今日は音楽家ヨハン・シュトラウス1世の亡くなった日

シュトラウス忌 ガラス窓

 
シュトラウス忌
 
ヨハン・シュトラウス1世はご存知ですか?

ワルツやポルカなど19世紀の
優雅な宮廷音楽で知られます。

息子たちも音楽家ですし 
シュトラウス家はそういう
音楽の家柄なんだろうと思っていたら 
実はかーなり違いました。

ヨハンさんのお父さんは 
街で居酒屋をやっていたのだそうです。

でも戦争やウィーン会議などで
景気が落ち込み 店の経営も
上手くいかなくなっていたそうで 

そんな中お母さんが過労死、
そしてなんとお父さんはドナウ川へ
身を投げてしまうのです。\(◎o◎)/

孤児になったヨハンさんは
親戚に引き取られ 製本屋で
奉公をすることに…。

ええええ…ワルツのイメージが
どこにもないんだけど…???
 

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正規の音楽教育を受けていない音楽家?!

 
ある日 奉公先を飛び出したヨハンさん 

近所に住んでたポリャンスキーなる
人物からヴァイオリンの
手ほどきを受けて 
流しの楽士になります。

小さい子供が生きるために 
音楽を始めたんですね。

この19世紀の始めには まだ
演奏家という職業はなかったそうです。

でも居酒屋や酒場には
「○○のヴァイオリン弾き」の
ように呼ばれる 出稼ぎの楽士が
たくさんいたのだそうです。

そう幼かったヨハンさんも こういう
人たちの演奏を聞いて育ったのでした。

おお やっと音楽家らしい話が出て参りました。^^

やがて1819年15歳になったヨハンさんは 
パーマーという人の楽団に入り 
ヴァイオリンを担当することになります。

そこにはヨーゼフ・ランナーさんという
3つばかり年上のお兄さんがいて 

二人はすぐに仲良くなり 同じ下宿に住み 
ひとつのタキシードを貸し借りして
演奏会に出ていたそうです。
(二人羽織じゃないですよ)

でもこの二人 性格は正反対だったそうです。

さてこのパーマーという人物 
団員の給料まで飲み代にするような
ヤツだったらしくて 

待遇に腹を立てたランナーさんが 
まず独立し 呼ばれてヨハンさんも
ランナーさんの元へ行くことになります。

ところが独立して初めて ランナーさんも
ヨハンさんも演奏する曲が
ないことに気が付きまして(∵)
ここにきて一生懸命 作曲を勉強します。

そしてランナー楽団は
ぐんぐん名声を上げていき 

演奏依頼をこなしきれなくて
仕方ないので 楽団を半分に分け 
ヨハンさんと分担で演奏会をするまでに。

ところがどういう訳か二つの楽団が
人気を二分することになってしまい

ランナーさんとヨハンさんは世に言う
「ワルツ合戦」で犬猿の仲に。

この「ワルツ合戦」のせいで 
自作のワルツ「華麗なる大円舞曲」の楽譜を
ウィーンで出版したかったのに ショパンは
全然相手にしてもらえなかったそうです。

なんてかわいそうなショパン… 
タイミングが悪かったんですねえ…。

そんな「ワルツ合戦」も1843年に
ランナーさんの死で終焉を迎えて 
ウィーンは ヨハンさんの独壇場になりました。 

ところがまたもや強敵が現れます。

それは なんとヨハンさんと
同じ名前の彼の息子!

パパヨハンさん 音楽家の
苦労を知っているので 

同じ轍を踏ませたくないと 
あらゆる手段で 息子の音楽家デビューを
阻止しようとするのですが…。

ランナーさんとの「ワルツ合戦」の後は 
親子対決が待っていました。
 
 

市民が音楽家を育てたような感じ

 
1848年には 宮廷舞踏会音楽監督に就任。

ところが革命とかいう不穏な空気が 
音楽の都ウィーンを覆い始めます。

パパヨハンさん何を思ったか 
最初は革命側に加担してしまうのですよ。

けれども 次第に暴力も辞さない
恐怖政治に変貌していくのに 恐れをなして

「ラデツキー行進曲」を発表して
政府軍を激励 革命は失敗に終わります。

曲名を聞いてもわからないかもしれませんが 
毎年お正月に開かれるウィーンフィルの
ニューイヤーコンサートで 
会場も一緒になって手拍子で演奏するアレです。

私の中では「ラデツキー行進曲」と
あと数曲好きなだけで 残りは
息子の圧勝ですかなあ… まあ後生の方が
洗練されてくるのは当然だけど。

パパヨハンさん革命騒ぎで寂れてしまった
ウィーンを立って英国へ演奏旅行に。

色々なことがあって疲れて
いたのかもしれませんが 

英国から帰ってすぐ 
子供からもらった猩紅熱で 
あっけなくこの世を去ってしまいます。

1849年の今日 9月25日のことでした。

まだ45歳… お葬式には10万人もの
ウィーン市民が集まったそうです。

後に息子が「ワルツ王」パパは
「ワルツの父」と呼ばれるようになります。

そうそうヨハンさん 一応生前に 
ランナーさんと和解しているんですよ。

今では二人は隣あったお墓で
眠っているそうです。

それにしても 独立してから
演奏すべき楽曲がないことに気が付いたとか 

慌てて作曲を勉強するとか 

のんびりしているというか 呆れるというか…。

でもやっぱり物心がついたころから 
聞こえていたであろう
流しの楽士たちの音楽が

ヨハンさんを通して 洗練されて
いったことは間違いないと思います。

私なんぞ ワルツが好き過ぎて
全集を買っちまったくらいですぜ。

もちろん親子揃ってますし 欧州きっての
楽団が演奏してる全集ですわよん。 

ヘッドフォンが嫌いなワタクシ、
CDを聞いている時は 自分の部屋が

昔の「喫茶店」のような状態ですけども…。
ぷぷぷ…。(^艸^)
 
お読みいただきまして ありがとうございました。
 

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