今日は 作曲家ストラビンスキーの誕生日

ストラヴィンスキー生誕 ガラス窓

 
ストラヴィンスキー生誕
 
今日 6月17日はロシアが生んだ
偉大な作曲家
ストラビンスキーが生まれた日です。

ファーストネームはイーゴリさんといいます。

彼は帝政ロシアの首都
サンクトぺテルスブルクの近郊で生まれ

家にはなんと20万冊もの
蔵書があったそうです。

お父さんはマリインスキー劇場の
バスを担当する歌手だったそうですが

20万冊もの蔵書って 
相当なインテリですよね。

まさか…「積読」とか…んな
わけないと思いますが もしかすると
親や先祖から受け継いだもの
だったかもしれませんが…。ぷぷ… 

そうは言っても読破できる
数字ではないと思われます。
 

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大人になってから音楽を勉強した

 
イーゴリさんてば法律を勉強するために
大学へ進学したんですけど 

なぜか在学中に音楽家になることを
決めたとかで 幼少期から
その才能を爆発させていた

他の有名なクラシックの作曲家たちとは
少し違う感じの出発だったようです。

この時入学したのが 後の
サンクトペテルスブルク大学なのですが

同じクラスにリムスキー=コルサコフの
息子がいたので 彼を仲介に親父さんに

音楽の手ほどきを
受けることになったようです。

いとも簡単に有名な音楽家と出会って
教えを受けちゃうあたり 
やっぱり本人も持っていたんですね。

実際 初めて発表した曲で
ロシアバレエ団のを主宰する

セルゲイ・ディアギレフという人に
一発で認められちゃうわけで すご過ぎ。

これが26歳の時のことでした。

そしてそのディアギレフさんから
依頼されてロシアバレエ団のために

書き下ろされたのが
「火の鳥」だったそうで 

パリのオペラ座で初演されて
大成功をおさめ 一気に
頂点へ駆け上がるのです。

1910年に「火の鳥」、
翌年1911年に「ペトルーシュカ」
さらに1913年には「春の祭典」と
立て続けに大ヒットを飛ばしました。

なんですか専門的にみると
イーゴリさんの音楽は
「革命的」なんだそうです。

代表曲がバレエ音楽で 
いわゆる舞踏の伴奏ですよね。

専門的なことはわかりませんが 
これらの曲には 全体的に
短めの音の連なりみたいなのが 
多い気がします。

人間が踊るために作られた曲
という方向から見ると 

ふわっと余韻を残すような
すうっと消え入るような演奏法だと 

振付がすごく難しくなるというか
単調になってしまうのではないかなと… 
あくまでも素人考えですが。

「革命的」という表現は 
既存のものを超えたか あるいは

破壊した的なニュアンスが
含まれていると思うのですね、
(たぶん後者だと思いますが)

ということは肯定的な評価ばかりでは
なかったと思われるのです。

ともあれ大成功だったことには
変わりありません。

ただ残念なことに1914年には
第一次世界大戦が勃発したため
イーゴリさんはスイスに移り住みました。

芸術家は平和な環境でないと
仕事になりませんからねえ…。

スイスという国は欧州の芸術家が
逃げ込む隠れ家みたいな所ですね。(笑)

笑い事ではなく あってよかった
安全地帯だったんです。

そして今度は1917年に
ロシア革命が起こり すでに名声があった
イーゴリさんは母国に所有していた
土地などを 革命政府によって
没収されてしまいました。

いち早く外国に逃れていてよかったですよ、

さもなくば真っ赤に染まった
あの意識でブルジョアとかいわれて 
命の危険さえあったでしょうから。
 
 

新天地で教鞭を取り 日本へも…

 
その後しばらくして1938年に
奥さんや娘さんを亡くすなど

家族に不幸が相次いだことと 
当時のナチスがイーゴリさんの作風を
気に入らなかったことなどから 
翌年米国へ亡命したそうです。

これも賢明な選択だったと言えるでしょう。

ナチスに気に入られなかったのは
不幸中の幸いだったかもしれません…。

ハーバード大で教鞭をとった後 
西海岸のハリウッドに住みました。

1950年ごろから 
これまで使って来なかった
十二音技法で作曲をするなど 
新しい方法に取り組み始めたそうです。

「革命的」な作品を生み出す作曲家は
常に新しいことに
チャレンジしていくのです。

私 NHKで長く続いた音楽番組で 
一度だけ 十二音階の
和音をきいたことがあるのですが

すごくきれいで とっても
不思議な印象を受けました。

ドラマ・アニメ・映画などで 
魔法の呪文などの効力が

実現するような場面の効果音として
使われるようなハープの音…とでもいえば 
わかっていただけるでしょうか。 

少なくとも私はそういう場面で
聞いたような音だと思いました。 

戦後の1959年には来日も果たしていて
1か月近くも滞在したそうです。 

その際 若き武満徹さんを絶賛し
世界に紹介してくれたんですよ。

世界のタケミツはストラビンスキーに
見出されたんですねえ。

あと1962年には48年ぶりに
祖国の土を踏むこともできたそうです。

やはり祖国の土を踏めるというのは
格別な思いが去来するものなのでしょう。

専門知識のない私にはわかりませんが 
イーゴリさんの楽曲には

「時代」のようなものがあるそうで 
作風などが変化しているようです。

音楽家になろうとしてから
正規の音楽教育を受けるとか 

ちょっと異色で時間的にはむしろ
遅い方だと思いますけど 

それを凌駕する才能を
イーゴリさんは隠し持っていたのですね。

何がきっかけかは わからないけど
気が付いてよかったわあ。

サンクトペテルスブルクは
今でも文化の香り高い街です。

そんな所で呼吸をするだけでも
効果(?)があるのかな?(笑)
 
お読みいただきまして ありがとうございました。
 

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