8月 9日 78年目の長崎原爆忌

長崎原爆忌 祝日・記念日、○○の日

 
長崎原爆忌
 
いったいなぜ2発目の原爆が必要だったのか…?
考えずにはいられないのです。

三日前の広島だけだって十分だった
はずなのに どうしてでしょう。

歴史があって 古くから
クリスチャンが多く住む街だったのに。

それも長く耐え忍びながら
信仰を守ってきた敬虔な人たちを
ご先祖に持つクリスチャンだというのに…。

同じキリスト教徒に あろうことか
最終兵器で攻撃されるなんて 酷い話で
神も仏もないと思っちゃうでしょうが。

最初の目標は小倉だったそうですが
視界が悪かったとかで長崎になったとか。

地形的に山がちで 平地が少なかったので
爆風の広がりが抑えられたとか
いわれていますが 7万人ですよ、7万人!
 

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どんなに考えても答えが見えてこない

 
この時ちょうど浦上天主堂では
ミサが行われていたそうです。

マリアさまの像を真っ黒焦げにしやがりましたけど
たいへん「立派なクリスチャンどもの仕業」
ですので 勘弁してやってくださいね。

欧州あたりでは原爆の光を
聖書に出てくる話になぞらえたとか。

例の「ソドムとゴモラ」のことですよね、
神の言いつけに背いて 好き勝手やらかしてたので
神の光(雷?)を食らって滅んだという話です。

日本で一番古くからのキリスト信徒が
一番多く集まっている街を
一瞬で壊滅させといて 何を言ってるんだか。

人を戦争に参加させるに当たって
宗教を持ち出すのは常套手段だけど
(…というか 宗教が戦争のモトに
なっていることも多いですが…)

日本人は仏教徒ということで
異教徒を攻撃したつもりだったんでしょうが

長崎への原爆投下は 完全に
裏目に出た形になりましたよね。

知らなかったのかもしれないけど
米兵は信仰が足りないんじゃないの?

上空から見て 浦上天主堂は
何に見えたんでしょうねえ?

ちなみに欧米の教会などは 建物を
上から見ると十字架の形をしていると
聞いたことがあるのですが
浦上天主堂はそうじゃなかったのかな?

もしかするとそういう特徴は
備えていなかったのかもしれませんが

まあ一神教徒は他の宗教施設とか
攻撃したり破壊するの平気だからね。

とにかくこの任務が
戦争を早く終わらせることに
繋がるとか言われていたでしょうし
命令に従っただけという感覚でしょう。

私は現場の一人一人の軍人さんには
特に何も思うことはありません。

責任を負うべきは命令を
下す側だと思っていますから。

日本の主要な都市をほぼ万遍なく
空爆した挙句 最終兵器の投入ですから
よほど破壊が好きな連中だと思いますよね。

言葉にすると本当に嫌になりますが
現実に起こったことなのです。

どうしてそこまでやったのか?
反撃できないことを見越して
立ち上がる気力を粉砕するためです。

そうしておけば「勝者が書いた歴史」を
押し付け易くなりますからね。

膨大な数の無辜の人々を
戦火に巻き込むことで人の心を砕くのです。
 
 

戦争の「質」が変わったのは第一次世界大戦から

 
戦争が軍人だけの衝突だった頃
戦は 戦略戦術戦法のぶつかり合いでした。

正々堂々 知恵と力の限りを尽くして
戦うもので 訓練を重ねた兵たちの
そんなのんびりした戦いを
一変させたのが飛行機の発明でした。

そして同時に戦いは「卑劣なもの」に
姿を変えてゆきました。

対峙する軍人たちの祖国や非戦闘員までもが
攻撃対象になったのです。

空爆もやりたい放題やらかしたので
その意味においては成功したと言えますが

その代わり 共産国と対峙し
膨大な軍事費を湯水のごとく
つぎ込まざるを得ない東西の冷戦に
突入していくことになります。

広島の時にも書きましたが
戦争から学ぶとか全然やってませんね。

まあ…勝った方が反省なんかする
わけないですけども。

広島も長崎も被爆者のみなさんは
「もう二度とこんな目に遭う人を出さないで」と

私なんか恥ずかしくなって穴に隠れたくなるほど
優しいことをおっしゃいます。

みなさんどなたも人間ですので
様々な思いを抱えていらっしゃるはずですが

それらをぐっと胸にしまい 大局に立って
辛い体験を語り継いでおられます。

自分が本当に辛い思いをしたので
他の誰には同じ目に遭ってほしくない…と
発信されていらっしゃるのですね。

やり場のない怒りや憎しみ 悔しさや
悲しみを 突き抜けたところにある

負の感情すら取り込んで浄化してしまうような
優しさの境地なのかもしれません。

逆なでするようで申し訳ないですが
日本全土を空爆した奴らも

最終兵器を使った奴らも 日本人のことを
人間だなんて思っていなかったんですよ…。

だから平然と逃げ惑う人々の
逃げ道を塞いでおいて 爆弾を落とせたんです。

被爆者のみなさんのような優しい考えは
それが通じる相手だけになさいませ。

核を減らそうと努力もしないような
罰当たりどもに 被爆者さんたちの優しい心で
訴えてももったいないですよ

どうせ連中には通用しませんから。

何時の日か「2発」のお返しができるように
しっかり後世に伝えましょう。

じゃなかった こういう惨禍を二度と
起こさないように 人類全体に
学習を促す必要があるし
その旗振り役が日本なのかなと思います。

そのための尊い犠牲だったと思うと
キリストさんちょっとやり過ぎじゃないの?

あなたのことを篤く信仰していた
敬虔な人たちばかりだったんだよ…と

つい 余計なことを
考えてしまうのでした。合掌。
 
お読みいただきまして ありがとうございました。
 

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