今日は「教育基本法」が公布施行された記念の日

 
教育基本法の日
 
今日 3月31日は 1947年
(昭和22年)に「教育基本法」が
公布施行されたことを記念する記念日です。

正直言って 知らなかったんですよね これ。

基本法があることは知ってましたが 
施行がこういうどん詰まりの

日だったということは 
知らなかったのです。

なぜって 4月 1日とかではなく 
年度も最後の日でしょ?

なんとなく むにゅむにゅ
するんですよ、こういうのって。

あ もしかするとすっきりと 
4月 1日からおっ始められるように
わざとこの日にした…とも考えられますね。

だとしたら技ありです、すみません
ちょいとばかり
個人的な文句を言っちまいました。
 

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苦々しい思いを忘れずに

 
終戦直後のことですから 
GHQが偉そうに一言一句に文句を
つけたと思うのですが 

ざっくり読んでみると教育に対する
基本の理念をうたっていて 
なかなか好い文言が多いなと感じました。

この法律が施行されたことで 
私たちもお世話になった

6-3-3-4という学校の制度が
スタートしたわけです。

次代を担う子供たちを教育するのは 
国の根幹に関わる重要なことです。

高福祉の北欧などは 教育に
保護者の費用負担がない国もありますね。

そう問題は誰が費用を負担するかであって 
教育は必ず施すべきなのです。

ま、高福祉の国はその代償として
給料の半分近くを 税金で
持って行かれますが…。

そしてそういう国々は得てして
男女の賃金格差も小さいですね。 

なぜなら人口が少ないので 
男性の給料からの納税だけでは 
高福祉を賄い切れません。

そこで女性にも同じように働いてもらい 
しっかり給料を稼いで 

その半分をがっつり納税して
もらおうというわけなのです。 

「労働対価」という考え方が
浸透している…というか そこからすべてが
派生しているという方が正しいかな。 

同一労働同一賃金も導入しやすいし 
その観点だと 男女差も意味を
持たなくなりますので意識されていません。

極めて明快な理屈なだけに 
こういう屁理屈も成り立つんですが…

「あなたでなくても いい。」
「あなたである必要はない。」

合理主義の方たちにこれをどう感じるか 
訊きてみたいなあと思うのです。

たぶん屁とも思わないでしょうけど。

あらら 「教育基本法」の話だったのに 
明後日の方へ行っちゃいました。
 
 

「教育基本法」が施行されて70年以上が経過

 
大学の奨学金が学生の負担に
なっているという話を聞きますが

外国からの留学生に あれこれ手厚く
支援をする分を日本の若者たちに回して
やればいいんでないのと思うのですが。

だってそのお金 私たちの税金ですよね、

日本の若者たちのために
使うべきなのは当然じゃありませんか。

教育は未来への先行投資なのですから 
自国民を最優先にすべきです。

今の状態は税金を使うべき相手が
間違っていますよね。

あとよく分からない大学が
増えたと思いませんか?

子供の数がどんどん減っているのに 
学校ばかりあっても どうにも

ならないんじゃないのと思うのは 
私だけでしょうかねえ?

学生の集まらない学校は 
一般の人も対象にしたら もしかすると
経営難が解消するかもしれませんよ。

そうなると簡単に学校を
設立できなくなると思われますね。 

なぜなら大人の視聴に耐え 
要望に応えられる教育カリキュラムが
必要になりますし 当然 内容を厳しく
吟味されるようになるでしょう。 

すると安易な発想での学校設立が
難しくなるので 自然に
淘汰されていくようになりますから。

さて先ほども書きましたけれど 
最初の教育基本法は GHQが口を

はさんできたので 内容の一部が
変更された箇所がありました。

それが男女共学という形です。

女の子にも平等に教育を受ける機会を
与えなさいという発想だったようです。

これだけ この点だけは 差し金も
悪くはなかったかなと思います。

ただ…戦前にも学校教育はありましたし 
普通に共学でしたけどねえ…。

子供の数が多くて教室に入りきれないほど 
いたんだけどなあ。

法律で謳った方がいいとは思いますけどね。

ですが 悪いのはすべて
大日本帝国であると決めつけ 

そこを出発点に 日本人にゆがんだ
歴史観を刷り込んだことは 
許せることではありません。

自分たちのしでかした都合の悪いことは 
巧妙に隠ぺいするよう 

メディアや教育機関などを操り 
洗脳を繰り返してきていますので 

白人お得意の「勝者が歴史を書く」を踏襲し 
その範疇を出ていません。

これまでは知らなかったので
仕方ないと思いますが 知った以上は

戦後の教育を受けた私たちすべての者は 
ここをしっかり記憶するべきです。

「歴史とは勝者が書くものである」
この点だけでも知っておくと 

もやもやしていたものや事柄の輪郭が 
はっきりくっきり見えてくるのです。

無暗にいつまでも
引きずる必要はありませんが 

起きたこと されたこと その結果という
事実は 事実として認識し 記憶し
教育するべきだと思うのです。

記録魔の日本人は 事実を淡々と
記すことが歴史だと思っていますから
それを素直に実行していけばいいのです。

ともあれ教育は国の礎ですので 
どうあるべきか常に議論する必要があります。

そしてそれはその時の大人たちの
義務であり 責任だと思うのです。
 
お読みいただきまして ありがとうございました。
 

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