今日はアレクセイ・N・トルストイの誕生日

A.N.トルストイ 生誕 ガラス窓

 
A.N.トルストイ 生誕
 
たぶん知らなかったのは
私だけでしょうね。

トルストイという人が 実は 
何人もいたなんて…。

トルストイ家はロシアでも有名な 
そして裕福な貴族の家柄だそうで。

だからでしょうね 今日取り上げる
A・N・トルストイも「戦争と平和」や
「アンナ・カレーニナ」などで有名な
文豪レフ・トルストイも 
みなご一族さまだったようです。

代々ロシア皇帝に仕えた伯爵家だそうで 
広大な農地やお城を
もっていたそうですね。いいなあ…。

アレクセイ・ニコライヴィッチ・トルストイは
その裕福な本家筋とは かなり
離れた地方にある貧しい分家の
生まれだそうです。
 

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トルストイ家は名家で文才にも恵まれる

 
1883年 1月10日に生まれた
裕福とは言い難い事情だったようで 

同じトルストイ伯爵を名乗っているのに
どえらい違いでなんだか 
気の毒な感じがします。

これはアレクセイさん本人のせいでは
ないのですが お母さんてば
彼がお腹にいるうちに
浮気相手の元に走ったそうで

アレクセイさんは13歳になるまで 
その人を本当のお父さんだと思っていたとか。

しかもこのお母さんという人は 
児童文学作家として有名な
アレクサンドラ・トルストイだというから 
二度驚きなんですけども。

1896年といいますから
アレクセイさんが13歳になった時ですね

トルストイ家 そして養父の
ボストロム家の双方が どえらく手間をかけて
アレクセイさんがトルストイ家の息子に
なれるよう法的な手続きをしたようです。

だって本当はトルストイ家の
四男だったはずなので…。

やがて1900年にお父さん伯爵が亡くなって 
3万ルーブルの遺産とトルストイという
苗字をもらうことになったアレクセイさん。

お母さんの影響なのかは分かりませんが 
彼は小説を書き始めます。

最初はエロい話が多かったようですが 
批評家の評価はぼろぼろ…
自らの手で葬り去ったといわれています。

そうこうしているうちに 
ロシア革命の嵐が吹き荒れ始めたのです。

名門貴族の名前を名乗っていますからね 
一番先に目を付けられますよ。

マジで命の危険がありましたから 
否応なく故郷を離れたのでしょう。 

1917年には故国を離れ 最初にドイツ 
後にフランスに住んだのですが 1923年に
本国へ強制送還されてしまいます。

とっ捕まっちまったか…。

ところがなぜか人気のある作家として 
ソヴィエト体制に受け入れられるのです。

もしかするとプロパガンダを広めるために 
無名の作家が必要だったのかも…。

あるいは何か上手に取り引きを
したのかもしれませんね。

名門貴族を軍門に下らせたという体制側には 
聞こえの好い宣伝になりますし。

これ以降アレクセイさんは 忠実な
共産党の支持者として スターリンを
称賛する作品を書いたり M・ゴーリキーと
組んで旅行記を書いたりしました。

この旅行記はとても悪名が高いそうで…
たぶん提灯記事のオンパレードなんでしょうね。

なるほど…こちらのトルストイさんは 
体制の中に取り込まれた方だったのか…。
 
 

真っ赤な体制の中で 作家として生きる

 
人の命なんか屁とも思わない連中の
集まりだったから ある意味で命がけの
創作活動だったのではと想像するのですが。 

自由に書けないって大変そうですよね…。

何か書くたびに 悪性の
ストレスが溜まりそうですわ。

それでもアレクセイさんは 最初に
ロシア語でSFを書いた人なんだそうです。

「アエリータ」という作品は映画化もされ 
ロシアの人々にも大人気だったそう。

何でも火星へ旅をする話だそうです。(◎o◎)

その他にもアレクセイさんの小説が元に
なっている映画が何本も作られたそうです。

さらに作品のリストをみると 
再話といって昔話や民話 
世界の文学作品などを

主に子供向けに
やさしく書き直したものなどが 
亡くなってから出版されています。

民話「大きなかぶ」はとても有名ですけれど 
アレクセイさんの作品だったのね。

1945年に亡くなっているのですが 

鉄のカーテンの向こう側にいましたし
詳細が伝わっていないのか 
死因についてはわかりません。

ですが62年の生涯では 思いがけない
共産化という大嵐の中を 渦の中心側へ
入ることで上手に回避したのかもしれません。

名家の名を引き継いだために 
目立ってしまったという面もあるかも、です。

恐らくはロシアの人なら 誰でも
知っているような名家だったと思うので。

だからこそ体制に逆らわず 
取り込まれていくことを選んだのでしょう。

それはそれで一つの世渡りであり 
生き残る戦略だったと思います。

自分の思うままの作家活動が
できたとは言い難いものの 

体制の中を上手に泳ぎながら 
それなりに名声を得ることができました。

気持ちとしてはもやもやするものを
抱えていたかもしれません、あるいは

そこそこに評価をしてもらえることに
次第になじみ 心の底まで真っ赤に
染まって むしろ心地よく
過ごしていたかもしれませんね。

どちらだったのか全くわかりませんけれど 
いずれにしろ作家として
きちんと名前と作品を残せたので 
その意味ではよかったのかもしれません。

もしもロシア革命がなかったら 
あるいは巻き込まれていなかったら

アレクセイ・トルストイという人は 
どんな人生を送っていたのでしょうか? 

人の置かれる環境というのは
非常に重要なことなのですね。
 
お読みいただきまして ありがとうございました。
 

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