「夏越の祓」は 罪穢れを祓い健康を祈願する

夏越の祓 暦・季節

 
夏越の祓
 
今日は 6月30日。
今年も半分過ぎてしまいましたね。

今日は「夏越の祓」(なごしのはらえ)といって
半年間の穢れを祓い 心身を清めた上で
お盆を迎えようというものです。

暮れには「年越しの祓」がありますね。
なんですかこの「夏越の祓」と
「年越しの祓」は対の行事だそうです。

この時期 ご祭神さまに縁がある神社に出向くと
厄落としのための「茅の輪」(ちのわ)が
鳥居のところとか 境内のど真ん中とかに
ででーんと設えてあったりします。

この大きな輪っかはチガヤ
という植物を束ねて作られています。

この中を作法に従って通り抜ける
「茅の輪くぐり」をすることで
厄落としになるのだそうです。

きれいな緑色のチガヤが くぐり抜ける人々の
罪や穢れを吸い取るというか 浄化してくれる…
そんな思いがあったのでしょうか。
 

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感謝をこめて お参りを…

 
たぶん あの形にもちゃんと意味があって
しかもきちんとお祓いをしてあるはずですので
「茅の輪」が放つ「気」も清浄なんですね。

だからそばにいるだけでも
なんだかきれいになったような気がします。

大きいので周りの空気も浄化してくれそう…
青い香りもさわやかですし。

人が通れるほどの大きなものが多いですが
首から下げたり 腰につけたりするような
小さなものもあったそうです。

今ならストラップにすれば
人気が出るかもしれませんね。

ただしチガヤで作ることに 恐らくは意味が
あるのでしょうから 形だけ似せた
ストラップなどではご利益があるかどうか…。(汗

それに後始末もちゃんと
しなくてはいけないですよねえ。

私たちから祓われた厄を持っていって
もらうわけですから いつまでも
自分で持っていたりしたら 全然意味がないし。

お守りではないので たぶん処分が
必要になるのではないかと思います。

なんとなく良さそうとかで
神さまの伝承とか先人たちが受け継いで

大切にしてきたものに変な手を加えたり
勝手にご利益だけ望んだりしたら
かえってバチがあたりそう…。

あと白い紙でできた
「人形代(ひとかたしろ)」というものに

息を吹きかけ 自分の体の痛いところや
悪いところをなでて「人形」に移して 代わりに
厄や病を引き受けてもらう厄落としもあります。

映画「陰陽師」にも出てきていましたね。

偉大な陰陽師 安倍清明は
「人形代」などに術をかけて門番にしたり
自分の身の回りの世話をさせる
侍女や家来として使っていました。
すごく便利ですよねえ うらやましいなあ。

「人形代」は その厄を背負った「人形」を
川に流すとか 護摩壇でお焚き上げしてもらうなど
水や炎の力も借りて完璧に消し去ることが必要です。

半年に一度は穢れを祓っていたということは
日本人のきれい好きは 筋金どころか
鉄骨が入ってますよ。(笑)

穢れを祓うこともですが
もっと大切だったのは無事に半年を過ごせました
ありがとうございましたという
神さまへの感謝の気持ちだったのでしょうね。
 
 

健やかなことは万民の願い

 
湿度が高くて体調を崩しやすい
季節でもありますし この梅雨が明ければ
暑い季節がやってきますので

そんな時期を無事に乗り切れますようにと
お願いする意味もあったのかもしれませんね。

昔は伝染病など流行り病の発生も
少なくありませんでした。

医療技術も未熟だったため
病などは収束を祈るしかなかったのです。
それゆえ人々も真剣にお参りしたんでしょうね。

そして日本各地に残るお祭りも
神さまにお守りいただいている感謝と

無病息災 そして豊作祈願という
感謝と祈りの気持ちがいっぱい詰まった
年間を通して人々の楽しみでもあったのですね。

私は「水無月」というお菓子が気になるのですが。
ういろうにあずきをあしらった
「夏越の祓」のお菓子だそうです。
三角形をしているういろうは氷を模したものだとか。

暑い夏に氷室を開けて氷を楽しめた上流階級の
まねをしたかったけど 本物の氷なんて

そう易々とは手に入らなかったので 庶民が
そのつもりになって作り出したお菓子ですね。

一度は味見をしなくては…。

半年 無事に過ごせたことを感謝し
残り半年の無事を祈る… 日本人はこうしてずっと
八百万の神さまと一緒に過ごしてきたのですね。
 
 

神の民 日本人

 
あまり意識していませんけれど
日本人は「神の民」なんですよ。

感謝や祈りはもちろんのことですが
怖い異形の神さまでも 災いの神でも
何でもかんでもお祀りして そのお怒りや
禍々しい力までをも鎮めちゃうのです。

普通こういうことってあまりしないんですけども
日本人はお祀りすることで 取り込んで
しまうというか 収めてしまうのですね。

それと病などに倒れた人などの
供養ももちろんあったと思います。

病で亡くなった人や自然災害で亡くなった人などは
その後 村やその地域を疫病や厄害から
守ってくれると思ったのではないでしょうか。

自分が辛い思いをすると 他の人にはこんな思いを
させたくないというのが 多くの日本人が
普通に持っていた思いでしたからねえ。

先に亡くなった人たちもきっとそう思ってくれるに
違いないと みんなが思っていたので
自然に亡くなった人を大切に扱う
心や態度が養われたのかなと。

そういう素地があるところへ 仏教が
入ってきていっそう拍車がかかったと。

さらには目に見えないものや事柄への
畏敬の念も混ざって 無念に思う魂をみんなで
お祀りして ずっと慰めていこうという
気持ちが強かったのでしょう。

ね?やっぱり「神の民」でしょ?
 
お読みいただきまして ありがとうございました。
 

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