今日は「ハリファクス大爆発」があった日

ハリファクス大爆発 ガラス窓

 
ハリファクス大爆発
 
聞きなれないお話かもしれませんが
火薬による爆発事故として
「ハリファクス大爆発」というのは
世界最大の事故だったそうです。

時は1917年12月 6日 
場所はカナダのノバスコシア州にある
ハリファクスという港での出来事です。

フランス船籍の貨物船モンブラン号は 
軍用火薬を積んでいました。

この貨物船と別のノルウェー船籍の
貨物船イモ号が衝突したのです。

この時モンブラン号の船上の 
ドラム缶に入れられたベンゾールに着火!

さらにその火がどんどん
燃え広がっていきました。

そして船の底に積んでいた
ヤバイものたちに…。
 

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戦時下で起きた大事故

 
トリニトロトルエンを始めとする
線火薬やピクリン酸など ((;θ;))
およそ2600トンの火薬類に
引火していったのです…。

トリニトロトルエンってTNTと略称される 
めちゃアブナイやつだよね。
文字で読んだだけでも怖すぎる!

モンブラン号の船員さんや港の水先案内人は 
ボートで対岸へ避難できたけど

火がついた無人の船がハリファクスの
波止場に漂着して およそ25分後
ドッカーーーン 大大大爆発っ!!

消火隊 救助・援助に来てくれた人 
そしてその他大勢の野次馬ら
およそ2000人もろとも 
市のほとんどが吹っ飛びました。

負傷者は9000人に上ったそうです。

当時は第一次世界大戦中で 
北米大陸から英国や仏国への最短距離が
このハリファクスだったので 
拠点となっていたのだそうです。

天然の良港で冬でも凍らなかったそうで 
欧州に向けて軍需物資などの
積み出しが行われていて 
大変混雑していたのだそうです。

ノルウェー船籍の貨物船イモ号は 
この時空っぽの状態で 次の寄港地
ニューヨークでベルギー向けの救助物資を 
積む予定だったそうです。

戦時下でなければ こんなに
混み合わなかったと思えるのですが

どちらも出港予定日を過ぎていて 
先を急いでいたのでしょう。

狭い入り江で 出口入口両方から
船が入って来てしまったようで

汽笛で 道開けろよ あんたがどけよと 
やり合ってたら 接近し過ぎちゃって 
慌てて舵を切ったのですが

時すでに遅しで 
イモ号の方がモンブラン号に
ぶつかる形になったみたいで

こちらの貨物船は入り江の中で座礁して 
動けなくなってしまいました。

衝突の衝撃で甲板に積んであった
ドラム缶が崩れ ベンゾールがこぼれました。

そこへ衝突の火花が引火して火災が発生し 
たちまち燃え広がります。

モンブランの船員たちは 危険物だと
知っていましたから急いで退避。消火しろよ。

一応 自分たちは退避しながら 
逃げろと叫んでいたらしいのですが
いかんせん おフランス語だったもんだから 
誰にも通じなかったという…。

国際的な取り決めでは 危険物を
積んでいる船はそういう印の旗を
挙げなくてはいけなかったんですけども 

外海にはドイツの潜水艦がいて 
そんな旗はいい標的になるので 
挙げていなかったのだそうです。

分かるけどさあ… 少なくとも
この港附近は味方なんだから 

港湾に入ったらそういう印の旗 
掲揚しようぜ。 危な過ぎるって。

だからイモ号も付近の船も 
そんな危ないものを積んでるなんて
知らなかったの。

それは港の船着き場も同じで 
炎と煙に包まれた船が漂着したしたんだから
消防や救助に駆けつけますよね、
知らないからどんどん集まって近づきますわ。

桟橋とかへも燃え移るほど 
火の勢いが強かったようですが…
どっかーん!!
 
 

危険物の旗はきちんと挙げよう!

 
錨の一部が5キロほども 
大砲の砲身が4キロも
それぞれ逆方向にふっ飛び

爆煙は7000mも吹き上がったそうで 
爆発の衝撃で起きた18mもの大津波が
付近を襲い 街が壊滅してしまいました。

爆発も物凄かったけれど 津波なんていう
余計なものが被害を拡大させたのです。

ここは天然の良港だったので 
発電所や郵便局 電話局 鉄道の駅などが
集まっていて 一時 外部との
連絡が取れなくなる事態も発生。

おまけに工場も密集していて 
その従業員の居住区域もあったそうで
一般の被害も大きくなってしまったのでした。

さらに夜からの寒波が 救助を待つ人を
凍死させるという 正に踏んだり蹴ったり。

ハリファクス市では難を逃れた
医療関係者が救援に駆けつけ 
人が足りないので大学の医学生も
動員されたそうです。 

1年生などは何もできませんでしたが
それでもこの現場でいきなり
実務経験を積むことになったのです。

またすでに川が凍りついていて
モントリオールからは救援に
来られなかったのですが

1000km離れたボストンには
鉄道で繋がっていたため 事故直後から
続々と人や物が送り込まれてきました。

ハリファクスの人々は 
この時の感謝の気持ちを忘れず 

今でも毎年ボストンに
大きなクリスマスツリーを 
贈り続けているそうです。(^v^)

この事故の調査で 破壊力の大きさは
「反射波」と呼ばれる現象とわかり
その後は兵器に応用されたそうです。 

原爆を上空で起爆したのも この原理で 
破壊力を大きくさせるためだったんですと。

さすが白人さまは 転んでも ただ起きない
みなさんでいらっしゃること。(`´)

この事故から100年以上が過ぎましたけど 
こんなことはもう二度と起こりませんように。
 
お読みいただきまして ありがとうございました。
 

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