今日はジャンヌ・ダルクに対して異端審問が始まった日

異端審問 ガラス窓

 
異端審問
 
ジャンヌ・ダルクという人は 
突然彗星のように現れ 散っていった 
とても不思議な人です。

若い女性…というか 
まだ10代だったので少女ですよね。

神の啓示を受けて
フランス軍に加わったとか
そればかりか
軍の勝利にも貢献したとか… 
行動もその成果も現実離れしています。

別に疑うわけではありませんが 
にわかには信じられないのです。

だって戦場ですよ? 武器を持って
戦ったんですからね。

実はスーパー戦隊か何かの活躍だったけど
何かの都合で表沙汰にできないので

神の啓示を受けた少女という
伝説にしたかったのかな…。

なんて言うと 余計にお叱りを
受けそうだから この辺で止めておきます。
 

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少女に救われたのは仏国と仏国王

 
ジャンヌが生まれたのは 
1412年とされています。

実ははっきりしていないのですね、
彼女の年齢も10代だったというだけで

本人も字が読めなかったので 当然 
数字も定かでなかったと思われます。

このころ英国と仏国は「百年戦争」と
呼ばれる戦争中で 戦闘はほぼ
仏国内で起きていて 英国軍が
よその国を荒らしまわっていた感じです。

しかも仏王ときたら役立たずで 
摂政の座とその息子たちの養育を巡って
家臣がお家騒動とかやってたもんで 
英国に付け入る隙を与えちゃうのですよ。

さらにそのお家騒動というのだって 
英国の王族も仏国国王の権利を有する
とかいうもので「百年戦争」の
そもそもの発端みたいなんです。

黒死病という伝染病も猛威を
振るっていたそうですし 

仏国は国力も落ちてしまっていたし 
本当にぼろぼろな状態だったんですね。

そんな背景の中 突然現れた女の子が 
それもはっきり言って ただの
田舎娘だったと思うのですが どうやって
仏国の軍人たちを動かしたのかなあ?

ジャンヌが神の啓示を受けたのは 
12歳の時だったそうです。

大天使ミカエルと聖人二人の
姿を見たのだそうです。

16歳になったころ 
親戚の人に頼み込んで 
近くの守備隊の隊長に
会えるよう働きかけています。

この隊長はボードリクール伯というのですが 
もちろん追い返されます。

ジャンヌはあきらめず 
またこのお城(砦かも)に赴き 

今度は別の二人の貴族と
知り合いになります。

おおっ? 何だか繋がってきましたね。

二人の貴族の手引き(ぷっ)で
隊長と再会したジャンヌは 
オルレアン近くのニシンの戦いで 
仏軍が敗れると衝撃の予言をするのでした。

自国の軍が負けると言っちゃうあたりは 
本当に純粋で正直なのか
話を聞いてもらうために 
わざと悪い予言にした策略なのか…?

ところが実際に前線からの報告で 
ジャンヌの予言が当たっていることを
知った伯爵は 男に変装させた上で
王宮のあるシノンまで来るように命じます。

おや 繋がってきましたよ?

ここでなんとシャルル王太子に
謁見しちゃう上に 王太子のお義母さんから

後の世の画家などが描いたように 
甲冑やら剣やらを誂えてもらうですよ。

で、この後は大きい戦いや
重要な局面で勝利に導き 

結果的に王太子シャルルを
戴冠させて王位につけるんですね。

…とここまでは 良かったのですが 
問題はこの後なのです。

私はジャンヌが どうして
なぜ処刑されたのか 
納得がいかなかったのですが 

裏切り者がやらかした異端審問で 
完璧ハメられたんですね。
 
 

前置きが長くなりましたが…

 
1431年の今日 1月 9日、
場所は仏国ですが 事実上英国が
支配する地域で 捕虜になった
ジャンヌの異端審問が始まりました。

初めから有罪にする気満々の
いかさま審問ですから 書くのもいやですよ。

ジャンヌは正直に答えたのでしょうが 
文盲だったことをいいことに

でっち上げの罪状で有罪の上 
署名させたんですからね。

それにしてもシャルル7世は
助けてもらったくせに どうしてジャンヌを
救おうとしなかったんでしょうね?

お仏国の歴史家さんたちも
こぞって非難していますが 
つくづく情けない奴ですねえ。

体面というか面子というか 
そんなもんでしょうか…。

つまり仏国軍を誘導していたのを
捕まえてみれば うら若いただの娘でした。

仏国としてもこんな小娘に頼ったと 
思われたくないだろうし…(事実頼ったけど)

英国としても自国の正規軍が 
こんな小娘に翻弄されたとか
絶対に思いたくないだろうし…。

どちらにしても老獪な軍師や
屈強な兵士とかではなく 

ただの娘だったというあたりに
何とも言えない屈辱感を
覚えたのではないかな…と。

まあ「権力者」は領民などの
生殺与奪の権利を持っていると
フツーに考えていた人たちなので

自分の危機が去ったその後は
手に入れた立場を死守することが
大事だったんでしょう。

こんな奴のために うら若い命を
散らしたジャンヌがかわいそうですわ。

ただですね
「百年戦争」というくらいですので 
実はこの両国の諍いは
ジャンヌが亡くなってからもずっと続き 
1453年にようやく終結したのでした。

そしてジャンヌの母親や
フランス異端審問官長からの要請で

ジャンヌの復権裁判が開かれ 
1456年 異端判決を覆し
ジャンヌに無罪を宣言しています。

当然でしょうね、初めから裏切り者による 
いかさま異端審問だったのですから。

ジャンヌは素直に神さまの言うことに
従っただけ 神の啓示を受けたと信じ
自分の使命を果たそうとして
短くも激しい人生を送りました。

純粋で素直な信仰と 苦境に陥った祖国を
救いたいという願いが彼女をそこまで
突き動かしたのだとすれば 
類を見ない自己犠牲の精神ですね。

今ではジャンヌ自身が聖人になっています。
 
お読みいただきまして ありがとうございました。
 

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