムッソリーニの間に
近衛さんですよ~ 
何この途轍もない違和感。

稀代の独裁者二人と並べられては 
誰だって気の毒ですけど。

GHQの中にも赤いスパイが
入り込んでいたらしいですね。

近衛さんの訴えを聞いて マッカーサーは
参考になると言ったそうだけど

その背後 米国本土でなぜか近衛さんの
排斥運動が始まったのですよ。

…ということは赤か白か
はっきりしてない近衛さんの行動は 
最終的に赤い服を着た白だった
ということなのでしょうか?

研究者さんによっては 
「ゾルゲ事件」で自分が赤の手先に
されていたことに気が付いて 

最後の最後にすべてを
飲み込んだまま持って行ってしまったと。

戦前から戦中そして戦後間もなくのころ 
いずれも国家として重要な決断を
しなければならない局面で 
矢面に立たされた
格好だったような気がします。

そして良くも悪くも 
それぞれの責任を負う立場に
あったことも確かでしょう。

どうもいずれの場合も きちんと
向き合おうとする姿勢が
見られないというか…。

GHQの出頭要請は堂々と受けて立ち 
自分の主張をすべきだったのでは…? 

近衛さんの足跡をざっくりと
辿っただけでも ちょっと
煮え切らないタイプの人物が

大勢の政治家さんたちの中で
わちゃわちゃされていたら 
いつの間にかトップに立たされていた…
みたいな印象を受けるんですね。  

日本の総理大臣経験者で 
こんなに若くてしかも
服毒自殺を図った人は 後にも先にも
この近衛さんだけなのです。

かえすがえすも 実母ではなく
育ての母だったと知って
ショックを受けた文学青年のままで
いてくれていたら…。
 
お読みいただきまして ありがとうございました。
 

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